漁夫の利②


 皿の上の料理を全て片したところで店員を呼んだ。梓がドリンクバーで子供染みたお約束をし、慶太が真っ赤になった唇をソフトクリームで冷やす。順平も食べ損ねたフライドポテトに加え、数品を注文した。

 鉄火丼をかきこみながら慶太の近況に耳を傾ける。ちょうど箸を置くタイミングで、正面の梓から刺すような視線を感じた。

 「言いたい事があるなら聞くぞ」

 「じゃあ言わせて貰うけど。夜中にいきなり電話してきて、『話があるから出てこい』なんて、非常識だと思わないの?」

 「全く思わんな。過去にお前は、やれ寝坊しただの、やれ忘れてただのと言って、俺との約束をすっぽかしてきた。礼儀知らずで常識外れな相手に、常識を説かれる筋合いはない」

 「……それとこれとは話が別でしょ」

 「第一、非常識だと思うなら来なければ良かっただろ。実際、俺はお前が来ない可能性の方が高いと踏んでたしな」

 「『来なけりゃ今生の別れだ』なんて言われちゃ、行かないわけにいかないでしょ。そもそも、よくウチの電話番号が分かったわね。一体どんな情報網してんのよ」

 「情報網? いいや、連絡網だけど」

 順平はポケットから丁寧に折り畳まれた紙を取り出す。偶然にしろ、意図的しろ、梓とは『幼馴染』という言葉に恥じぬ程度には、何度も同じ教室で机を並べてきた。そのため家捜しをすれば、四宮家の電話番号が載った連絡網など、あと二、三枚は余裕で見つかるだろう。セキュリティーだの、プライバシーだのに疎い母は、そういうのを捨てずに保存しているタイプの人間だ。

 「古き良き時代!」梓は頭を抱え、うわ言のように呟く。「おばさまったら」ふと、朝早くに自分で連絡網を回す小学生の梓と、それを受け取る母とのやりとりが脳裏に蘇った。

 「で、お前は最近どうなんだ? 近況を話す気はあるのか?」

 不意打ち的な順平の問いに、梓は何も答えぬまま、気まずそうに視線を逸らした。途端に、辺りに重苦しい空気が漂い、斜め前で相槌を打っていた慶太も時が止まったみたいに固まってしまう。再会直後のそれとはまた別な沈黙。薄っすらと聴こえる店内BGMが、やけに耳障りに思えた。

 どうやら梓は質問に答える気がないらしい。低いくぐもった声が返ってくる。「あんたこそ、どうなのよ」

 「俺か? 俺はまあ、普通だな。会社に行って、帰って。また会社に行って、たまに遊んで。話してやってもいいが、面白いかどうかは保証しかねるなぁ」

 「……ツマンナイヤツ」

 「ところがどっこい。意外にも結構詰まってんだよね」

 順平は、おもむろに椅子から立ち上がるとシャツを捲りあげ、業務用の冷凍食品でぽっこり膨らんだ腹を見せつけた。手のひらで軽く張ると、ペチッという可愛らしい音が鳴る。「食い過ぎた。ちょっとトイレ」

 「死ね、ハゲ。そのまま一緒に海まで流れてけ」

背中に罵声を浴びながら、順平は喫煙席の方にあるトイレへ向かった。


 禁煙席の方に戻ってくるなり、何やら大声で話す慶太の声が聞こえた。深夜で自分たち以外に客がいないとはいえ、さすがに店から追い出されやしないかとヒヤヒヤしながら辺りを窺う。が、店内に人影はなく、厨房から店員が出てくる気配もない。慣れているのか、ただ単に巻き込まれたくないだけか。その両方だろうな、とは思った。

 席に戻ると、あからさまに慶太の様子がおかしかった。肩で息をして、目の周りが赤い。梓は梓で俯き、テーブルの一点を見つめたまま動かない。

 どちらかがどちらかの地雷を踏み抜いたか。

 順平は黙って席に着いた。お腹もいい具合に膨れ、眠気が再来する予兆がある。この状態をキープして家に帰れば、きっとぐっすり眠れることだろう。

 もう帰ってもいいかな?

 逃走経路を確認する途中で、伝票が何枚も折り重ねて入れられた透明の筒を視界の端に捕えてしまい、ギリギリのところで帰宅を断念する。

 「そういえば先日、街で香川隼人を見かけたな」

 「カガワハヤト?」ピリピリした空気を打開すべく、順平が藁をも掴む思いで投げた一投に見事食いついた梓は、一瞬頭上にハテナマークを浮かべていたものの、すぐに見当がついたらしい。「それって、あの?」

 「ボロ座布団の香川隼人」

 「あー、いたいた。懐かしいわね。ボロ座布団の香川先生」

 眩しく輝く物でも見るかのように目を細め、微笑んだ梓。その顔が、もう二度と戻る事の出来ないあの頃の梓とダブる。途端に目の前が真っ白な光に包まれて、順平は思わず目を瞑った。


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