wolf in sheep's clothing⑦
◆
「ねえねえ、廻。『竜宮の地下室』って知ってる?」
「何それ。お寿司屋さんに地下室があるのかい?」
「そうじゃなくて。隣町の外れに、すでに廃業した竜宮って名前のホテルがあんの。で、その地下にはオーナーしか存在を知らない秘密の隠し部屋があって、値打ちのある骨董品だとか美術品が納められたままになってるって噂よ。あんた、そういう都市伝説とか好きでしょ? 他に何か情報を持ってたりしない?」
「残念ながら、知らないかな」
「ちぇ」
「四宮がその手の話に興味を持つなんて珍しいね。でも、もし宝探しに行こうって考えてるなら、やめておいた方が良いと思う」
「どうして?」
「その竜宮ってホテル、今は誰でも建物の中に入れる状態らしくて、地元の不良が溜まり場にしてるっぽいんだよね。だから
「ふーん、そうなんだ。つまんない」
廻と梓は、二日前にそんな会話をしたばかりだった。
廻は顔面めがけて飛んできた拳を、首を傾けることで避ける。喧嘩の場において大事なのは、絶対に相手から目を離さないことだ。一挙手一投足を見逃さず、相手の動きに合わせて適切な対応を取る。むしろ相手の動作から次にどう動くかを予測し、先回りするくらいでなくてはならない。
数年前に廃業したというホテルのロビーは当然掃除なんてされておらず、過去に多くの人間が利用していた事などすっかり忘れ、蜘蛛やネズミが舞い踊る、野性に満ち溢れた様相となっていた。
その荒れ果てたロビーの床には、すでに二名の不良が
「この野郎!」
残る四人のうち、一番背の高い男が廻に殴りかかる。四対一という数字の上では圧倒的有利な状況であっても、四人が一斉に攻撃を仕掛けるのが良策かと言われれば、決してそんなことはない。何故ならば彼らは戦闘のスペシャリストではなく、ただの不良だからだ。同時に複数人が飛びかかれば、お互いに邪魔になる可能性の方が高い。逆に、廻はそうやって敵同士足を引っ張らせ合うことで、多勢に無勢を何度もひっくり返してきた。廻が『銀狼』として、街の不良に一目置かれているのは、そういう理由からだ。
不良のパンチを廻が軽くいなす。他の三人の追撃を警戒したが、
そうなると一の側、つまり廻は厳しい。じりじりと囲いを狭め、全員で足だけを前に伸ばして蹴られれば、避けづらいうえに反撃できない。あとはそのまま袋叩きだ。故に、こういう場面では廻の舌先が
「この中で一番弱そうなのは君だな」
真っ先に突っ込んできた、背の高い不良に向けて言う。それが正しいかどうかは問題ではない。重要なのは、バレバレの挑発に乗ってくれて、連携に
「テメエ、ふざけんな」
目論み通り挑発に乗った長身の不良が飛び出す。廻はそれを迎え撃つ形で前に踏み込み、その勢いのまま蹴りを相手の腹にぶち込んだ。援護しなければと思ったのか、オマケが一人ついてきた。怯えきったパンチを手のひらで受け止め、顔面に重いカウンターを決める。
残るは二人。こうなってしまえば、後の説明は不要だろう。とにかく片方を素早く仕留める。そして、一対一の勝負に持ち込む。これこそが『ほぼ』一匹狼の廻が自力で編み出した、複数人を相手に戦う時の必勝法だ。無論、喧嘩せずに済むなら良し、逃げ出せるならそれもまた良しという前提を忘れてはいけない。
どうにか無傷で六人の不良をさばききった廻は、奥のラウンジに座る男に声をかける。
「どうする? お仲間は動けなくなっちゃったみたいだけど」
「……まったく。どいつもこいつも、だらしねえなあ」
ホテルの備品ではなく、自分らで持ち込んだらしい椅子に腰かけながら喧嘩を観戦していた男が立ち上がり、近寄ってくる。他の不良よりも明らかに体格が良く、言われなければ同じ高校生だとは気づかなかっただろう。仲間が何人もやられたというのに、ニタニタと薄気味悪い笑顔を浮かべていた。
廻は男の声に聞き覚えがあった。
「君かい? 僕に電話をかけてきたのは」今朝の出来事が鮮明に蘇ってくる。
『お前の大事な物は預かった。返して欲しければ、ホテル竜宮まで来い。ただし、一人でだ。もし仲間を連れてきたら、その場で大事な物は処分する』。
こちらの言葉には一切耳を傾けず、一方的に言うだけ言って電話は切れた。新手の詐欺?過去のお礼参り?また悪戯?色々候補を挙げていく中で、ふと気になって梓に電話をかけてみたが繋がらず。まさかと思い、順平にも連絡してみたが、こちらも同様だった。
「お前の心の中を当ててやろうか。『誰だ、こいつは? どうしてこんな事を』てなところだろ」男がポケットから煙草を取り出して火をつける。「けど、それはこっちも同じ気持ちなんだよ。俺はこの後、女と映画を観に行く約束がある。だから厄介ごとはさっさと終わらせたいんだ」
男は黙っている廻をほったらかしにしたまま続ける。
「てなわけで、腹の探り合いはなしだ。シンプルにいこう。こちらの要求は一つだけ。鴻鳥廻。痛い目に遭いたくなければ、生徒会長選挙から降りてもらおうか」
「どうして」そこに繋がるのか。「君は、選挙と何か関係しているのか?」仮に他の立候補者の熱狂的な支持者だったとしても、詐欺の件で目立ったとはいえ田中半平太圧倒的優勢は変わらない戦況で、廻にちょっかいをかける理由が分からない。
「お喋りをするつもりはない。返答を」
廻は、男の言葉がどこまで本気なのか、測りかねている。記憶の限りでは、男とも、床に転がる不良たちとも面識はない。過去の因縁でないとすれば、誰かに依頼されたという事だろうか。
「要求は理解した。でも、断る」はっきりと首を横に振る。
「なるほど。だったら、痛い目に遭ってもらうしかないな」
「それも断る」
「わがままだなぁ。鴻鳥廻よ」
男は廻との距離をさらに詰めた。
「君一人でいいの?」男が座っていた椅子の周りには、まだ数人の不良が控えていた。
「心配ご無用。一人で十分だ」男が
対する廻サイドはというと、結構辛い。無傷とはいえ、疲労はある。そのため少しでも会話を長引かせて回復に努めようとしたのだが、どうやらあちらもその狙いに気づいているらしく、待ってくれそうにない。廻は大きく深呼吸する。
「卑怯だと思うか?」
「思う」
「ありがとよ」
男がニヤリと笑い、廻に殴りかかる。その拳をギリギリで避けたが、前哨戦の疲労からか動きが鈍い。「ありがとって何だよ」
男はすぐさま追撃をかける。廻が想像したよりもずっと身軽な動きだ。あの体格でどうやって?という速さで男が体勢を整えると、矢継ぎ早に拳が飛んでくる。
「噂の銀狼もこんなもんか?」
一方的な戦い。男が攻め続け、廻は回避するばかりで反撃の糸口が掴めない。そうする間に、廻はじりじりと壁際に追いやられていった。このままではマズいと男の脇をすり抜けようとした時、床に捨てられたビニール袋に足を取られてしまう。慌てて体を起こそうとしたのだが、男がその隙を見逃してくれるはずがなかった。避けられない拳の軌道。廻はどうにか腕で防いだが、激痛に顔を歪める。
まるで巨大な岩をぶつけられたみたいだ。しかもその岩は、しなるムチのような速さで廻を襲う。
反則だろ。廻は泣き出しそうになったが、泣いたところで事態は好転しないと分かっているので、泣かなかった。もう一度は食らえない。怖い。でも、目を
普段であれば反撃の方法など考えず、逃走手段の考案に頭を切り替えていたところだろう。そのくらい、この男は強い。
廻は男の右ストレートを紙一重でかわすと、即座にカウンターを放った。やっとの思いで顔面に一撃。が、それはすぐに罠だと分かる。
「そんな軽い拳じゃ、何発殴ろうが俺は倒せねえよ」
「しまった」
男に首元を掴まれ、廻が宙づりにされる。
「さあ、顔をよく見せてくれ。俺は
気づけば廻は真っ暗な空間にいて、目の前に三人の人間が立っていた。
一人目は頭に水泳帽を被る、海パン姿の少年。たしか彼は、小学三年生の頃のクラスメイトだ。成績も運動も平凡。だが、水泳だけは誰にも負けないというような子だった。
その彼がクラス全員25メートル泳破を目標に掲げた際は、案の定、水泳が苦手なクラスメイトの反感を買い、一同の中には廻も含まれていた。だが、彼はそんなクラスメイトにも
その彼が何故か今、目の前に現れて同じように応援している。「頑張れ。諦めるな。あと少しだ。まだいけるぞ」水を
二人目は廻の父親。相変わらず死んだ魚のような目でこちらを見つめている。きっと心の中では、こう思っているに違いない。「不良だの喧嘩だの、馬鹿馬鹿しい。お前は私の言う通りにしていればいいんだ」こちらの気持ちなんか一つも考えちゃいない、考えようともしない。
ふと、それはお互い様かもしれないと思った。
三人目は、初めて出会った日の四宮梓。傘を差し、腕の中に子猫を抱いている。
「喧嘩が強いって、やっぱり嘘だったんだ」
こちらをおちょくるような言い方。言い返そうにも声が出せない。言い返そうとした言葉も忘れてしまった。
「選挙なんか辞めちゃえばいいじゃない。どうせ自分で決断したわけでもないし、そこまでする必要があるのかしら」
梓に返事をするように、子猫が鳴いた。何かこの場に足りないものがある気がするけど、思い出せない。
「そもそも不良が生徒会長になろうってのが間違いだったのよ。さっさと諦めて、楽になっちゃいなさいよ」
ただし梓の両目は、まったく別の言葉を語りかけてくる。
「ここで負けていいの? あんた不良でしょ? だったら、ダサい姿なんて見せんじゃないわよ」
ほんと、四宮には敵わないなぁ。途端に頭上から薄日が差し込み、空間が光で彩られる。三人の影がゆっくりと遠ざかっていった…………。
「お、まだ意識があるのか。思ったより、しぶといな」
廻が薄っすらと目を開ける。未だに足が宙ぶらりんのままだった。
「お前の心の中を当ててやろうか。『あの時、意地を張らずに従っておけば良かった』てなところだろ、鴻鳥廻。どうする? 今ならまだ間に合うぞ。辞退するか?」
途中、意識を失っていたので廻がどれくらいこうして吊るされていたのか不明だが、何にしても常人であればそろそろ万が一が頭を過る頃合いだろう。万が一とはつまり、
廻は体に残る力を振り絞り、それどころか全身に
「お? おおお?」慌てるというより、むしろ喜ぶような男の声。「鴻鳥廻、どこにそんな力を隠していたんだ?」徐々に男の腕が下がっていき、あと少しで足が床に着こうかというその時、廻は全力で頭を振りかぶった。
「ぐっ」
顔面に強烈な頭突きを食らった男の体勢が崩れる。鼻の周りが血で真っ赤に染まっていた。だが、その程度でひるむとも思えない。着地した廻はすぐさま間合いを詰め、よろめく男の顔に回し蹴りを見舞った。
「ゴホッ、ゴホッ」男が床に倒れる音と共に、廻も地面に膝をつき、咳き込む。強敵は何とかしたが、さすがに体中ボロボロだ。口の中は鉄の味が充満し、目がチカチカする。残りの手下が襲ってくれば万事休すの場面だが、幸いにもそうはならず。男の椅子がある辺りは、すでにもぬけの殻だった。
息を整えてから、廻が奥のラウンジに声をかける。
「さてと、あとは君だけだね」
柱の影から現れたのは、中庭や廊下で目にした事がある、田中半平太の推薦人だった。意外にも落ち着いた様子で、廻が口を開くのを待っているようにも見える。
「手荒なことはしたくないけど、今は手段を選んでいられないんでね。四宮はどこ?」
すると、そこで妙な間があった。田中半平太の推薦人はきょとんとした様子で、ポケットからある物を取り出す。
「手帳はここです」そう言って、目尻の下にある
「え?」中を開いてみる。正真正銘、廻の生徒手帳だった。「大事な物ってこれ?」
「はい」
「いつ盗んだの?」
「昨日の昼休みに」
これじゃ四宮に偉そうな事は言えないなと、廻は苦笑いを浮かべる。「ま、まあ、いいや。それより何故こんな事を? わざわざこんな真似しなくても、きっと僕は田中君には勝てないよ」
「その、俺はただ言われた通りにしただけなんで」
「そう。つまり、誰かが君に命令したんだね? それは田中君?」
田中半平太の推薦人は黙って首を横に振る。
「じゃあ、桂教頭?」
ちょうど口を開こうかというところで、パトカーのサイレンの音が耳に届いた。
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