30/30 utopia③


 「今戻ったよ」

 町を見下ろす小高い丘の上の墓地にやって来た順平は、妻の墓石の前にしゃがみ、報告を済ませる。

 「ごめんな。俺なりに頑張ってはみたんだけど、見つけられなかった」

 一人娘の結奈ゆいなを捜索するために町を出たのが、ちょうど二週間前。運転手のいないトラックで塞がった高速道路をどうにか通り抜け、かと思えば自動車が一台も見当たらない国道を予備のガソリンが尽きるまで走った。

 辿り着いてみれば、そこは目も当てられないような、まるで地獄がそのまま地上に出現したかのような惨状だった。偶然そばを通りかかった、絶望で目を濁らせた老人の、「あの辺りは特に酷かったから、助かった者は誰もいないだろう」という言葉だけを土産に、こうしておめおめと逃げ帰ってきた次第だ。

 「本当にひどい有り様だったよ。右を見ても左を見ても死体が転がってて。生きてる人間も居るには居たが、どちらかと言えば、死んでる人間の方が幸せそうに見えた」

 ある日を境に世界人口の六割が死亡。そんなフィクションの世界のような出来事が現実に起こるだなんて誰が想像できただろうか。

 4.11の厄災。原因は大国の新型兵器とも、地球外生命体の侵攻とも言われているが、ただの一般人である順平に真偽のほどを確かめる術はない。一つだけ確かなのは、あまりにも多くの尊い人命が一瞬で奪われ、その多くの中に、隣のベッドで寝ていたはずの順平の妻が含まれていたという事だ。

 神様の野郎は、悪人のことはよく見てるくせに、善人には興味がなかったに違いない。

 「どうして俺だけが助かっちまったんだろうな」妻の墓に問いかけるが、もちろん返事はなかった。

 再び娘の住んでいた街の様子がフラッシュバックして、「ここはまだ被害の少ない方だったんだ」と独り言を吐く。こうやって遺体をきちんと埋葬してあげられただけでも、妻は幸運だったのかもしれない。

 風の噂で、田中半平太という政治家が復興に向けて立ち上がったと聞くが、思ったよりも賛同者を集められていないらしい。今はみんな自分のことで精一杯で、それどころではないのだろう。

 「俺には、あと何が残されているんだろう」そう呟いてから、順平が腰を上げた。「また会いに来るよ。それとも、君が俺に会いに来る方が先かな」

 妻の眠る墓地を後にした順平は、あてもなく町を彷徨い歩く。妻の居ない我が家に帰る気にはなれなかった。

 空には重苦しい暗雲が垂れ込め、そのまま地面に落ちてきて、生き残った人類を押し潰してしまいそうだ。荒野の真ん中に地図も持たず放り出されたような感覚。発狂して叫び出しそうになるのをぐっと堪えた。

 横断歩道を渡ったところで、前から来る男と肩がぶつかった。周囲には我々の他に人影がなく、つまり肩なんてぶつかるはずもないのだから、男がわざとぶつかりに来たのは間違いない。

 「何故そんな世界の終わりのような顔をしているのですか? 私たちは、あの方に選ばれたのですよ。それを誇りに思うべきです」目尻に黒子がある男は、パッと見には若者のようにも見えるが、わずかに角度を変えてみれば、化粧で上手く誤魔化したシミやシワがあちこちにあり、同い年くらいの中年のようにも見える。「あの方とは誰かって? 何を寝ぼけた事を言っているのです。他でもない、あなたなら分かるはずでしょ」

 頭のおかしくなった人間に、これ以上付き合う義理も気力もないので、足早にその場を離れた。と、そこで順平は妙な光景に出くわした。町の一角に明かりが見えたのだ。

 「どうしてこんな場所に明かりが」

 順平が驚くのも無理はない。今や電気といえば、替えの利かない貴重なエネルギーとされ、病院や重要なインフラにのみ供給されている状態だ。言うまでもなく、ファミレスなんかに届いているはずがないのだが、順平が町を離れている間に、何か状況に変化があったのだろうか。

 「もしかして、ここって」

 順平は恐る恐る、見覚えのある扉の方へ近づいて行く。屋根の上で見ていた黒猫が、からからと笑った。


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