wolf in sheep's clothing②
◆
廻が小学生の頃、『三日続けて、学校以外の場所で偶然出会った二人は両想いになる』というオマジナイが、にわかに流行した。
今にして思えば、作者の願望が駄々漏れしただけの、いかにも幼稚な発想だと気づけるのだが、当時の廻や同級生たちはそれを見破る事ができず、ある女子は好きな男子が通う塾の前で二時間張り込み、またある男子は直接好きな女子の家を訪問し、「それは偶然じゃないでしょ」と、すげなく追い返されてしまった。
高校生になった廻が、今になってそのオマジナイを思い出したのは、自分がまさしくその状況に出くわしたからだった。
同じクラスの女子を、偶然二日連続で見かけた。一度目は学校の帰り道で。二度目は街中で。都会と違い、学生の遊び場が限られる此処いらでは、放課後にクラスメイトを見かけるのは何ら珍しいことではない。ただし彼女の場合は、記憶に残るだけの理由があった。
同じクラスの女子こと鈴木沙奈は、どの時も隣に外国人の男性を連れていた。帰り道、向かい側から歩いてくる彼女の横には、大きなリュックサックを背負った白人男性が。続いて街中で見かけた時には、筋骨隆々、タンクトップ姿の黒人男性が。いずれも楽しげに談笑しているのが印象的だった。
そして現在の廻はというと、その鈴木沙奈と共に交番へと向かっている。もちろん傍には外国人男性、もとい迷子の外国人男児を連れ立っていた。
何がどうしてこうなったのか。三日連続で妙な場面に遭遇し、思わず声をかけてしまった結果なのは間違いないが、同じクラスでもまともに喋ったことは一度もなく、頭も良くて性格も明るい、古臭い言い方をすればクラスのマドンナ的存在である鈴木沙奈が、クラスの鼻つまみ者的存在である廻と一緒に行動しているというのが、何とも不思議な感じだった。
交番に着き、事情を説明する。鈴木沙奈と男児はさらに詳しく話を聞くために、若くて優しそうな警官に連れられて行った。その一方で、何故か廻は交番の奥へと通された。
部屋に入るとパイプ椅子が二脚、向かい合わせに置かれており、戸棚を漁っていた警官が悪態をついてから腰かけた。廻は相手の了承を得ぬまま、空いているもう片方に腰を下ろす。
「もしやここが噂の取調べ室ですか? 長野さん」明らかに給湯室風の部屋を見回しながら、廻が訊ねる。
「つまんねえ冗談だな、廻ちゃん。そんなもんが交番にあるわけねえだろ。それともなにかい、テメエは交番勤務の俺を馬鹿にしてんのか?」
室内が静寂に包まれる。けれど、しばらくして長野が噴出したのを合図に、二人は歯を見せて笑い合った。
「似合わねえくせに敬語なんか使ってんじゃねえぞ、廻。背中がむず痒くて仕方ねえや」
「ここは交番で、長野さんは一応警察官だからね。僕なりに気を使ったんだよ」
「一応って何だよ、一応って。俺はいつでもどこでも立派な警察官だっての」
「はいはい。そっちこそ、今度は誰のモノマネ?」
「警察学校教官、鬼の千石さんな。それがとてつもなく怖い人でよ。生徒の名前をちゃん付けで呼ぶし、笑いながら人の事を蹴ったり殴ったりするんだぜ? 何より顔がおっかねえんだ。おかげで俺、ヤーさんの顔を見ても、何とも思わねえもん」
長野次郎。二十六歳、警察官。考えるよりも先に、口か体が動くタイプ。高校生の頃、女子の体操着を盗んで売り
何を隠そう、その手帳を本人の代わりに見つけ出したのが廻だ。廻としては、髪を染めてからというもの警察官とは相性が良くないため、関わり合いになりたくないというのが本音だったが、路地の真ん中に大の字で寝そべり、甲子園で敗退した高校球児ばりに号泣する長野を放っておけず、一緒になって手帳を探してあげたのだった。
それ以来、街で会えば挨拶を交わし、世間話をするくらいには仲良くなった。長野は勝手で偉そうな大人ではあるが、他の大人みたいに不良だからという理由で疑ったり、決めつけたりはしない。廻がうまく付き合える数少ない大人の一人だ。
「で、僕はどうして此処に呼ばれたの?」
「そんなの決まってんだろ。俺が暇だから、話し相手になってもらうためだ」
「いや、それ駄目でしょ」
「馬鹿野郎。警察が暇で駄目なんてことはねえんだよ。俺たちが暇ってことは、街は平和だってことなんだから」
「上手いこと言って、ただのサボりじゃん。第一、僕は警察業務で忙しそうな長野さんを見た事がない」
「まあまあまあまあまあまあ」長野が慌てて立ち上がったかと思えば、机に置いてあった湯呑みを手に取り、「廻も飲むか?」と甲斐甲斐しくお茶を入れ始める。廻は断ったが、「遠慮すんなって」と、ほんのりお茶の香りがするお湯を押し付けられてしまい、仕方なく息で冷ましてから口をつけた。
「表のアレ、お前の彼女?」見るからに好奇心に染まった目で長野が訊ねる。
「何を期待してるのか知らないけど、違うよ。ただのクラスメイト」
「けど、仲は良いんだろ?」
「きちんと喋ったのは今日が初めてかな」
「はぁ? 初めてって、もう七月だぞ。もしかしてお前、クラスに友達が少ないのか?」
「まあ、こんな見た目だし。多くはないよね」廻が眉を掻きながら答える。一般的に0を多い数字とは言わないので、嘘ではない。
「なんだぁ? まさか不良のくせに、いじめられてんじゃねえだろうな?」
「よしてよ。話が飛躍してるって」
「もしそうだとしたら、俺が廻のクラスに乗り込んで、傍観する奴らもまとめて逮捕してやるよ」
廻は想像する。白昼堂々、単身で教室に乗り込んできた警官が、目に付いた生徒から順に手錠をかけていく一幕を。彼は駆け付けた教師に対して、無礼も気にせず言ってのけるのだろう。「イジメなんてのは、大人が強制的に介入しなけりゃどうにもならねえんだよ。それなのにテメエら教師ときたら、揃いも揃って知らん顔しやがって。だから代わりに警察が逮捕してやってんだろうが。そんな俺にテメエらは感謝こそすれ、文句を言う権利はねえんだよ」
空っぽになった湯呑みを流しへ運び、自らスポンジを取って洗う。一人暮らしを始めてからというもの、家事の中で胸を張って上達したと言えるのがコップを洗う事だった。
洗い終えた湯呑みを水きりラックに乗せ、廻が顔を上げた。「そうだ。ちょっと質問があるんだけど」
「どうした? 友達の作り方が聞きたいのか? ならば、その道のプロである長野様が直々に教えを授けてやろう。いいか? よく聞けよ?」そう言うと、長野は恐らく競馬雑誌の受け売りであろう言葉を自信満々に吐く。「本当の敵は諦めだ。追わなければ、何も掴めない。金も運も、あと友達も、どこにも逃げやしない。逃げるのは馬だけだ」
「何故だか友達の部分が凄くオマケみたいに聞こえるけど、そうじゃないよ、長野様」
「そうじゃないのかよ。せっかく良いこと言ったのに、そうじゃないのかよ。だったら、一体なんだ?」
「見かける度に異なる外国人男性を連れてる女子が居たとして、その女子は一体何が目的でそんな事をしてるんだと思う?」
「は? 外国人男性? 目的?」
「うーんと、説明が難しいんだけど……」
そこで廻は、名前の部分は
「そこはノーコメントで」
「ふむふむ。今ので全部分かったぞ。それは援助交際ってやつだ」
「間違いねえよ」と、自分の推理に満足がいったのか、警官から名探偵に鞍替えした長野が腕を組んで頷く。ただし、無意識のうちに鼻の下が伸びてしまっているため、探偵特有の知的さも説得力もあったものではない。
「何を言い出すかと思えば。それは長野さんの願望だろ?」
「まあ聞けって。廻くらいの年頃はな、女子は自分がどんな風に大人の階段を上るのか、男子はどうやって自分の上に女を登らせるかにしか興味ないんだよ。つまり、エンコーだよ、エンコー」
「暴論だよ。大体、外国人の部分は、どう説明するのさ」
「それは、まあ、嬢ちゃんの趣味だな。趣味ってのは人それぞれあるもんだ。他人がとやかく口出しするもんじゃねえ」
「はぁ。何が全部分かっただよ。分かったのは、長野さんの脳内が年中ピンク色だって事だけだ」
とは言うものの、実は援助交際の線について、廻も考慮に入れなかったわけではない。ただ、知り合いと出くわす可能性が高い場所であんなに堂々と、しかも学生にとっての身分証明書である制服を着たまま世間的にやましい行為に手を染めるとは考えづらく、早々に候補からは除外していた。
廻はやれやれと首を振る。「友達作りのプロも、この程度か」
「うるせえなあ。廻に分かんねえことが、この俺に分かるわけねえだろ」すでに思考する事を諦めた長野が、鼻をほじりながら壁に掛かったカレンダーを眺める。「そういや、学生はもうすぐ夏休みか?」
「僕らは補習があるからまだ先だけど、小中学校は昨日が終業式だったみたい」
「俺さ、思うんだけど。夏休みって本当は子供じゃなくて、大人にこそ必要なんじゃないかって。街のため、市民のためって薄給でこき使われて、うんざりするよ」前途ある若者をわざわざ別室に呼び出し、思う存分、擦れた大人の愚痴を聞かせる警察官。あまつさえ、転職をチラつかせる。「俺、もっと休みが多い仕事に就こうかな」
「例えば?」
「実を言うと一つ考えがあってさ。夏の間は、肉まん屋をしようと思うんだ」
その発言の意図に、すぐにピンと来た廻が苦笑いを浮かべた。「確かに夏場はあまり売れそうにないから、好きなだけ休みが取れるかもしれないね」
「だろ? そんでもって、冬は肉まん屋を休んで、かき氷屋をするんだ」
ひたすら休日の数にだけフォーカスした仕事選び。それだと収入もなくて、緩やかに困窮していくだけではないかと思うが、口には出さない。
「いいんじゃない? きっと長野さんなら、どんな職業でも上手くやっていけると思うよ」
「そうかな? 自分では少しだけ馬鹿な考えなんじゃないかって思ってたんだけど、頭の良い廻にそう言われると何だか自信が沸いてきたぞ。ありがとな」
「いえいえ。どういたしまして」
人は誰しも、いつか大人になる。この先、突然の事故や病にかかって死んでしまわない限り、嫌だろうが何だろうが大人になる。その時、はたして自分はどんな大人になっているだろうか。家庭を放り出し、死んだ魚のような目で仕事に追われる大人か。あるいは子供のように溌剌と笑う、目の前の警官のような大人か。できる事ならば自分は後者でありたい。廻は、心からそう思った。
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