第四十五話『橘って呼ぶから!』
角煮の話が区切りついたところで舞宵がトイレに立ち、藤本孝平は電話が来たと離席したためテーブルには私とあいつだけになってしまった。
さっきの件が気まず過ぎてあいつの方を見れるわけもない。
……こんなことになるなら私も舞宵と一緒にトイレ行けばよかった。
別に行きたいわけじゃないけど、今の状況は回避できたわけだし。
うぅ……
「……おい」
「!」
ひたすら店外を見て時間が過ぎるのを待っていたのだが、話しかけられてしまった。
ギギギと動きの悪いロボットのように首を回してあいつの方を向く。
……うん、すっごいジト目を向けられている気がする。
全然目見えないから気がするってだけだけど。
てかこいつ表情わかりづらすぎるのよ!
邪魔くさい前髪ねほんと。
「さっきのはなんだ。本当に知り合いなの隠すつもりあんのか? 昼のもあって結構怪しまれてんだぞ」
「なっ、昼のはあんたのせいでもあるでしょ。あんたが変なこと言うから私が戻るに戻れなくなったのよ!」
「いやまあ確かにオレも雰囲気に流されたところはあったが……その雰囲気を作ったのは間違いなくアンタだろうに」
「ふんっ」
「……まあいいや。じゃあさっきのは自分が悪かったって認めるんだな」
「え、あっ……ま、まああれは流石に私のミスね」
半分言いかかってたもんね……むしろよくあそこで止めることができたわ私。
「あの二人も二人だけどな……なんで角煮で誤魔化せるんだ」
「舞宵はまあ食のことだしわからないでもないけど、藤本孝平があれはちょっと……」
「本当な。二人は思った以上に似た者同士っぽいぞ」
「ぐっ、否定ができない……」
舞宵ってば普段はあんなに人と話せない子のくせして藤本孝平とはほとんどずっと話し続けてるし。
明らかに私といるときより話してるもんね……なぜなんだろう。
もっと私が話すべきってこと?
そんなに無口なつもりはないんだけど……
「しかしアンタ、オレの名前覚えてたんだな」
ハァと肩を落としている時にそんなことを言ってくる。
「当り前でしょ。
ああもうまた……
「そうだったな。いやオレが陸上部じゃないこととか結構覚えてんだなと思って」
「そんな前のことでもないし忘れないわよ」
「ふーん、流石だな」
これぐらいで流石って言われると逆に馬鹿にされてる気がしてくるわね。
「あ、そうだ。アンタが陸上部だったことは聞いてたが、リレーでは見事な走りだったよな。改めておめでとう」
「何よ急に……」
「そういえば直接言ってなかったと思ってな。途中で一気にギア上げてたよな、狙ってたのか?」
途中……そういえばコーナー抜けたところで赤組と並んだんだっけ。
あっちが遅くなったんじゃなくて私が速くなってたのか。
コーナーでこいつがのんきに観戦してるのを見てなんかムカついたのは覚えてる。
「正直あまり覚えていないわ。全力で走っていただけだもの」
「へぇ、勝負どころで体が勝手に動いたってことなんかね。なんにせよ競っていた男を抜いたのは痛快だった。見ていて応援のし甲斐があったわ」
「ふぅん……。まああんた達の応援には感謝してあげるわ。あってもなくても関係なかったけど」
「はいはいそうですかっと」
そこで会話が終わったと思ったが、珍しくあいつは会話を続けた。
「…………なぁ、なんでさっきあんなに孝平に噛みついたんだ? 事前の話じゃある程度は穏便に済ませるってことだったし、昼間だって裁判もどきはともかく弁当の時とかはそれに従ってたと思う」
「まあ、ね」
「孝平のこと少しは認めたって言ってたし、もっといい感じになるかと思えばこれだ。対応が変わったのは明らかに体育祭が終わってから。閉会式後なにがあったか……聞いていいものか?」
「……」
閉会式後。
確かにあれがなければここまで最悪な気分になることはなかったと思う。
ただ、なにがあったか、それをこいつに言う必要なんてどこにもない。
……でも、あんなこと舞宵には絶対に話せない。
親にだっていまさら……
――――こいつになら。
一瞬脳裏にか細い何かがよぎった気がした。
それを認識しきる前にもう私の口は勝手に動いてしまっていた。
「……閉会式後、たくさんの生徒が私の元に来て活躍を称えてくれたわ、男女問わずね。数人とかじゃなく本当にたくさんで、話している間に文字通り囲まれてしまったの」
「囲み……」
「近いなとは思っていたけど私を褒めてくれてるわけだから無下には出来ないでしょう? それで目の前の人にお礼を言っていたら……」
そこで口が止まる。
そこからの言葉は恥ずかしかったのもあってなかなか口に出せなかった。
でもあいつは催促することなく黙って待ってくれた。
「……男に触られたのよ、太もも付近を」
「――あ?」
どこからか、ビキッという音が聞こえた。
あいつは前と同じ……いや、その時以上に激高しているように見えた。
「もちろんすぐにその手を掴み上げたわ。おそらく相手は上級生」
「……ソイツには一発ぐらいくれてやったのかよ」
「いえ……その男はどんな筋肉ついてたらあれぐらい走れるのか知りたかったからとかなんか言ってたけど、すぐにその場を切り上げて舞宵の元に向かったから」
「その言い方だと佐倉さんはそれを知らないのかよ」
「そうよ。舞宵は離れた場所にいたから状況をわかっていなかったわ。聞かれたけど答えなかったし」
「そうか……」
いくら舞宵に私の頼りないところを見せたとはいえ、こんなことを舞宵には話せない。
話してもどうにもならないし、元々そういうのを舞宵に知ってほしくないから中学時代のことだって黙っていたんだから。
それ自体は今も変わらない。
少しの沈黙後、あいつは大きく息を吐いてからテーブルすれすれまで頭を下げた。
「すまん、辛い話をさせた。機嫌が悪かった理由が理解できた」
「ちょ、ちょっと! そんなことしないでよ。話したのは私だし、あんたは配慮してたでしょ?」
「だが……」
「いいから!」
この男は本当にこういう時は誠実だ。
だからか、話したことを不快には思わなかった。
「わかった。とりあえずその男のこと調べたり学校に報告したりはした方がいいと思うぞ。然るべき処分が下るはずだ」
「その必要はないと思うわ。あの時周りにいた人たちにはあの男が何をやったか伝わってたから白い眼向けられてたし。あそこからいろんなところに広がっていくんじゃないかしら」
「残りの高校生活はセクハラ野郎として過ごすことになりそうだな」
「そうね。まあ欠片の興味もないけど」
これ以上そんな存在を記憶にとどめておく必要もない。
勝手に消えてくれればいい。
「……それで本気で男が嫌いになっちまったか?」
「……そこまでではないわ。もっとひどい経験をしてきてるのだから、今更これぐらいで悪化はしないわよ。それはそれとして気分は最悪だったってだけ」
「そうか。悪化してないのはとりあえずよかった」
あいつはわかりやすくほっと息を吐いた。
悪化……あれ、そういえば。
いつの間にかさっきまで最悪だった気分がよくなってる。
まあこいつ相手でも言い出せなかったことによるストレスの解消にはなったってことでしょう。
それに……結構心配してくれたしね。
「しかしアンタはすごいな」
「突然なによ」
脈絡のない誉め言葉にはてなが浮かぶ。
「いや、普通こんなこと簡単には口に出せないだろ? でもアンタはそれを言える強さを持ってる。だからすごいなと」
「……褒めても何も出ないわよ?」
「思ったことを言っただけだ」
「っ……そう。相変わらずたちっ……あんたは軽薄ね」
「すいませんねっと」
「……ふん」
ありがとう。
目の前の相手にそれを口に出すことはできなかった。
そこで会話が途切れた。
「……ん?」
そう思っていたが、あいつが怪訝そうな声をあげる。
「時折なんとなく違和感を覚えていたんだが、ようやくわかった。さっきから何を
「え、ななな、何のこと?」
「いや動揺よ。何のことかわかってるヤツの反応だろそれ」
うっ……誤魔化せなかった。
気づかれてしまうなんて……
いやでも何のことか話すのは少し、いやかなりキツイというか。
「……」
「……ハァ、まあいいけど」
よかった、諦めてくれたみたい――
「とりあえず
――と安堵していた内心がすぐに沸騰した。
こいつの言葉に我慢できずテーブルを叩く。
「あ、あんたねぇ……! あんたはなんだって毎度毎度そう私をイラつかせて……!」
「は、はぁ? 今の言葉のどこにイラつかせる要素が」
「私ができないことをさらっとやってのけて楽しい!?」
「え、えぇ……?」
目の前であいつは心底わけが変わらないという雰囲気を出す。
「呼び方! あんた今私のこと白石って呼んだ!」
「お、おう。それが……ああ悪い、嫌だったか?」
そうじゃないわよ!
「じゃなくて! 私があんたのこと呼べてないところで白石ってさらっと呼んできたのがムカつくって言ってるの!」
「は、はぁ……」
まだあいつは困惑し続けている。
「なんか言いたいわけ!?」
「いや、まあ……呼べないなら別に今まで通りそのあんた呼びでいいんじゃないか?」
「っ……!」
せっかく私があんた呼びをやめてあげようとしてるっていうのにこいつ……!
もういい!
折角遠慮してあげてたのに、そんなこと言うのなら知らないんだから!
「あっ……」
なぜか挙動不審になったあいつ――いや、橘に向けてビシッと人差し指を差す。
「あんたのことこれからは橘って呼ぶから! 絶対にそう呼ぶんだから! いいわね!?」
「いや、ちょ、声がでか「聞いてるの!?」わ、わかったから声を」
「えっと……?」
「!?」
そこでようやく藤本孝平が戻ってきていたのに気づいた。
ものすごく困惑している。
「あー……」
「いや、ええっと……」
「さ、咲希ちゃん? い、今のは……?」
しかもその後ろに舞宵もいた。
ものすごく戸惑っている。
「その……」
私は何も言えないまま、さっきまで勢いよく突きつけていた人差し指を力なくテーブルへ置いた。
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