wolf in sheep's clothing③
◆
今年の夏は、例年に比べて気温が一段と高いらしい。ニュース番組では、ここぞとばかりに地球温暖化について特集し、連日どこそこで最高気温を更新したのだと、まるで高得点を競うかのような論調で報道されている。
「もしもし? 順平? 今どこにいるのよ」
茹だるような暑さの廊下から、梓の声が届く。「ちょっと電話してくる」と言い残し、わざわざクーラーのある部屋を出て行った彼女は、戻ってくるなり廻が用意したコップの水を
梓の幼馴染である大石順平には、紹介された当初、随分な警戒をされていたようだ。
「お前な。子猫だけじゃなくて、ヤンキーも拾ったのかよ」と、本人を目の前にしてかなり失礼な発言もあった。だが、知り合ったきっかけの話になると、「あいつ今、不良漫画にハマってるからな」と腹を抱えて笑われ、さらには「いきなり変な奴に絡まれて、あんたも災難だったな」と何やら仲間意識でも芽生えさせたのか、二人が打ち解けるのにそう時間はかからなかった。今ではお互いに、下の名前で呼び合うほどの仲だ。
「順平、何かあった?」廻が心配そうに訊ねる。前もって知らされた話では、梓と順平が一人暮らしの廻の家に集まって、夏休みの宿題に取り組む予定だった。
「家族で里帰りしてるみたい。墓参りだって」
「そっか。確かにそんな時期だもんね」
「私、墓参りって一度もしたことがないんだけど、そんなに頻繁にしなくちゃいけないものなの?」
「んー、どうなんだろう。信仰する宗教にもよるんだろうけど、実は僕も墓参りってしたことなくて」廻は腕組みして考える。ふと気になった事を訊ねた。「っていうか、四宮がこの勉強会を提案した時に、順平の予定を確認しなかったのか?」
「なんで私が順平の予定を一々確認しなきゃならないのよ。私が呼べば順平は来るんだから、必要ないじゃない」
それがさも当然の事かのように言う梓。110番すれば警察は来るのよ、知らないの?と、逆にこちらの無知を
「何か言った?」
「いえ、何も」
一息ついたところでようやく宿題に手を付けるのかと思えば、一向にその気配はない。梓が部屋にある水槽と向かい合う。
「ほら、沢山食べなさい」
「ちょっと。餌をあげ過ぎないでくれよ」
「どうして? コイツには竜宮城に連れてってもらうんだから。もっと大きくならないと甲羅に乗る時に困るでしょ」
飼い主にも内緒で立てられた壮大な計画に、廻は呆気に取られる。あの日拾ってきた子亀は、元々入っていた金魚鉢を卒業し、今は自由に動き回れるだけの広さがある水槽に引っ越した。だが、背中に人を乗せるサイズの亀となると、これよりさらに大きな水槽を用意する必要がありそうだ。
「ミドリガメには荷が重いんじゃないかな」
「は? は? 何? 何が重いですって?」重いという単語にやたらと敏感に反応する梓が詰め寄ってくる。廻は慌てて両手を挙げ、降参をアピールしたのだが、その勢いが衰える様子はない。「アホ。バカ。最低。別にいいし。竜宮城くらい、うちの子に連れてってもらうんだから」
うちの子とは、あの日、梓が連れ帰った子猫の事だろう。砂浜に立つ、アニメや漫画のキャラクターみたく巨大化した黒猫。その背中には、戦国武将が馬上で見せるような勇ましいポーズをとる彼女の姿がある。黒猫は掛け声と共に、波打ち際へ猛然と走り出し、まさに海へと飛び込もうかという瞬間、「やっぱやめた」と背中の荷物を振り落とし、一目散に逃げ出す光景が容易に想像できた。浜に戻り、猫相手に激怒する梓の姿も、だ。
「こっちよ、ガメラ」梓が水槽を指でコツコツと叩きながら呼ぶ。
「何度も言ってるけど、そいつの名前はガメラじゃないから」
「せっかく強そうな名前を考えてあげたのに、何が不満なわけ?」
「これっぽっちも可愛くない」
「大事なのは、可愛さより強そうかどうかでしょ。そんなんじゃ他所の亀に舐められるわよ? その点、うちの子はトラっていう物凄く強そうな名前をつけてあげたんだから。きっと虎くらい屈強で
廻は身に余る期待をかけられた毛玉の事を思い出して、ただただ同情する。トラネコでもないのにどうして、とは思っていたが、まさかそんな理由だったとは。水槽に目をやれば、我関せずという風に、投入された餌をむしゃむしゃと頬張るシャーロットの姿があった。
時刻は正午を回り、二人ともお腹が空いたので、ざるそばの出前を頼んだ。食事を終え、廻が器を片して部屋に戻ると、梓は断りもなく室内を物色している最中で、「おかしいわね。順平ならこの辺に隠すはずなのに」と不穏な発言と共に机の引き出しの奥や、ベッドの下を覗きこんでいた。
「暇。何かないの」すっかり宿題の存在を頭から消し去った梓が欠伸をしながら言う。
「またゲームでもする?」
廻は棚に置いてあったゲームソフトを手に取る。前回、梓と順平を家に招いた際にも一緒に遊んだもので、オーソドックスな一対一の対戦格闘ゲームだ。
「嫌よ。だって、あんたズルするもん」
「キャラクター性能の違いをズルと言われてもなぁ」
その時の試合内容が、遠距離攻撃のガンナーを操作する廻に対し、近距離攻撃の格闘家を操作する梓が手も足も出ずに完敗したというものだった。
「丸腰相手に銃を使うなんて卑怯よ。敵うわけないじゃない」
梓はああ言うが、格闘家だって勝ち筋がないわけではない。ガンナーの使う銃のリロードタイミングに合わせて一気に間合いを詰めてしまえば、そこからは近距離特化である格闘家の独壇場だ。つまり勝敗の決め手は、単純に技術と経験の差なのだが、負けず嫌いの梓はどうしてもそれを認められず、自分が勝つまで再戦を申し込もうとする。見かねて、わざと負けようものなら、何故か
「だったら四宮がガンナーを使えば?」
「お断りよ。銃がないと戦えない軟弱者に用はないわ」
仕方なく、廻は棚から別のソフトを引っ張り出す。その時、手が軽く棚にぶつかってしまい、上の段に飾ってあった物が床に転がり落ちた。
「何これ」それを拾い上げた梓が訊ねる。
「ああ、それは」
小型ボイスレコーダー『壁に耳あり君』。形状は人間の耳を模しており、30秒ほどの録音が可能。耳たぶの部分を指で摘まめば録音が始まり、耳の穴にあるボタンを押しこむと録音した音声が流れる。裏面に専用の画鋲を装着すれば、壁に貼り付けて使用できる。
「趣味悪。こんなの一体どこで買ったの?」
「通販だよ。ちょうどこの雑誌に」廻が本棚から一冊の雑誌を持ってくる。梓はそれを受け取ると、表紙に目を通して顔をしかめた。
「どうにも胡散臭そうな雑誌ね」
「これ、色んな都市伝説を紹介しててさ。例えば、地球人に成りすます宇宙人の見破り方とか、魂を保存したり入れ替えたりする技術とか、金持ち限定の会員制拷問クラブの噂とか。どう? 面白くない?」
「面白くない」梓は信憑性皆無の文字列には興味を示さず、ペラペラとページをめくっていく。件の商品が載っているページに辿り着いたところで、一つの商品を指さした。
「こっちは何かに使えそう」
彼女の興味を引いたのは眼鏡型の盗聴器で、短い紹介文によると、つるの先にある小さなボタンを押すことで最大12時間ほどの録音が可能だという。
「ユーモアが足りない。あと盗聴は良くない。普通に犯罪です」
「さすが法と正義を重んじる不良様の言うことは一味違うわね」
ポイッと投げ捨てられた雑誌を空中でナイスキャッチした廻が、梓のお眼鏡にかなった眼鏡と睨めっこする。『壁に耳あり君』とは、代金の
「そう言えば、四宮って鈴木さんと同じ中学校だよね?」
「鈴木さん? どこの鈴木さんよ」
「一組の鈴木沙奈さん」
「知らないわ、そんな奴」
「そっか」同じ学校に居たからといって、知り合いだとは限らない。クラスが違えば、名前に聞き覚えがない事くらいあるだろう。
「廻、竜宮城って知ってる?」
梓の質問に対し、まだあの野望を諦めていなかったのかと廻は呆れる。「そんなに行きたいの? 竜宮城」
「馬鹿。そうじゃなくて、竜宮城って寿司屋を知ってるか聞いてんの」
「お寿司屋さん? ああ、それなら知ってる。以前はよく食べに行ったから」
「高校生が寿司屋によく食べに行ってんじゃないわよ。生意気ね」
小学生の頃の話だし、大人に連れて行ってもらっただけだよ、と廻が苦笑混じりに弁明した。「でも、先代の大将が突然病気で亡くなったとかで、代替わりしてからは味が落ちて、客足が遠のいてるって聞いたなぁ」
「ふーん」
「それが何? あ、もしかしてお昼は蕎麦より寿司の方が良かった?」
「別に」
「代替わりと言えば、お昼に出前を頼んだお蕎麦屋さんもそうなんだけど、こっちは先代の味をきちんと受け継いでて美味しいって評判なんだよね。たまにお店にも足を運ぶんだけどさ」
贔屓にしている蕎麦屋について、つらつらと賛辞を並べていると、ふと大事な用件を伝え忘れていた事に廻は気が付いた。「四宮に聞いて欲しい話があるんだけど、いいかな?」
「何よ、そんなに改まって」
「本当は順平にも話したかったんだけど、居ないんじゃ仕方ないよね。先に四宮だけでも聞いてくれるかい?」
「だから、何?」
「僕さ、生徒会長になることにした」
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