wolf in sheep's clothing①

 ◆高校生


 その日は、朝から季節外れの肌寒い風が吹き、昼前には梅雨空がしとしとと雨を降らせていた。定期考査一日目。生徒たちの心境を写し出すかのようなどんよりとした空気が、学校のみならず帰りの通学路にまで充満していたように思う。

 そんな中を、僕は傘も差さずに歩いていた。朝の天気予報では、「お昼からの空は、それまでの雨模様が嘘みたいによく晴れるでしょう」と伝えていて、まあ、実際は日をまたいでも雨は降り続いたので、それは嘘みたいな嘘だったのだけれど。傘を求める学生でごった返したコンビニを横目に、「このくらいなら」と覚悟を決めて、雨粒の下へ飛び出したというわけだ。

 馴染みのスーパーを通りかかる頃には、すっかり濡れねずみの姿となり、さすがにこの状態で店内に入るのは申し訳ないと、晩飯の物色は諦めて出直すことにした。が、その時だ。僕の視界の隅で動く影を認めた。

 店先に並んだリサイクルボックスの端。ポツンと一つだけ置かれた段ボール箱。それが僅かに左右に揺れている。風の悪戯を疑う暇もなく、段ボール箱の蓋が跳ね上がり、中から真っ黒い毛玉が顔を覗かせた。

 もしもあの時、目の前の信号が青だったなら。きっと僕は見なかったことにして、そのまま通り過ぎていただろう。だが、渡ろうとしていた信号がちょうど赤に変わり、経験上この信号が青に変わるまで長く待たされることを知っていた。

 店の出口付近の気配を探り、周りに人がいないかを確認する。ふらりと段ボール箱に近づいてみた。白いタオルに包まった毛玉の正体は、まだ産まれて間もない子猫のようだ。

 近寄ったことで更なる発見がいくつかあった。一つ、段ボール箱の正面に張り紙がされており、『ご自由にどうぞ』と書かれていること。二つ、なんと捨て猫だけでなく、段ボール箱の影には金魚鉢に入った捨て亀がいた。三つ、雨のせいで客入りが少ないせいか、早くも弁当類に値引きがされている。

 僕はそいつを抱き上げて、視線を合わせる。そしてもう一度、段ボール箱の張り紙を読んだ。『ご自由にどうぞ』。その言葉が、ひどく滑稽こっけいに見えてくる。

 自由なんて何処にもありはしないじゃないか。もしここで誰にも拾ってもらえなければ、後に待っているのは悲惨な未来だけだ。そう思った途端、『ご自由にどうぞ』の文字が、『ご自由にお持ちください』から、『もう勝手にしてください』と、お払い箱を言い渡すような言葉に変貌を遂げた気がした。

 「お前、うちに来るかい?」

 返事を期待したわけではないが、誰でもいいから背中を押して欲しいと思っていたのは確かだ。

 すると突然、背後から声がした。

 「いや、そこは子猫でしょ」

 振り返れば、そこには傘を差した女の子が立っており、さらにその女の子が僕と同じ学校の制服を着ていたので、余計に驚いた。危うく抱えていた金魚鉢を落としてしまいそうになる。

 「えっと、君は?」

 「不良が雨の日に拾うのは、子猫って相場が決まってんのよ」

 「相場が。いつの間に」

 「それなのに、なんで亀の方を拾っちゃうわけ? あんた、もしかして浦島太郎の子孫?」

 それが僕、鴻鳥廻こうのとりめぐると四宮梓の運命の出会いだった。 


 昼休み。廻は中庭のベンチに腰掛け、大きく伸びをする。傍らには、一つ120円のコロッケパンと苺オレが入った紙袋。購買兼学食の席はいつも満席で、それならばと教室より断然解放感あふれるこの中庭に足繁く通うようになった。周りには同じような考えのグループがいくつかあり、誰も彼も楽しげにいこいのひと時を過ごしている。

 空腹を満たし終えたところで、校舎の方から歩いてくる梓の姿を視界に捉えた。足元の花壇は目に入らないのか、ずかずかと真っ直ぐ向かってきたかと思えば、空いているスペースがあるにも関わらず、ベンチのド真ん中に腰を下ろそうとする。「うお」廻はお尻で踏み潰される寸前で横にずれた。

 「あんた、いつもこんな場所でお昼を食べてんの?」

 「まあ、雨の日以外は大体」

 「一人で? 寂しくないわけ?」

 「これっぽっちも寂しくないよ。だって、ここなら誰にも邪魔されず、考え事に集中できるからね。ちょうど今も、『どうして僕は友達が少ないのか』について考えていたところさ」

 「はいはい。寂しいなら寂しいって、素直に言えばいいじゃない」梓はわずらわしそうにため息つきながら、廻の隣に置いてある紙袋をひったくって、中身を確認する。コロッケパンの包装を見つけて盛大に舌打ちし、空になった苺オレの紙パックを振って、再び舌打ちをした。「友達が少ない理由なんて、考えるまでもなく答えは出てるでしょうが」

 「嘘だろ? 僕でさえ一年以上も解けなかった謎を、あの四宮が解いたって言うのか」

 「謎も何も、自分の頭をよく見なさいよ」

 「え? 似合ってないかな、この髪形。自分では結構イケてると思うんだけど」

 「あんた、わざと言ってるでしょ。問題は髪形じゃなくて、色よ、色。誰が好きこのんで、不良とつるむわけ?」

 そう指摘された廻は、自分の前髪を詰まんで、じっくりと眺める。それは幼い頃に観た、巨大怪獣を相手にたった一人で立ち向かう特撮ヒーローと同じ色。あるいは吸血鬼や狼男さえも討ち払う弾丸の色。「うわ、いつの間にか髪が綺麗な銀色に! 一体誰がこんな事を」

 「はぁ」梓がベンチに深く座り直すと、背もたれに体を預けて目を閉じた。空は清々しいほどの快晴。一瞬だけ吹いた風が袖から服の中に入り込み、体の熱を奪っていく。

 「でもさ、僕は思うんだ。僕って、この学校だと中々の珍獣だろ? だったらさ、もっと人気が出てもいい気がするんだ。動物園のパンダ然り、河に迷い込んだアザラシ然り」

 「それらと進学校の不良を同列に語るのは無理があるわね。珍しさは同じでも、パンダやアザラシには、尚且なおかつ人を惹きつけるだけの愛嬌があるから、チヤホヤされるのよ。残念ながら、あんたじゃ愛嬌が足りないわ」

 「ひどい言われようだ」廻はうな垂れ、梓に泣きつく。「でもでも、四宮だけは愛嬌のない不良を見捨てないでくれるよな?」

 「そうね。けど、気を付けなさい。流行り廃りなんてのは、あっという間なんだから」

 「ダハッ」

 あまりの辛辣さにベンチから崩れ落ちそうになった廻が、さらに続ける。

「……四宮はクラスの連中みたいに僕が怖くないのかよ。不良だぞ。ヤンキーだぞ。がおー」

 「ろくに親にも歯向かえないお子ちゃまを、はたして不良と呼んで良いものかしら。それに私は中学生の時に、もっとゴリッゴリの不良を目の当たりにしてるから。それと比べたら、あんたなんて月とスッポンよ」

 「悪かったな。どうせ僕は、不良をやるために父親の言う通りの高校に入ったスッポンだよ」泣き言と共に顔を上げると、隣に座る梓がまじまじと顔を覗き込んできた。唇が触れ合いそうなほどの顔の近さにたじろぎ、廻は慌てて体を起こす。「殿中でござる。校内でござる」

 「廻の大人嫌いは父親が原因だと踏んでたんだけど、どうもそれだけではなさそうね」

 「大人嫌い? 僕が?」

 「そうでしょ?」

 「そうだけど……」

 廻の頭の中に、一人の女性の顔が浮かび上がってくる。つい眉間に皴が寄ってしまうので、指で擦って誤魔化した。

 廻の母親は、廻を出産して間もなく日本を離れ、今や世界を股に掛ける一流デザイナーとして方々で活躍している。ただし彼女がデザイナーとしては一流でも、母親としては三流以下だったのは言うまでもない。これまでに廻が母親と顔を合わせた回数は、片手の指で足りる程度しかなく、彼女の顔を拝むのは大抵、展覧会の盛況さを伝えるテレビ画面越しか、あるいは男女関係のスキャンダルを報じるネットニュースで、だった。

 自宅にマスコミが押し寄せたのだって、一度や二度の話ではない。ところが、父親は父親で医者という職業の忙しさに追われ、育児を家政婦に任せっきりにして、家を空けることが少なくなかった。詰まる所、それら全ての煽りを食ったのが、まだ幼い頃の廻だった。

 鴻鳥廻は、勝手な大人を嫌悪する。勝手なくせに、偉そうにする大人を嫌悪する。そんな大人に逆らえない、自分自身を嫌悪する。

 「なるほどね。あんた、たまに先生を見る目がヤバい時があるわよ。クラスで怯えられているのは、それが原因なんじゃない?」

 「ええ? 注意してたつもりだけどなぁ」

 すると、それまで和やかな雰囲気だった中庭が、一転して張り詰めた空気に包まれる。辺りがざわつき始め、隣のベンチに座っていたグループが急いで弁当箱をしまい、校舎の方向へ戻って行った。

 「噂をすれば、偉そうな大人部門と勝手な大人部門の二冠が歩いてくるわ」

 「ほんとだ、桂教頭だ」

 夏服の学生たちの間を、肩で風をきるように歩くスーツ姿の男。ビシッと決めた七三分けに、顔に刻まれた深い皴。彼こそが我が校のナンバー2であり、時代遅れの行き過ぎた指導と出世争いにおける教育者とは到底思えない汚いやり口が原因で、学生のみならず同僚の先生たちにまで避けられている、いわば我が校きっての嫌われ者だ。ちなみに彼の苗字は、桂ではない。

 その教頭が、同じベンチに座る二人に気づくと、分かりやすく不快そうな表情を浮かべた。すぐさま180度進路を変え、来た道を戻っていく。

 「廻、相当嫌われてるわね」

 「いやいや、今のは四宮の方を見てたんだよ」

 「はぁ? どう考えたって、あんたのその銀髪が目に入ったからでしょ」

 「もし僕が桂教頭だったら、あんな奴になるなんて想像しただけでも虫唾が走るけど、仮にそうだとしたら、創立者の銅像を女装させた問題児の方を目の敵にすると思うけどなぁ」

 「あれは頭に雪が積もって寒そうだったから、カツラを被せてあげただけよ。純粋な善意よ、善意。そしたら意外と似合ってて、服も着せてみたくなっただけで」

 ムキになって言い争う二人をよそに、教頭とその連れの背中が小さくなっていく。

 「一緒にいるのは、誰かしら?」梓が教頭の隣にいる学生を見ながら訊ねた。

 「名前は知らないけど、学年集会で何度か見た顔だから、たぶん同級生だと思う」

 「ふーん」梓は腕を組み、しばらく考え込んだ後に言う。「廻。ちょっと行って、教頭の頭をぶん殴ってきなさい」

 「何でだよ」

 「あんた、不良。教師、殴る」

 「それはもう不良とかじゃなくて異常者だろ」例によって滅茶苦茶なことを言い始めた梓に対し、廻が目を剥いた。「っていうか、その喋り方は何?」

 「不良なんて全員異常者でしょ」

 「うわ、これ以上ない偏見! 不良は皆が皆、出会い頭に人を殴りつけるようなやからだと勘違いしてないか? そもそも一口に不良って言っても、挨拶に厳しい不良もいれば、アイスをこよなく愛する不良とか、あとは身長が2メートル近くある不良だっていて」

 「あー、もう。知らないわよ。うるさい、うるさい」

 梓がハエを追い払うみたいな動作で、廻の反論を一蹴する。再度ベンチの背もたれに体を預け、目を閉じた。抗議を強引に打ち切られてしまった廻は、言葉にならなかった残留物をため息と共に吐き出し、途中からずっと気になっていたことを訊ねた。

 「ちなみにだけど、四宮が会ったっていうゴリッゴリの不良ってどんな感じだったの?」

 「んー。一言でいえば、ニワトリね」

 「ニワトリ?」

 「そ。ニワトリ」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る