クレイとルネ
ひとしきり笑い合った後、クレイはルネの手を借りて起き上がる。釘バットを背中に納め、首を回した。
「ああ~、疲れた」
「ふむ。ひとまず食事にするとよいぞ! お主の仲間たちも食堂に集めておる!」
「そうさせてもらうわ」
クレイはプランに一礼して、部屋を出る。ルネも遅れて一礼し、クレイの隣をパタパタと歩いてついていった。
部屋を出ると、メイド服を着た背の高い女性がどこからともなく現れた。彼女はサラリとした長髪をなびかせながら着地し、クレイたちに頭を下げる。
「食堂までご案内します」
「お、お願いしまーす」
メイドの案内により食堂に着くと、広い堂内の中央の大きなテーブルに、仲間たちが集まっているのが見える。既に食事を終えたのか、何事かを話し込んでいた。会話の中心になっているのは、セレンのように見える。
「待たせたな」
「お待たせー」
「おう遅いぜ!」
「王様と戦ってたんだよ」
「知ってたわ。見てたからね」
セレンが目の前を指す。そこにあったのは、大きな大きな真っ黒の板。モニターと呼ばれる漂流物だった。セレンはふうと息を吐いて、クレイの肩を叩く。
「さ、あんた、話があるんでしょ」
「まあな」
「クレっち……」
クレイは深く息を吸って、仲間たちの顔を見る。セレンは子を見守る母のように微笑み、フリントは口を開けっぱなしにし、マイカはルネとクレイを交互に見比べて夕暮れ時に友達と別れるときの子供のような顔をしていた。
「聞いてくれ、俺とルネの話を」
クレイは、仲間たちの返事を待たず、話し始めた。
時は、七年前にまで遡る。
クレイがまだ小便小僧を卒業して少し経ったくらいの歳の頃、クレイはルリという四つほど歳の離れた姉とずっと一緒に過ごしていた。姉と言っても、血のつながりはない。ただ姉弟のように育った隣の家のお姉さんと少年だった。
ルリはいつもクレイを気にかけ、クレイもまたいつもルリの後ろをついて回る。クレイが学校で嫌な思いをしていれば、ルリが慰めにきていたし、いじめられていればルリがいじめっ子を追い払いもした。
「もう、クレくんはもう少し強くならなきゃ」
その度にルリが優しげな表情と声音で放つこの言葉を、クレイはある日唐突に実感する。
その日は、ルリと一緒にミナスの南部にある森の中へと入っていった。そこにドレインフラワーの群生地があることを大人たちは知っていたが、クレイたちは知らなかった。ただルリが自身の両親の病気を治すのに必要な薬の材料が、その森にあると聞いたために採りに来ただけだ。
それが、命取りになった。
ルリはドレインフラワーに足下を絡め取られ、一瞬にして縛り上げられ、吊される。クレイは行く手を阻む茨を手でかき分けようと、自身の掌から血が溢れ出すことも意に介さず足掻いたが、届かなかった。
目の前で頬を紅潮させながら光の失った瞳で呆然と、しかしハッキリと体を震わせる大好きな姉の姿を見ているしかなかった。
クレイが助かったのは、運良く、師匠であるスファレが森に入る二人を見ていたからに過ぎない。
しかし、スファレがルリを茨から解放したときには既に、ルリは目の焦点が合わず、物言わぬ人型となっていた。クレイはそのときはじめて、魔法を使った。死にゆくルリの魂を繋ぎ止めようと、無知な少年は無意識に魔法を使い、ルリをアルラウネに変えた。
ただ、その姿は図鑑に載るアルラウネと少し違っていた。
腹部に薄紅色の紋様が浮かび、薄く光り輝いている。背中には小さな蝙蝠状の翼が生えていた。
「淫魔に……なったのか」
スファレが呟く言葉をクレイは理解できなかった。淫魔という存在は、大人たちが子供には伝えていなかったからだ。幼い彼にスファレが淫魔という存在を説く。
核世界では絶望に染まった魂が悪魔になるが、それが性的体験と結びついている場合には淫魔になることがあるのだと。この水晶世界でも、強すぎる絶望が悪魔化を引き起こすことがあるという。女神ノエルは水晶世界にそのシステムを持ち込まないようにしようとしたが、完全には消せなかった。
世界のバグとも言うべき現象に、偶然ルリが遭遇した。
幼く無知蒙昧な少年にも、それだけは理解できた。彼は頭をかきむしりたくなるのを必死で堪え、その理性が残る自分自身に失望しながら、目が覚めて記憶が無い様子のアルラウネの少女にルネと名付けた。
ルネのことを両親に報告しなければならないとスファレに連れられ家に戻ると、既に彼女の両親は息を引き取っていた。魔物に、そして淫魔になったばかりで空腹だったルネはあろうことか、両親の亡骸から生気を吸ったのだ。
この話をルネが知ったのは、彼女がアルラウネとして三歳を迎えたときである。
それは、スファレからある話を聞いたからだった。
悪魔になる前のルリの魂は、淫魔になった瞬間にルリから離れ、今は壁の向こうの世界にいるのだと。死後の魂は壁の向こうの世界に引き寄せられる。
ところが、ルリはクレイによって無理矢理命を繋ぎ止められた。そのために、魂の一部だけを残し、大部分は記憶と共に壁の向こうへと行ったのだと。
クレイから話を聞いたルネは、「クレくんのことは少し覚えてた」と語った。それから、昔の自分の魂がいるのなら一度行ってみたいと、クレイに言ったのだ。
それは、彼女がアルラウネに転生してからクレイに初めて言ったわがままだった。
「だから俺は、壁の外を目指してるんだ」
話をそう締めくくり、クレイはマイカが置いてくれていた水を飲んだ。魔法で生成した水らしく、あまり美味しくはなかったが、クレイにとってはありがたかった。
隣で話を聞いていたセレンが、ふうと息を吐く。それからクレイの肩を強く叩いた。
「あんた、なんで今まで隠してたのよ」
「ちょっとセレっち……」
「仲間だったら、そういうことは――」
「それは違うぜセレン」
徐々に語気が強くなっていたセレンの言葉を、フリントが制止した。クレイはテーブルの下で、ルネの手を強く握り、フリントの顔を見る。
「仲間だから、なかなか話せねえこともあるもんだぜ」
「そうそう、それにクレっちはあーしらに嫌われたがってたし」
「……気づいてたのか?」
「おバカ、そりゃ気づくっしょ。女ひん剥くとかさ? クレっちのガラじゃないし」
クレイは大きなため息をつき、椅子に深くもたれかかった。
「なんだよ、それ……」
「ルネっちのことはびっくりしたけど、別にあーしら何も変わらないじゃんね」
「だな、どのみち壁の外を目指すだけだぜ」
「あんたらねえ……まあ、私も別にクレイを責めようってわけじゃないけど」
クレイは改めて、仲間たちの顔を見た。全員、思い思いの笑顔をその顔に浮かべている。セレンは呆れているかのように肩をすくめて笑い、フリントは片方の口角だけをつり上げ、マイカは歯を見せて笑っていた。
(ああ、本当に馬鹿だな俺は……最高の仲間じゃないか)
「みんなー……!」
「お前ら、まじで最高だな」
「おうよ! お前らの仲間だからな」
「あーしも! ダチだもんね」
「私も、もうすっかりあんたの仲間よ」
ルネが肩を揺すってきた。
「クレくん! 私うれしいよー!」
「ああ、俺もだ」
ルネは瞳を薄らと光らせながら、クレイの手を取って立ち上がった。クレイは笑顔で一緒に立ち上がり、ルネの手指に自身の指を絡ませる。もう仲間に対して隠し事はなかった。
「ルネ、会いに行くぞ! もう一人のお前に!」
「うん!」
「俺らも一緒にな!」
「おう! お前ら、これまですまん! これからもよろしくな!」
気がつけば全員が立ち上がり、クレイとルネを取り囲んでいた。それから全員で輪になって、拳を突き合わせる。四本の槍改め五本の槍が、はじめて一本の巨大な槍となった瞬間だった。
第二章――終。
第三章へ続く……。
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