漁夫の利①

 大石順平おおいしじゅんぺいは学生時代、四宮梓しのみやあずさが立たされている場面を何度も目撃した。

 

 それは時に、子供同士の幼稚ないさかいの事情聴取であったり、あるいは大人と子供、主に先生と生徒という関係で繰り広げられる彼女の大立ち回りが原因だったりした。

 いずれも張本人である梓は、まるで気にした様子もなく、飄々と。良く言えば、感情を表に出さない。悪く言えば、反省の色が見えない彼女の態度は、むしろ烈火の如く怒鳴る大人たちをさらに刺激し、熱の吹き出すかまどに薪をくべる結果となる事が多かった。

 「座ってもよろしいでしょうか?」

 そう言うと、ばつが悪そうに視線を逸らした現在の四宮梓。順平は口に運ぼうとしていたフライドポテトを一旦お皿に戻すと、テーブルの横に突っ立っている梓を見る。白く透き通るような肌と整った顔立ち。上下グレーのスウェットにパーカーを羽織っただけの質素な服装が何とも不釣り合いな感じだが、自分たち以外に客がいない寂れた深夜のファミレスでは、その格好の方こそが相応しいようにも思える。

 「どうぞ、どうぞ。是非とも座ってください。ね? いいですよね?」

 わざわざ順平の正面を開ける様に、斜め前の席に座った松田慶太まつだけいたが、無言の二人に痺れを切らして助け舟を出した。短髪童顔でオロオロする姿は、街でカツアゲを食らった中学生と言われても違和感はない。

 順平は慶太の必死な顔を眺めた後、軽く目を伏せた。採用面接官よろしく、正面の席に手のひらを差し出す。「お掛けください」

 それを聞いた途端、梓は「はぁーっ」と体中の空気を一気に吐き出した。履いていたつっかけを脱ぎ捨てたかと思えば、席に着くなりテーブルに肘をつき、ソファーに膝を立てる。

 「おい」

 「何よ、順平。文句があるわけ?」

 梓の圧に負け、言い淀む。「文句は、ない」

 「じゃあ、それ。寄越しなさいよ」

 何が「じゃあ」なのか全く分からないが、取り上げられてしまったポテトの皿。平常通りの横暴っぷりに怒りが込み上げてくるどころか、どこかホッとしてしまう自分がいる。

 順平は男ばかり四人兄弟の末っ子で、一番上の兄とは歳が十も離れている。家は裕福ではないと自信を持って言える程度に貧乏。家族六人の内、五人が男でありながら、誰一人として唯一の女性である母親に頭が上がらない。『金はないが笑いはある』と豪語していた父のヘソクリは、発見した母の財布の中に消えたまま行方知れず。その時の母は、上唇がおでこにくっつくんじゃないかと思うくらい豪快に笑っていた。

 「ん」

 「ん?」

 「……あんた、相変わらず気が利かないわね。タバスコよ、タバスコ」

 梓とは住む家が近く、いわゆる幼馴染の関係だ。同じ病院、一日違いで産まれた縁もあって、彼女は物心つくより前からよく家に遊びに来た。悪癖とも言うべき彼女の身勝手な振る舞いは、もっぱら母に虐げられてきた男たち四人(父と兄三人)が可愛がり過ぎた成果である。勘違いした梓は自分の事をお姫様、順平の事は家来か何かだと思い込んでいる節がある。

 「また開けっ放し。口酸っぱく言ってるだろ。フタは開けたら閉めろって」

 「うるさいわね」注意された梓は面倒くさそうに順平を一瞥した後、「開けてんのよ」と言ってタバスコのかかったポテトの上に、さらに同じ量のタバスコを振りかけた。それが適量でないのは誰の目にも明らかで、しかし彼女はそれを指でつまみ、平然と口へ運ぶ。一瞬だけ表情が曇ったものの、こちらの視線に気づいたのか、水と一緒に飲み下した。

 空になった自分のコップを隣の慶太のコップと交換しながら梓が喋る。「それにしても珍しい組み合わせね。二人がそんなに仲良しだったなんて知らなかった」

 「仲良しかどうかはさておき、別に珍しくはないだろ」

 「珍しいわよ。あんたん家の夕飯のテーブルに、特上寿司と焼肉が一緒に並ぶくらいレアよ」

 「そんなにか」と口にしかけて、確かにその通りだなと思い、口を噤んだ。

 松田慶太は高校の一学年下の後輩で、ある頃から梓の腰巾着となり、それまで不本意にも順平の役回りだった使いっぱしりを嬉々として引き継いだ筋金入りの変わり者だ。そのため学生時代には頻繁に顔を合わせる機会があったのだが、一対一で話した回数となると数えるほどしかない。ツレのツレという認識が正しい。

 「それで、私に何か用?」梓は順平を見据える。

 「これといって」

 「これといって?」

 「俺はお前を呼び出すように頼まれただけだから」

 順平は、入店直後のしおらしい姿から化けの皮が剥がれ、豹変した梓に驚き呆けている慶太を指さす。

 「慶太が?」

 「お久しぶりです、先輩。すいません、突然こんな時間に呼び出してしまって。実はどうしてもお話したい事が、痛ッ」ようやく我に返った慶太が、慌てて立ち上がろうとして勢いよく膝をテーブルにぶつけた。コップや皿の飛び跳ねる音が鳴る。幸いにも、割れたり倒れたりという被害はなかったが、慶太は体がよろけ、苦痛に顔を歪めた。

 「あーあ。もう、何してんのよ。大丈夫?」

 「いてて。えぇ、平気です」

 「ならいいけど……。何だか顔色が良くないわよ? ちゃんとご飯食べてるの? ほら、とりあえずこれでも食べて」

 そう言って差し出されたのは、先ほどタバスコ塗れにされたフライドポテトの皿。慶太はチラリと注文主である順平の方に目をやる。元々、ここの勘定は全て慶太が持つ約束なのだから、確認なんてせずとも好きに食べてもらって構わないのだが。

 何の気なしに隣のテーブルに顔を向けた梓が驚きで目を剥いた。どうやら誰もいないテーブルの上に積み上がった、料理の載っていない皿に気づいたらしい。

 「私を呼び出すついでに大食いをするよう頼まれたわけ?」

 「まさか」順平は肩をすくめる。

 「じゃあ、何よ、これは」

 「こちらとしても、就寝の準備を終えて、さあ布団に入ろうかって時に、呼び出しを食らったもんでな。食べなきゃやってらんないだろ」

 「それにしたって限度ってもんがあるでしょ。関取じゃあるまいし、寝ようとしてた人間の胃袋に収まっていい量じゃないわよ。あんた、いつか自分の臓器に殺されるぞ」


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