wolf in sheep's clothing⑤


 名も知らぬ若者を尾行すること、三十分あまり。街中を離れ、住宅地まで足を運んだ若者は、片手で携帯電話を操作しながら人気ひとけのない公園へと入って行った。

 入口を通ってすぐのベンチに腰を下ろしたのを見て、廻もその隣に座った。周辺には無人のベンチが他にあるにも関わらず、あえて相席してきた廻を遠慮気味に怪しむ若者。わざとらしく咳き込んでベンチの端へ移動し、ストレッチをする振りをしながら密かに様子を窺う。まるで意図せず天敵に遭遇してしまった小動物のようだ。

 若者はスーツ姿がちっともさまになっておらず、人相からでは年上なのか年下なのかもはっきりしない。こっそりと盗み見るばかりの若者に痺れを切らした廻の方から声をかけた。

 「怪しい者ではありません。先ほど、お金を渡した者の孫でして」と告げると、彼はより一層警戒の色を濃くした。

 「まさか跡をつけてきたんですか? 駅前からずっと?」

 「黙って跡をつけたことは謝ります。実は、爺ちゃんに『子供が首を突っ込むな』と釘を刺されてて。けど、父の事がどうしても心配だったから」

 「……そうですか」若者はこちらの尾行について怒るでもなく、覚悟を決めたかのように、「ふぅーっ」と息を吐きだした。突如現れた獲物の孫を名乗る相手に対して、何とかしなければと思ったのか、もしくは廻の風貌からして、くみし易しと判断したのかもしれない。

 「で、お孫さんが一体何の用でしょうか?」若者がにっこりと微笑む。用も何も、電話の内容が真実なのであれば、あなたこそこんな所で油を売っている暇があるんですか?と問い質したくなるが、ぐっと堪えた。

 「失礼ですが、父とあなたは職場の同僚という認識であっていますか?」

 「ええ。電話でお伝えした通り、上司と部下の関係です。君のお父さんには、僕が仕事で失敗して落ち込んでいる時に良くしてもらいました。一緒になって部長に頭を下げてくれたり、お昼にカツ丼をご馳走になったり」

 すると、それまで傍で大人しく話を聞いていた梓が、「まかない料理かしら?」と突然言い出すので、廻は軽く睨みつける。

 「彼女は?」

 「ああ、僕の友人です。気にしないで下さい。それより、父は今どうしてますか? 僕らに何か言ってませんでしたか?」

 「お偉方にこっぴどく叱られたみたいで、出歩けないほど意気消沈しています。家族の方には、ただただ申し訳ないと」

 若者が話す人物の様子は、以前お店で見かけた店主の印象とまるで合致しない。先代に叱られれば、客の前だろうと関係なく親子喧嘩。「競馬で大負けして、店の金に手を付けようとしたら、妻が包丁を手に追いかけてきて本当に恐ろしかった」とケラケラ笑う姿は、まさしく石に灸という感じだった。ましてやお爺さんが渡したという金額であれば、親に泣きつかずとも自分でポンと払えるくらいには、お店は繁盛しているはずなのだが。

 「父は何か、とても大事な物を失くしてしまったと聞きましたけど」

 「はい。我が社で設計開発を行い、今日中に納品を済ませる予定の部品でした」

 「それは具体的にどんな部品なんですか?」

 「ああ、えっと、その、なんて言うか。凄く精密な機械に組み込む部品らしくて。どんな部品かっていうのは、企業秘密で詳しくは教えられないんだけど。コンピュータの演算に関わってくる、ああ、ええっと……」

 これまでの流暢りゅうちょうな喋りとは違い、若者はごにょごにょと言葉を濁して、最後は尻切れとんぼで聞こえなくなってしまった。とはいえ、これで少なくとも蕎麦屋の家族が無関係であること、電話の内容が全くの嘘であることがはっきりした。

 「それで取引先はなんと?」

 「トラブルの原因が原因なので、先方は随分とご立腹で。どうにか手打ちにできないかと、こちらから色々と提案してみたのですが、最終的には納品が遅れる分の損害金の支払いで事態を収めることになりました」

 そこでまたしても梓が口を挟む。「なるほど、手打ちに。蕎麦だけに」と、自分で言って自分で噴出した。

 その様子を若者が唖然としながら眺める。廻は「まったく、もう」と首を振り、ついに種明かしをすることに。あなたに良くしたという上司は蕎麦屋の店主ですよ、と伝える。

 若者の顔が段々と青ざめていく。最悪の場合、そこで彼が逆上する可能性もあったが、そうはならず。肩をすぼめてうつむいてしまった。

 廻が若者から事情を聞き出そうとすると、梓が自分の胸を叩きながら「ここは任せて」と言い、取調べ室で容疑者を追い詰める刑事のような距離まで顔を近づけ、質問する。「あんた、名前は? 歳はいくつ?」

 「歳は二十一です。名前は、ちょっと」

 「受け取った物は?」

 「これです」若者が鞄から箱を取り出して、ベンチに置く。桐でできた上等な箱だ。

 「お金を受け取ったんじゃないの?」

 「札束の入る封筒が家になかったから、箱に入れたと言っていました」

 詐欺行為について若者は多少なりとも罪悪感を抱いているのか、全面降伏とはいかないまでも、徹底的に抗おうという意思はなさそうだ。そこで梓は箱に手を伸ばす。

 「あっ」若者が声を上げた。

 「なによ」

 「中は絶対に見るなと言われてて」

 「誰に」

 「それは、ちょっと」いかなる名前も絶対に喋るなと言われているのかもしれない。

 「玉手箱? パンドラの箱? 楽しみじゃないの」梓が蓋に手をかける。すると、途端に箱の中から白い煙が溢れ出し、彼女の全身を包み込んだ。その煙は視界を完璧に遮るほど濃く、ただそれもほんの僅かの間だけで、急に煙が晴れたかと思えば、そこには一瞬の内にしわくちゃのお婆さんになってしまった四宮梓がいた。わけもなく。予想通りというべきか、当然というべきか、箱からは帯封の巻かれた札束が出てきた。

 「ワオ」箱を手に梓が色めき立つ。

 それと時を同じくして、頭と両方の眉を剃りあげた、強面こわもての代表例とも言うべき見た目をした男が、廻たちのいる公園に現れた。どうやら若者は、男と面識があるらしい。「箱を開けてしまったからだ」と肩を窄めた状態から、さらに体を内側に折り畳み、ガタガタと震え始めた。

 「どうなってんだ」男が寄ってくるなり怒鳴り声を上げる。開いた箱と札束を確認して、若者に向けて目を剥いた。「冗談だろ。お前、お使いもろくにこなせねえのかよ」

 男は合流したばかりで状況がつかめていないはずだが、それでも現金の入った箱は取り返すべきだと判断したのだろう。ずんずんと近寄ってきて、梓が持つ箱へ手を伸ばした。が、その手は空を切る。何故なら廻が先に箱を取り、男の突き出した手をあっさりとかわしてしまったからだ。

 「何しやがんだ、ガキコラ」

 「四宮、危ないから離れてて」

 「そいつをこっちに寄越せ」

 「嫌だよ。だってこれ、最近よく聞く成りすまし詐欺だろ?」

 その後も廻は、男が繰り出すパンチや蹴りを軽々と避ける。桐の箱をまるでバスケットボールを扱うかのように、両手の間で踊らせる。廻の身軽な動きに翻弄ほんろうされっぱなしの男は、どんどんと息が上がっていき、それに比例して怒りのボルテージも増していった。

 男がついに足を止めて、若者を睨みつけた。「女を捕まえろ」自分に加勢しろと命じる。

 けれど、若者はベンチから立ち上がる事ができず、ただ狼狽うろたえるのみ。それどころか、「僕はどうすればいいんですか。何が正解なんですか。教えてください」と、どういうわけか梓に泣きついて助けを求めた。

 ちょうどその時、公園前の道路をあの選挙カーが通り掛かった。どうやら駅前での演説を終え、住宅地の方へ移動してきたらしい。公園を囲む柵の向こう側で、ウグイス嬢が車の窓から手を振っている。「また会いましたね」と再会を喜ぶようにも見えるし、「私には関係ないので、さようなら」と見て見ぬふりで立ち去るようにも見えた。

 「チッ、根性なしが。これだから素人のおもりは嫌だったんだ」

すると男は自ら梓を捕まえるべく、廻から標的を変えた。

 「おい、どこ見てんだ。金はこっちだぞ」

 「うるせえ。もう金なんかどうでもいい」極度の興奮状態。男は、今にも梓に飛びかからんとしている。

 「やめろ」

 その言葉が喉元を通り過ぎる寸前、不意に何者かが梓と男の間に割って入った。男の背後からそれを見ていた廻は、何もない地面から瞬く間に二人を分断する壁が生えてきたと錯覚したほどだ。

 「あれ? 廻?」

 二メートルはあろうかという壁が、名前を呼ぶ。上下とも明らかにサイズが合っていないピチピチの学ラン。肩から袈裟懸けさがけにスポーツバッグを下げ、両手には食べかけのアイスを握っている。さらに頭はニワトリのトサカみたいな髪形をしており、余計に背丈が大きく感じるのだが、そもそもがデカすぎるのもあってか、どうにも蛇足感が否めない。

 「あ、純くん。こんにちは」廻は緊張感の欠片もない声で挨拶する。丁寧に頭も下げた。

 「こんにちは」純くんこと松本純はそので立ちとは裏腹に、こちらもしっかりと腰を曲げて頭を下げる。両手にアイスを持った状態で、もはや行儀が良いのか悪いのか不明だが、何にしても器用なものだ。

 そこで廻は残りの二人、巨漢の登場でやや勢いの削がれた感がある男と若者にも挨拶するよう促す。「ほら、何してるんですか。アニキ達も挨拶して下さい」

 「は? 誰がアニキだ、コラ。ぶっ殺してやろうか」男は血管が浮き出るほどに怒り狂い、若者は混乱の極地である。

 そうこうする内に、松本純がもう一度深々とお辞儀をする。「こんにちは」溶けたアイスが、ぽたりと地面に落ちて染みを作った。

 「ガキが調子に乗りやがって。意味の分かんねえことばっか、ほざいてんじゃねえぞ、コノヤロー」

 男の怒りが臨界点を突破した。くるっと振り返り、再び標的を廻へと戻す。先ほど何度も痛めつけようとして、その全てが徒労に終わった事など、すでに記憶の彼方へ消し去ってしまったに違いない。

 だが、男は殴りかかろうとするものの、一向に体が前へ進まない。スタンドを下げた自転車の後輪が空転くうてんするみたいに、男の足が空中で暴れまわる。なんと男の体は、松本純の右手一本によって宙に吊り上げられていた。

 「貴様、廻の兄か何か知らんが、人が挨拶してるのに無視するとは何事だ。こんな大男には挨拶を返す必要がないと、そう言いたいのか? おい、どうなんだ。何とか言ってみろ」

 首根っこを掴まれた格好の男は、服のえりで首が閉まり、返事をする余裕はない。廻が苦しげな彼に代わってそれを伝えると、松本純はハッとした顔で手を放す。

 「な、何なんだよ、テメエは!」

 地面に降ろされた、というか落とされた男が咳き込んだ後、またまた標的を変え、目の前に立ちはだかる巨漢に殴りかかった。だが、その渾身の右拳は松本純の左手に難なく受け止められてしまい、その際、無情にも左手に持っていた二本のアイスがボトリと音を立てて地面に落下し、一際ひときわ大きな染みを作った。

 「挨拶の基本! お辞儀は30度! 明るく元気に! 顎は上げない! 背筋を伸ばせ!」

 男の頭上に容赦ない四発のげん骨が落とされる。男はあえなく失神してしまった。だが、そんな事はお構いなしに松本純が吼える。「よくも俺のアイスを地球に食わせやがったな。そこに正座しろ」普通に考えれば、失神しているので不可能だ。男はピクリとも動かない。死んではいないはずだ。

 「こうなったら代わりに正座した方がいいですよ」廻が小声で告げると、若者は「ヒィ」と慌ててベンチから飛び降り、公園の地べたに膝をついた。そして観念したようにうな垂れる若者を前に、松本純の説教が始まった。

 二十分後、公園に制服姿の長野が到着した。

 「こんな場所に呼び出すんじゃねえよ。完璧に管轄外かんかつがいだっての」

 「どうせ街のゲーセンでサボってたんでしょ? なら、いいじゃん」

 「おい、市民が大勢いるところで言うなって」シーっと顔の前で人差し指を立てるが、UFOキャッチャーで取ったぬいぐるみを脇に抱えているため、無論格好はつかない。続けて長野は、異様な光景を前にして訊ねた。「で、これはどういう状況?」

 

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