第二十六話『日常を噛みしめる』
いつもより長く感じた午後の授業を乗り越え、部活の時間を迎える。
家庭科室に入るとすでに室内には甘い匂いが漂っていた。
その匂いの発生源は布で隠されており、部員みんながどこか落ち着かない様子でそれをちらちら見ている。
「心なしか今日はみんなテンション高めだね! やっぱお菓子だからかな」
「男も上がってるのね」
料理を好む男はそのままスイーツ系男子にも通ずるってことかしら。
まあ甘いものは正義だし、男でも好きなのは理解できるけどね。
空いた席に座って待っていると、準備室の方から先生が顔を出した。
「はい、全員集まりましたね。今日はお菓子を作ると伝えてましたが何を作るでしょうか」
「ケーキ?」
「ものにもよりますが、放課後だけじゃ厳しいです」
「クッキー?」
「もうちょっと凝ったもの作りますよ」
何だろうと顔を見合わせる。
先生は布に手を添え、答えを口にした。
「はい、正解はクレープです」
「「「わぁぁあ!」」」
布の下から生地の材料やたくさんの食材、フルーツが顔を覗かせる。
イチゴがあるのは当然のチョイスね。
「ちょっと、咲希ちゃん落ち着いて」
「落ち着いてるわよ」
「口調以外は落ち着いてないよ!」
なぜか舞宵に体を抑えられながら先生の話を聞く。
「ふふふ、みんなで美味しいクレープを作りましょうね。作り方自体は単純ですが、クレープ生地を作るところが難しめですからね。生地の材料は多めに用意しているので、失敗を恐れずに作っていってください。では、各班に分かれてください」
舞宵とは今回も別の班だ。
今回こそは同じ班の人と交流できてほしいんだけど……
堅い表情の舞宵を見送り、自分の班の場所に向かう。
「白石さんよろしくね」
「よろしくお願いします。それぞれ何のクレープを作りますか?」
ものを決めてそれの材料を取ってこないと。
へぇ、お菓子とは言いつつ、ハムや野菜とかもあるんだ。
甘いものが苦手な人でも食べられるように気配りされてるのね。
「私チョコバナナかな」
「カスタードクリーム!」
「あずきとか美味しそうだな―」
「俺はおかず系で行ってみるか」
「私はイチゴにします。じゃあ生クリームとカスタードクリームを作らないとですね」
準備を進める途中でちらりと舞宵の様子を伺う。
相変わらずあたふたはしてるけど、今のところ逃げる様子はなさそう。
舞宵、頑張るのよ!
◇◇◇◇
準備を整え、作る工程に入る。
「ほら後輩ー、生クリーム作ってよ。混ぜるの大変なんだから」
「いや、生クリームって混ぜ方大事ですよね? 俺やり方知らないんですが……」
「白石さんは知ってる?」
「私も知らないです。あまりお菓子作ったことないので」
何回かバレンタインデーで舞宵にあげたことあるけど、クッキーとかマフィンとかでクリーム系は作ったことなかったし。
「ふふーん、私の出番ね! こうやってぐるぐるぐるーカカカカーってやれば」
「すごーい! どんどんとろみが出てきた!」
「おおー」
「これが空気を入れて混ぜるってことなのね」
擬音ばかりで細かい部分は全然伝わってこないけど。
生クリームづくりは擬音先輩に任せて、具材のカット、クレープの生地作り、カスタードクリーム作りに作業を分担する。
ゆっくりと具材を切っていき、ある程度切れたところでふぅ、と息を吐いた。
具材を切るだけとはいえ、慣れない作業で集中力を使いすぎてしまったわね。
そういえば舞宵は今どんな感じなんだろう。
様子を確認するべく向けた視線の先で――
「さ、佐倉さん! そんなに力いっぱいやっても出来ないから! もっと力抜こう!」
「で、でも全然固まってない……」
「一生懸命なのは伝わってきたけど、大事なのは角度だから! 斜めから回すというか……ああ! そんな叩くようにしないで!」
――ものすごい先輩を困らせていた。
それを見てあちゃーと額に手を当てる。
先輩は丁寧に教えてくれているんだろうけど、焦っちゃって全然話を聞けてない。
「すみません、ちょっと離れますね」
「はーい」
舞宵の班の下へ移動する。
舞宵の周囲には力いっぱい混ぜたことによって生クリームが飛び散っていた。
「あわわわわ」
「ほら舞宵、しっかりして」
「し、白石さんいいところに!」
「さ、咲希ちゃーん~。全然うまくいかないよ~」
「全く、不器用なんだから」
涙目の舞宵の頭を撫でる。
こんな状態になってるのに、私がやるからと舞宵から取り上げないで必死に教えようとする先輩はとてもすごいと思う。
「すみません、舞宵に悪気があるわけではないのですが……」
「うん、それはわかってるんだけど……」
「そんなかわいそうな目で見ないでよ~」
「先輩、今度は私に教えてもらっていいですか? 舞宵、一緒にまずは聞きましょう」
「う、うん」
「わかったよ。生クリームを作るときはね――」
先輩の教えにしたがって私が実践する。
「舞宵、こんな感じにやるみたいよ」
「ふんふん」
「そうそう! そのまま混ぜ続けて」
角度をつけ、空気を入れることを意識して混ぜ続ける。
「あ、とろみが出てきた」
「咲希ちゃんすごい!」
泡だて器をあげるとサラサラではなくトロトロとした液が流れ落ちる。
なるほど、こうやって作るんだ。
「ほら、続きは舞宵がやって。やり方見てたでしょ」
「や、やってみる」
恐る恐るといった感じで泡を立て始める。
さっきのような力任せではなく、正しい混ぜ方を意識できている。
「その調子よ佐倉さん!」
「は、はい!」
しばらく見守っていると、確実にクリームが立ってきた。
「咲希ちゃん! どんどん生クリームっぽくなっていくよ!」
「すごいじゃない。やり方掴んだみたいね」
「うん!」
「先輩ありがとうございます。ほら舞宵も」
「えっと、あ、ありがとうごじゃいます!」
二人そろって先輩に頭を下げる。
「どういたしまして。教えるのが先輩の役目だからね」
「舞宵、引き続き頑張ってね」
「うん、咲希ちゃんもありがとう!」
======
自分の班に戻ると、生地やクリームの用意ができていた。
「すみません、任せてしまって」
「大丈夫よ。友達手伝ってたんでしょ?」
「今日は佐倉さん逃げてないんだね、よかったよかった」
もう舞宵は逃げる子って認識されてるのね……
「ありがとうございます」
「じゃあクレープ作ろうか!」
まずはお手本見せるねと先輩がフライパンに生地を広げる。
ちゃんと薄く広がっており、瞬く間に生地が固まる。
「はいっと!」
フライ返しによって生地がひっくり返される。
わぁ、全然破れてないし折れてもない。
綺麗なクレープ生地だ。
「こんな感じで生地を作るんだよ」
「くるくるすいって感じだね!」
「そ、そういうこと」
いや、全然わからないんだけど。
「せっかくだし自分の分は自分で作ってみようか」
というわけで各自で取り掛かる。
えっと、先輩が使ってた生地の量はあれぐらいよね。
よしやってみよう。
「……むぅ」
生地をひっくり返そうとしたら端っこが折れてしまった。
しかも若干焦げてる。
破れないようにってちょっと時間かけすぎたかな……
「おおきれいにできた! ほらほらどうです!?」
「おー」
男の先輩の生地は焦げもないし破れてもいない、ちゃんとしたものになっている。
あれと比べると私のは失敗だ。
もう一度やろう。
「お、白石もう一回作るのか。きつそうなら俺が作るぞ!」
「いいえ結構です」
「そ、そうか」
先輩の申し出であろうがきっぱりと断る。
たとえ善意からのものであっても、こんなことで頼って後が面倒になるのは避けたいから。
というか失敗したままなの嫌だし。
結局もう一度失敗して三回目で及第点のものができた。
よく先輩はあんなにスムーズにフライ返しを下に入れられるなぁ。
そこで若干手間取って火が入りすぎてるところがあるわね。
反省をしていると舞宵が駆け寄ってくる。
「咲希ちゃん! クレープの生地きれいに作れたよ!」
「本当にきれいにできてるじゃない。一回で出来たの?」
「えへへ、実はこれ五回目。それまでは失敗しちゃった」
机の方を見ると黒こげの塊が皿に横たわっていた。
あれが生地のなれの果て……無残ね。
「これなら美味しいクレープが食べられるわね」
「うん! これも根気よく教えてくれた先輩のおかげ!」
「そう。じゃあその先輩にお礼しないとね」
すごいねいい子だねと舞宵の頭を撫でる。
「……なんか小学生扱いされてない?」
「気のせいよ。ほら、自分の班に戻らないと」
「あ、そうだね。じゃあねー」
……あ、せっかくなら写真でも撮ってあげればよかった。
◇◇◇◇
完成したクレープを口にする。
「ん~」
自分で作ったからか普通よりもおいしい気がする。
たまにはお店のものじゃなくて自分でスイーツ作るのもありかも。
「……白石さんってそんな表情するんだね」
「なにか」
「いや、そんなキリッとしても誤魔化されないけど」
舞宵はおいしくクレープを食べられてるかしら。
「あ、そっぽむいちゃった」
「白石さんにもそういうかわいいところあるんだね」
「ほんとねーこのこの~」
「ちょっと、つっつかないで……!」
「イチゴはまだあるぞ!」
「大丈夫です」
「そ、そうか」
「そういうところは平常運転なのね……」
男の先輩に同情するような視線が送られた。
************
部活が終わり、舞宵と一緒に下校する。
「部活楽しかったね!」
「最初はどうなるだろうと思ってたけど、後半はちゃんと話を聞けてたわね」
「言ったでしょ、成長してるって!」
前の舞宵では私が間に入らないと教えてもらうことすらできなかったからね……
これは明確な成長だわ。
「大きくなったわね……」
「私咲希ちゃんの娘とかじゃないんだけど……頭撫でないで!」
子ども扱いするな―と騒ぐ舞宵を無視して頭を撫で続ける。
ちょっと前まで気軽に撫でることすらできなかったからね。
そのまま撫でてたら逃げられたので追いかける。
「待ってよ舞宵」
「もー私は咲希ちゃんと同い年なんだからね!」
「もちろんよ。純粋に親友の成長を喜んでいただけ。舞宵はすごいわね」
「ふふん、そうでしょう!」
「うんうん」
「だから頭を撫でるなー!」
得意げに胸を張った舞宵が微笑ましくてつい。
流石にちょっと怒られた。
「ごめんってば」
「全くもう!」
「子ども扱いとかじゃなくてスキンシップだから、許して?」
「つーん」
「ふふふ」
わかりやすく不満を表す舞宵に笑いが漏れる。
「ふへへ」
そんな私を見て舞宵も笑顔になった。
「あ、今日はうちで一緒に晩御飯食べようよ! 今日の私の活躍を明凛に話して姉の威厳を見せないとだから」
「私がいないと話を信じてもらえないって時点で威厳も何もないと思うんだけど……」
「ガーン!」
これ以上舞宵を刺激しないようになんとか笑いをこらえる。
そして落ち込んだ舞宵を慰めながら舞宵の家に向かった。
ああ、本当に、この日常が戻ってきてくれてよかった。
――――――――――――
おまけ
料理部にて
「……(真剣に野菜を切っている)」
「佐倉さん」
「……(野菜以外何も入ってきていない)」
「さ、佐倉さーん?」
「ちょっと舞宵、呼ばれているわよ」
「ひゃい!?」
「えっと、うまく切れてないみたいだけど、そこをこうした方が――」
「え、その、あの、だ、大丈夫です!」
「は、はい?」
「どこが大丈夫なのよ……ちゃんと聞きなさい。ごめんなさい、お願いします」
「あ、うん。そうじゃなくてここに手を添えて――」
「あわわわわ」
「え、なんで逃げるの」
「……ハァ」
舞宵は食べるのは得意だが作るのは苦手。
でも教えようと近づくと逃げる。
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