周遊滑車とポータル

 エル歴千年五月十六日、午前。


 クレイたち四本の槍が、いつもの喫茶店でテーブルを囲む。教会近くにある大衆的な喫茶店で、どこにでもあるような雰囲気がクレイのお気に入りだった。四本の槍の集会は、常にここで行われている。


 クレイがコーヒーを一口すすり、テーブルに両肘をついて手を合わせた。フリントとマイカが顔を見合わせ、ごくりと喉を鳴らす音が静かな店内に響く。


「そろそろいい頃合いだと思う」

「頃合いー?」

「ミナスの主だった洞窟や迷宮は既に踏破して、依頼もたくさんこなし、名を挙げた」

「主に汚名だけどねー」

「ま、まあ汚名も名だよ」


 追放されようとして好き放題に暴れまわっていたら、クレイたちはいつの間にか鬼畜冒険者パーティと呼ばれるようになっていた。仕事の依頼人から依頼料を多くせしめ、盗賊の盗品をこっそりと懐に入れ、ときには悪さをした女性を襲う。全ては追放されるための演技だったが、彼の仲間たちはそれらの行動を咎めることなく、むしろ褒め称えた。


 ため息をつきたくなるのをこらえながら、クレイは対面に座る二人の仲間を見据える。


「そろそろ、地上に降りてみようと思う」

「地上か……確かにな」

「でもさクレっちー、旅の資金は?」

「問題ないよ」

「え、だけどあーしら結構使ったよ?」


 クレイは家から持ってきた麻袋をカバンから取り出し、一度大げさに持ち上げてからテーブルの上にどっかりと下ろす。大きな麻袋がパンパンに膨れ上がり、コインが己の形を主張していた。それを見て目を輝かせる二人を見てから、麻袋をカバンに入れる。


「それででっけえカバン持ってきてたのか」

「けど、なんで? なんでそんなにあるん!?」

「節約してたんだよ」

「みんな一瞬で使うからねー」

「パーティの運営資金として取ってたんだよ」


 フリントは酒と女に使い、マイカは女と男とギャンブルに使う。派手に金を使う趣味がないクレイは、自分の取り分から生活費を引いた分も含めて運営資金として溜め込んでいた。金遣いの荒い二人は、目をうるうるとさせている。


「苦労かけるね、クレっち……」

「流石俺が選んだリーダーだぜ」

「お前らな! んなことで感動できるんなら少しは節約しろ」

「それは無理」

「あーしも無理」


 二人が目に涙を滲ませながら、きっぱりとした口調で言い放った。クレイは一瞬ルネを見てから、頭を抱える。ルネは笑顔で、親指を立てていた。長い付き合いでクレイにはなんとなく、言いたいことがわかった。


 (私も無理って言いたいんだろうな)


「まあ、てなわけで冒険に出ようと思うんだけど、どうかな」

「良いも悪いも、それが冒険者ってもんだろ?」

「あーし、ずっとミナスから出てみたかったんよね」

「私も私もー!」


 クレイは胸を撫で下ろし、コーヒーを飲み干す。


「じゃあ、いつ出発する?」

「そらお前、決まってんだろ」

「決まってっしょ」

「決まってるよね」


 全員が口々に言いながら、荷物を持って立ち上がった。


「今すぐにだ!」


 フリントのまっすぐな視線と言葉に、クレイは口角を上げる。


「よっしゃ! じゃあ各々準備してポータルに集合な!」


 そうしてクレイたちは、各々の家に戻っていく。飲食代は、当然クレイが支払った。今日の空は、いつもよりも少しだけ澄んで見えて、太陽も少しだけ優しく感じられる。


 クレイは演出のために用意していた大量の貨幣を銀行局で紙幣に変え、ポータルに向かう。こんなこともあろうかと、クレイとルネは既に旅支度を終えていた。大きなカバンが少しだけ軽くなり、足取りも弾む。


 教会のあるミナス大通りを北に五分ほど歩いたところの銀行局。そこからさらに北上し、ミナスを周回できる周遊滑車乗り場に向かった。


 平日の昼間だからか、滑車乗り場のまわりには人があまりいない。皆、仕事なり冒険なりに勤しんでいるんだろう。無骨な建物の中を滑車が次から次へと流れていく。クレイとルミはタイミングよく滑車のつり革掴み、シートに腰を下ろす。ちょうど、二人が座れるだけの大きさだった。


「クレくんも成長したねー」

「なんだよ急に」

「昔は滑車怖がってたじゃん」

「昔はシートがなかったからな」


 五年前まで、この滑車にシートはなかった。ただ周遊し続ける滑車のつり革に掴まるだけ。まだ握力がそれほど鍛えられていなかったあの頃、クレイはこの滑車が恐ろしくてたまらなかった。


「なんでシートができたの?」

「普通は頻繁に訪れる乗り場で休憩しながら乗るんだけど、遅刻しそうになった職人たちが無理をして乗り続けて落下する事故が起きてな」


バカな話だ、とクレイは苦笑する。目に映る景色の移り変わる速度が、早くなった。周遊滑車は、ある地点を過ぎると唐突に加速する。この加速を休憩もなしに耐えられるはずもなく、そもそもが欠陥だった。


「おっと……もうそろそろ着くな」

「早いねー」

「便利なのはいいことだ」

「まー滑車もこれでしばらく、乗ることはないねー」

「だなあ」


 周遊滑車は、ミナスだけの設備だ。地上では馬車や船などで移動するのだと、クレイは以前本で読んだことがあった。これでこの風を切る感覚とも、体にのしかかる重みともお別れだ。彼は改めて、周囲を見渡す。高速で移り変わるこの小さな都市の高層建築物が並んだ光景を、しかと目に焼き付けた。


 周遊滑車が、速度を落としていく。目的の乗り場に到着した合図だった。タイミングを見計らって、シートから降りる。ルネの手を引いて彼女も降ろすと、ふわっとした浮遊感に包まれた。


「この感覚ともお別れだな」

「別に心地いいものじゃないけどねー」


 乗り場の建物から出ると、開けた場所に出た。草以外に何もない広場の中心に、金属製の人工物が不自然に自己主張している。円形のその人工物は、圧力を検知すると地上への光の梯子をかける。乗ったものを自動的に、ゆっくりと地上へと送る。ただそれだけのために、自然の中にぽつりと鎮座し続けていた。


「ここじゃ、街も全然見えないな」

「そりゃーねー。遠いもん」

「ま、別にそれほどの感慨もないからいいけど」


 クレイは芝生の上に寝転がり、隣をポンポンと叩く。するとその場所に、ルネが寝そべった。花が綺麗に折りたたまれ、スカートのような形になる。


「本当、どうなってんだそれ」

「んーわかんない」

「いつ見ても不思議だ」

「そもそも歩く仕組みも、自分じゃわかってないよー」

「そんなもんだよな」


 人間もそんなことを意識して歩いているわけじゃないからな――クレイは自嘲気味に笑った。


「知らなくても生きていけるから、それでいいんだ」

「おー、なんかそれっぽい」

「だけど、俺は知りたいと思うよ」


 (だから、絶対に、世界の大壁の先を見るんだ)


 チクチクと首に突き刺さる芝に、燦々と照りつける太陽に、ぼんやりと流れる雲に、クレイは誓う。


 必ず、そっちに行くからな――彼は強く念じた。

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