漁夫の利④


 放課後、部活に所属していない順平と梓は、並んで下校する。

 二人ともそういう年頃であり、春の末にはこの事をはやし立てる声もあったが、当の本人たちは何を囃し立てられているのか、揃っていまいちピンと来ていなかった。二人一緒の登下校は、それこそ幼稚園児の頃から続く習慣であって、言ってしまえば『学校に筆記用具と教科書を持っていく』と感覚的に変わらないからだ。

 通学路の途中にある公園に、どちらからともなく吸い込まれていく。入ってすぐの所にある、ペンキの剥げかけたブランコに二人で腰掛けた。

 「事件のあらましを説明すると」と、自然に話し始める梓。順平はすかさず、「ちょっと待て。あれは事件なのか?」と確認を入れるが、言葉を遮られた梓の一睨みにより、あえなく封殺されてしまった。

 「事の発端は朝のショートホームルーム。香川先生が、お手伝いの募集をしたそうよ」

 「お手伝い?」

 「そ。理科の実験で使う道具を家から持ってきたから、昼休みに準備室まで運ぶのを手伝って欲しいって事だったみたい」

 「ふーん。それで?」順平は相槌を打ちながら、先を促す。

 「すぐに女子二人が立候補して、そこで募集は締切。で、昼休み。二人は車から荷物を運び出すために先生について行き、いざ道具の入ったカゴを持ち上げてみたら」

 「そこに例のブツがあったわけだ」

 「ええ」梓は真剣な顔で頷くと、地面を蹴り、勢い良くブランコを漕いだ。

 ちなみにここで言う例のブツとは、香川先生の車で発見されたエロ本の事を指しており、会話の中に何度も『エロ本』という単語が登場するのは如何いかがなものかと、二人の間では極力『例のブツ』や『ブツ』と呼ぶようにした。

 「もし手伝いが男子だったなら、こんな大事にはならずにすんだのかなぁ」ブランコの鎖を掴む順平の華奢な腕。肩にかけたカバンの重みに身を任せ、上半身を反らせて空を見上げる。「それにしても先生はどうして男子に頼まなかったんだろう。荷物運びの手伝いなら、女子よりも男子の方が適任じゃないか?」

 「詳しくは知らないけど、単純にそれほど重い荷物じゃなかったのかも。女子の力でも十分運べるくらいの。あとは、男子って昼休みになると、すぐにボールを持ってどっか行っちゃうでしょ? だから先生も男子は誰も手を挙げないって、最初から当てにしてなかったんじゃないかな」

 それを聞いた順平は、さもありなんと心の中で強く同意するも、口には出さなかった。ここで下手にやぶをつつき、出てきた蛇に全ての男子を代表してお小言を頂くつもりはない。

 「今の一組は、はっきり言って地獄よ。男子は何故かお祭り騒ぎだし、逆に女子は相当頭にきてるみたい」

 「一組の女子、怒ってんの? なんで?」

 「そりゃあ」顎に人差し指を置いた梓は、訳知り顔で言う。「嫉妬ね、きっと」香川先生、女子人気はバツグンだから、と付け加えた。

 香川隼人。二年一組の担任で、理科担当。三十代前半、独身、容姿端麗。学生時代は陸上競技に打ち込み、今でも運動はお手の物。そもそも比較対象が煙草臭いおじさんばかりなのだから、そりゃあ女子にモテないはずがない。クラス替えの季節には女子生徒の歓喜と悲哀が入り混じり、バレンタインの季節には教職員用下駄箱の治安がスラム街と化すとまでいわれている。ちなみに件の車とは、スポーツカータイプの国産車で、よくもまあこんな高級車を子供だらけの場所に乗ってこられるなと、順平は日々感心していた。

 「素朴な疑問なんだけど。女子って例のブツにも嫉妬するのか?」

 「さあね。私に聞かないでよ」

 女子に聞いたつもりだったんだけどなぁ、と言うやいなや隣のブランコから拳が飛んでくる。

 「悋気りんきは女の七つ道具」梓は目を瞑ったまま、そらんじた。

 「意味は?」

 「やきもちは女の武器」どう?当ってるでしょ?ふふんと、得意げな梓に、順平は思わず感嘆の声を漏らしそうになるが、「師匠に教わったのよ」と笑顔で話す姿を見て、その考えを捨て去った。

 大人と見るや男女関係なしに嬉々として噛みついていく梓が、珍しく師匠と呼んで慕う人物。それが二年女子の体育教師だ。生粋の姉御肌で人望厚く、女子からの人気は香川先生に負けず劣らずと言われている。その一方で、男子に対しては何かと手厳しいと評判だ。

 梓は彼女に傾倒するようになってから、彼女の発言やそこからインスピレーションを受けたと思われる言葉をまとめた書物を自作して、後生大事に持ち歩いている。順平は一度だけその中身を読ませて貰った事があるが、「生後0秒、死ぬまで女。男は嘘をつく時、口呼吸になる。初恋は夢幻。男子三日会わざれば浮気を疑え」など、見るも恐ろしい格言が並んでおり、足の震えが止まらなくなったところで読むのをやめた。

 「じゃあ、聞くけど」梓が唇を尖らせる。

 「何だよ」

 「例のブツって、車に乗せておくようなものなの?」

 どうにも答え難い質問が、今度はこちらに飛んできた。たまらず視線が泳ぐ。「さあ、どうだろう。車の中で読むって人も、居たり居なかったり」

 「どっちよ。はっきりしないわね」

 「一つ確認したいんだけど、先生は手伝いの募集を自分でしたんだよな?」

 「ええ」

 「だとしたら、渡らなくてもいい危険な橋を自ら進んで渡ったって事だ」

 「何が言いたいの」

 「もしかして先生は、わざと例のブツが見つかるように仕向けたんじゃないか?」

 話を聞いた梓が、神妙な面持ちで黙り込む。やや間があってから、静かに口を開いた。

 「私の頭の中にはなかった仮説ね。その場合、先生に何のメリットが?」

 そう訊ねられた順平は、表情一つ変えずに答える。「知らん」

 「やれやれ。少しは頭を働かせたかと思えば、半分だけの脳みそじゃ働かせたところで焼け石に水ね。面白い仮説だけど、動機が不明なままでは、現実的とは言えないわ」

 「現実的な仮説がお望みなら、そっちも用意してるぞ。一つは、先生が例のブツの存在をすっかり忘れていた場合。もう一つは、見られても大した事にはならないだろうと高をくくっていた場合。両者の共通点は、ブツの発見に関しては故意ではなく、事故だったって部分だな。ただし前者は記憶力が、後者は想像力が足りていなかった」

 「その二つなら私も考えた。確かにしっくりくるんだけど、ちっとも面白くないのよね」

 「面白い、面白くないの問題ではない気がするけど。何にしても、あそこまで騒ぎ立てなくてもいいと思うんだよなぁ」

 未成年者の目から遠ざけるべき物を女子生徒に目撃されたのは、紛れもなく香川先生の落ち度だ。そこに弁解の余地はないだろう。しかし、香川先生も教師である前に一人の男だ。成人男性がエロ本を購入する事、そしてそれを読む行為が犯罪になるかと言われれば、決してそんなことはない。

 「で、順平はどこに例のブツを隠してんの?」

 「……どこにも隠してませんけど」

 「はい、嘘。声が小さいわよ」

 「嘘じゃねえよ。大体、うちみたいな狭い家に隠す場所なんてないだろ」

 順平の必死な形相から繰り出される反論を受け、梓は胸の前で腕を組み、少し考えた後に呟く。「それもそうね」

 「分かってもらえたようで何よりだ」

 実を言うと、あんな狭い家でも隠す場所ならちゃんとある。それは大石家の兄弟の間で代々受け継がれてきた場所であり、正確には父がヘソクリを隠している場所のさらに奥。仮に母が何かの拍子に父のヘソクリを発見したとしても、そこで満足してしまい、その奥までは気が回らないだろうという算段だ。非常に心苦しくはあるが、父には我が子のために尊い犠牲となってもらう。

 「前に隠してた場所なら、やめておいた方がいいわよ。おばさまの性格上、まだ他にヘソクリが隠してあるんじゃないかって、さらに奥まで捜索するはずだから。芋蔓式にバレるわよ」


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