第九話『尾行はまず変装から』

「遅いわよ」

「……ハァ」

「……来て早々ずいぶんなため息ね。人として失礼よ」


指定された時間の約十分前。

オレを呼び出した人間は駅前で腕を組んで壁に寄りかかっていた。


「いやぁ……なんだかんだ昨日めっちゃ勉強したし、今日はゆっくりするつもりだったんだけど」

「だから何よ。もう契約を忘れたの? あんたに拒否権なんてないの」

「はいはい、すみませんね」


二人の邪魔させないためにもこれが必要なのは分かってるんだが……気乗りしないものは仕方ない。

そんな思いが表に出てしまったのか、アイツは腕を組んだまま更に不機嫌そうに目を細めた。


まったく昨日約束したばかりってのに、一体どっから聞きつけたんだか。

勝手に尾行されるよりはマシだから連絡してくれたのはありがたいんだけどな。


陰鬱な気持ちをなんとか消化しようとしていると、アイツの格好の違いに目が止まった。


「帽子に眼鏡か。前回両方ともなかったと思うが、今回はそういう方向性か?」


コイツの格好を見るのはまだ今日で三回目程度だが、今まではこういった装飾品はつけていなかった。


「違うわよ、これは変装」

「変装?」

「よくよく考えればこのままでいたらいつ気づかれるかわからないもの。当然の行動ね」

「へぇ」


そう語る顔はなんだか得意げだ。

なるほど、だからつば付きってわけね。



帽子と眼鏡姿もまったく違和感がないもんだな。

長い髪は高い位置でまとめられて後ろから出されており、首回りがすっきりしたスポーティな印象を受ける。

パンツスタイルなのもあってよりボーイッシュさがより増し、綺麗を通り越してカッコよく見えてくる勢いだ。

変装という割にオシャレの一環として着こなしているのは流石だな。



「なんというか、意外と形を大事にするタイプなんだな」

「は?」

「悪かったから、そんなギロリとした目を向けないでくれ」


敵意はありませんと両手をあげたオレを見てふんと鼻を鳴らす。

そして今度は向こうが視線を上下に動かし、呆れ顔を浮かべた。


「というかあんたの恰好は何よ。そんなんでばれたらどうするの?」

「ダメか? 決して派手ではないと思うんだが」


オレの格好はいつも通りの長袖Tシャツとジーパンの組み合わせ。

目立つ色とかでもないし、至って普通のラフな服装だと思うが。


「ハァ……服とかどうでもいいからその前髪なんとかしなさいよ。そんな長いのあんた以外いるわけないでしょ」

「あー」

「いくら地味でも突き抜けたら逆に目立つのよ」

「んーまあ別にばれても「は?」いちいち凄むなよ……」


少しは落ち着いて会話できないのかコイツは。


「いい? ばれたらその時点で失敗とみなして契約破棄よ」

「えー、マジかよ……」

「それにその大きなリュック。前回も背負ってたけどいつもなわけ?」


次いで指摘された背中に目を向ける。

背負っているリュックには日常的に使うものがつめられている。

これがないと日々の生活が大きく変わってくるだろう。


「ああ、標準装備だな」

「ほんっと意識低いわね……目立つ要素が多すぎるわ。それもなんとかしなさい」


この女うるせぇ……


「ほら、項垂れてないでわかったら動く」

「へーい」


しょうがねぇなぁ……

さっき以上に沈んだ気分を戻そうと努めつつ、なんとかする方法を考える。


髪が問題ってことだし、コイツ見習って適当なつば付きの安い帽子買うか。

深く被れば顔隠れるだろうし。

リュックは……金勿体無いけどロッカーに預けよう。

そうと決まればさっさと店行くか。




ええい、そんなのでいいのとか聞くな!

たかが変装アイテムにそんな金かけられるか!




======




なんとか孝平達の合流に間に合わせることができた。


「……それ本当に前見えてるの?」

「全然問題ない」

「ふぅん」


さっき鏡で確認したが、深くかぶれば目元がしっかり隠れる。

これならバレることはないだろ。


慌ただしい準備を経て二人を追い始めたわけだが、連れの動きがおかしい。


「……なんでそんなにコソコソしてるんだ?」


常に壁付近で行動し、孝平達が立ち止まったり辺りを見るそぶりをするとすぐに物陰に隠れる。

傍目から見るとあの日と同様に完全に不審人物だ。

同行してるオレも同じに思われるからやめて欲しいんだが。


「馬鹿ね、気づかれるときは簡単に気付かれるのよ。リスクを減らすためになるべくターゲットの視界に入らないようにするべきってドラマでもやってたわ」

「ドラマ」


それはなんとも微妙な情報源ソースなことで。


またも物陰に移動して孝平達の動向を伺う不審女。

その姿を見てポツリ。


「……あんぱんと牛乳でも買ってくるか?」

「――! ってあんた何言ってんのよ。そんなのいるわけないでしょ!」


一瞬その気になったの見逃さなかったぞ。

アンタ実はちょっと楽しんでたりしないよな?



◇◇◇◇



フードコートにたどり着く。

学生が外で勉強しようとしたら大体こういった場所になるだろう。

オレも勉強する時はここでやることが多い。


なるべく近くの席で様子を見つつオレ達も勉強することにする。


よし、勉強利用許可エリアっと。


「全く、金曜にはこんな話聞いてなかったのに」

「あれ、普通に話してるのか?」


佐倉さんの言い分からして話すらままならない状態かと思ってたが。


「どういう意味よ。毎日ちゃんと話しているわ」

「ほう、毎日」


言葉を復唱すると、ばつが悪そうに視線を逸らす。


「……休みの日は話してないけど」


おい、親友から学友レベルにダウンしてないか。

……いや、よく考えれば孝平と何も話さないなんてざらか。

でも元の関係からは程遠いのは明らかだな。


「昨日とかに予定を取り付けたってことね、油断も隙もない」

「よくそんなので気付いたな」

「母親伝いで聞いたのよ」

「……ちょっとはプライベートを尊重してやろうぜ」


家族ぐるみで仲がいいのは良いことなんだろうが……

本人の知らぬところで情報が漏れてるの可哀そすぎる。


「それにしても、なんで急に勉強することになったのかしら。他校同士で勉強して何か意味あるわけ?」


もしないのならと続けてこちらに視線をよこしてくる。

ただの口実なら許さないと言いたげだ。

本来許してもらう必要なんてないんだけども。


「確かに教え合えない可能性もあるが、内容よりも一緒に勉強するのが大事ってことだろ」

「ふん、わざわざそれをあの男とやる必要がなんてないじゃない。一緒ってことなら私と……」

「私と?」

「……なんでもないわ」


まあそうよな。

一緒にやるのが難しいからそんな苦々しい顔してるんだろうし。


「暗記系とかは二人で問題出しあうだけで勉強になるしな。他校だろうがいるだけでメリットだろ」

「……そうね」


場合によっては介入すらあり得たほどの勢いは失せ、反論する気もなくなったのかそれ以上は何も言ってこなかった。


会話が途切れ、しばらく互いに勉強に取り組む。


紙の擦れる音、シャーペンの書き込む音。

教室であれば響いていたであろうそれらがかき消されるぐらい、フードコートは喧騒に包まれていた。




************




ペンを止めて孝平達を見ていたアイツがポツリと呟いた。


「……あの男は勉強できるの?」


唐突だったためそれが問いかけだと気づくのに一瞬遅れる。


「……?」

「あん? ……ああ、いや、多分佐倉さんよりも成績は下だな」

「なにそれ、よくそれで誘えたわね」

「一人で勉強しても捗ってなかったらしくてな」


佐倉さん今まではコイツと勉強するのが当たり前だったって言ってたしな。

いきなり一人で勉強しようと思ってもいい感じに進むわけがない。


そう思っての返答だったが、図らずも皮肉げになってしまった。

それが伝わったのか、こちらを向いていた目つきが変わる。


「へぇ、じゃああの男は目ざとくもそこにつけ込んだってわけ?」

「おい、人聞きの悪いことを言うなよ」

「少しでも隙を見せたらこれよ。やっぱり私の睨んだ通り。あの男もどうせそこらの野蛮な男と「オイ」……!」


口から漏れたその声はとても低かった。

目の前の女が一瞬怯えた様子を見せて閉口する。


ほんと、コイツは言葉が強い。

眉間に力が入っていることを自覚しながら口を開く。


「言い過ぎだ。少しは学習して欲しいもんだな」

「……」

「第一、佐倉さんにその隙を作らせたのはアンタだぞ」

「え?」

「佐倉さんが捗ってないのはどう考えてもアンタと勉強できてないからだ。でも今は一緒できる状態ではない。それで悩んでる佐倉さんに孝平が手を貸したとは思えないのか?」

「っ……」


ったく、そんな悲しそうな顔するなよ。


水を一口飲み、気分を落ち着けたところでふと気づく。



……よく考えればオレ最低じゃねぇか。

今回の集まりのきっかけはオレで、さっきの隙云々はオレに向けての言葉ってことになる。


ってことはさっきの言葉は陰口でもなんでもなく本人に向けて素直な感情を口にしたってわけで、それに対するオレのあの態度……

もっと冷静に耳を傾けるべきだった。



申し訳ない気持ちが芽生え、言葉が漏れる。


「……理由がわかってて、でもそれを解決することは出来なくて。ただただもどかしさだけが募っていく」

「……」

「そしてつらさだけが増えていって、でもどうすることもできなくて、何もわからなくなっていく。そうなってしまえばできることなんてなくて」

「それがなによ。わかってる風な口?」

「……いや、オレにはわからん。聞いた話だしな」


席を立つ。


「でも、解決はできなくてもはけ口があるだけで楽になる……らしいぞ。トイレ行ってくる」


アイツは何も言い返してこなかった。




************




少し時間が経ってから席に戻る。


オレが席に着いてもアイツは何も言ってこない。

弱々しい目ででぼーっと孝平たちの様子を眺めていた。


「ん」


持っていた飲み物――イチゴ味スペシャルスムージーという名だった――を置く。


「……なによこれ」

「目に入ったから」

「…………いらないわ」


うそつけ、視線が釘付けだぞ。


「オレはもう別のを飲んだからいらない。悪いが飲んでくれ」

「じゃあなんで買ったのよ」

「しゃーないだろ、美味そうに見えたんだから」

「……仕方ないわね、いくら?」

「いらん」

「いくらなの」

「いらん」


互いに顔を見合わせる。


しばしの沈黙を経て、アイツは飲み物に手をつけた。


「……お礼は言わないわよ」

「いらん」

「ふん。んく……おいしい」

「フッ」


一口ジュースを飲み、ほんの少し目尻を下げた。


流石、イチゴのパワーは絶大だな。

表情にも生気が戻ってきている。

甘いもの飲めば少しは悩みも晴れるだろ。



そこからはいったん気持ちを切り替えられたのか、力のこもった目で孝平たちを見るようになった。




************




「ちょっと」

「ん?」

「あれ」


顔をあげ、そのまま指さされた方を見る。

いつの間にやら孝平が佐倉さんの隣に座っていた。


「一緒の席に座るだけじゃ飽きたらず隣なんてどういう了見なわけ?」

「そりゃあ一緒の席には座るだろ……じゃなくてよく見ろよ」


アイツの視線を戻させる。

孝平は熱心な表情で佐倉さんの教科書やノートを指さしながら何かを伝えていた。


「どう考えても勉強を教えてるだけだ」


じゃなきゃ怖いわ。

もしこの短時間でそこまで関係発展させてるのならコイツに何も言えなくなる。


「さっき学力は舞宵の下って言ってなかった?」

「正直佐倉さんの学力は知らんが、素の学力で言えばそうだと思うぞ」

「じゃああれは何よ」

「孝平の方がよく勉強してたってことだ。オレがしっかり教えてるしな」


そう言って胸を張る。

しらーっとした目を向けられるが気にしない。


佐倉さんが頷いてるところを見るに、孝平の説明で理解が進んでいる様子。

ちゃんと教えれる程度に身についているみたいだ、勉強頑張った甲斐があったな。


「ふーん、その言い方からしてあんたは勉強できる方みたいね」

「んーまあ。と言っても、日頃からこまめにやっておけばある程度はできるようになるだろ」


時間かければオレでも今ぐらいにはなるもんだ。


「私だって日頃からやってるわよ。あんただけと思わないことね」

「お、おう……とても良いことだと思うぞ」

「ふふん」


なんか機嫌が良さそうで何よりだ。


「舞宵にもそうするように言ってるんだけどね……」

「オレも孝平にコツコツやるよう言ってるんだけどな……」


ハァと二人でため息をつく。


「まあでも教えれば理解してくれるし、一緒ならちゃんと勉強もしてくれるからな」

「舞宵もよ。今回は事情があったってだけで、普段ならあの男に教わるまでもないわ」

「普段って言われてもこれ高校最初のテストだしな。……なあ、佐倉さんの地力的に一人でやってて問題はなさそうなのか?」

「……」

「おい、言い返してくれよ」



孝平、しっかり教えてあげるんだぞ!




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