追放されたがり冒険者の誕生

 エル歴千年四月十五日、銀狼との決闘の一ヶ月前。


「こらー! 起きなさーい!」


 自宅のベッドでヨダレを垂らしながら眠る男・クレイは、聞き慣れた声に目尻にシワを寄せる。ゆっくりと見開かれたその目に映るのは、綺麗な赤い花から上半身が生えたような見た目の少女・ルネ。自らが生み出した娘とも言えるようなアルラウネに、体を揺さぶられながら「うーん」とうめき声を漏らす。


「あと五分」

「クレくんの五分は一時間だからダーメ! 今日は技能判定の日でしょー!」

「技能判定……あ! やっべ!」


 布団を勢いよく剥がし、飛び上がる。「わっ」と驚いたような声をあげるルネに「ごめんごめん」と言いながら、慌ただしく服を着替えた。


 人には、生まれながらの才能というものがある。魔法とスキルだ。魔法は、十歳になると突然目覚める才能。一人につき、ひとつの属性の魔法が必ず使える。クレイは、草魔法だった。


「もー、バカにした人たちを見返すんじゃないの?」

「だな」

「だなじゃなくてさー」


 草魔法は、こうしてアルラウネを生み出したり、ドレインフラワーと呼ばれる魔植物を呼び出したりできるが、使い道があまりない。炎や水なんかは日常生活でも仕事でも重宝されるが、草魔法は役立たずとバカにされがちだ。クレイも例に漏れず、子どもの頃に散々バカにされてきた。


 加えて、クレイには荒唐無稽とも言える夢があった。世界の果てを超え、未知の世界を冒険するという夢。それもまた、人々が彼をバカにするに足る理由になってしまった。


「俺のスキルはなんだろうな」

「うーん……どこでもいつでもたくさん寝られる能力!」

「地味すぎる!」


 白いシャツのボタンを留めながら、ため息をつく。今しがたクレイを小馬鹿にした少女は、クスクスと笑いながらそれを見ていた。


 どこで育て方を間違えたのだろうか――。


 優しいのは確かだが、少しだけ倫理観や常識というものに欠けているようにクレイには思えてならない。自分自身がそういう人間だったからだろう。


 笑みを張り付けてこちらを見ているルネの頭に軽くチョップを入れ、クレイは自室の鏡に向き直る。


「もっとこう、強いのがいい」

「薄らぼんやりしてるねー」

「そんでもってスキルレベルは最上位の五がいいな!」

「わー高望みだなー」


 ボタンを全て留め終え、腰のベルトに杖を引っ掛ける。大きく伸びをしてから一階に降りて洗面台に向かい、寝起きで縦横無尽に跳ね回る髪の毛を水で無理やり押さえつけた。気がつくとルネも服を着ており、玄関で靴を履くクレイの隣に佇んでいた。


「お前はお留守番だ」

「こらー! 置いてこうとすなー! 私も技能判定あるんだよ!」

「そうだっけ」

「そうだよー! それにクレくんに根を張ってるからあまり離れられないって、いつも言ってるのにー!」


 クレイは腕を組んで首を捻り、記憶の奥底をほじくり返す。


 技能判定は、人間種の場合には十八の年に行われる。スキルは生まれながらにして持っているが、技能判定で告げられ、自覚して初めて使えるようになる。ルネのような人魔種の場合には七歳で行われる。


 ルネはちょうど、七歳だった。


 しかし、生み出した者に根を張るため離れられないなんて生態は、アルラウネにはない。いつもの虚言だということは、クレイにはわかりきっていた。


「そうか、もうそんなになるのか」

「そうだよー! 忘れないでよ!」

「大きくなったなあ」

「もー! あ! 感慨に浸ってる場合じゃない! 早く行こ!」

「ああ、そうだった! 行くぞルネ!」


 扉を開けると、眩しい太陽の光が目を突き刺す。クレイはこの光が、あまり好きではなかった。太陽が近くて、地上よりも眩しく感じられるこの太陽が、自分を急かしてくるようで胸にざわざわとした何かが渦巻くのを感じる。


 小走りで向かったのは、浮遊都市国家ミナスの中心に鎮座する教会だ。魔法の属性判定も、スキルの技能判定もミナスではここで行うようになっている。その外装は、周囲のどの建物よりも地味だ。ステンドグラスがないどころか、装飾の類いすら一切ない。教会とは言いながら、外装も内装も普通の民家のようだ。


 中に入ると、誰もいない。ただただ、普通の民家をそのまま居抜きで店舗にでもしたかのようなカウンターが扉に向かい合うようにしてあり、右手にはダイニングスペースがあるのみ。


「あれ?」


 てっきり、技能判定のために押し寄せた人たちが数名はいるかと思いきや、中にいるのは判定を行う名も知らぬ神父のみだった。彼は眉間にシワを寄せて、カウンター越しにわかりやすくクレイを睨んでいる。


「クレイ・ストン! ルネ! 二時間の遅刻だぞ」

「あっはい! すんません!」

「すみません!」


 頭を下げて小走りで神父のもとに歩み寄る。彼はため息をつきながら、持っていた紙をテーブルの上に置いた。


「さっさと済ませるぞ」

「あ、はい」

「お願いします!」


 神父が懐からまた別の紙を一枚、乱雑に取り出す。


 (風情もあったもんじゃないな)


「うむ。まずはルネからだな」


 そう言うと、神父はルネの額に手の平をかざす。その瞬間、彼の手の平から光が発せられた。その光を神父が手で捕まえ、紙に叩きつける。紙にぼんやりと、文字が浮かび上がってきた。


「これは……祝福だな」

「祝福?」


 ルネが首を傾げている。クレイは人差し指を立てて、得意げに鼻を鳴らした。


「自分含め、半径五十メートル以内の味方全員の全ての能力を向上させるスキルだ」

「へー! 使いやすそう!」

「ま、優しいお前にピッタリなスキルだな」

「それでそれで、スキルレベルは?」


 ルネが目を輝かせて、問う。神父は新しく浮かび上がってきた文字を読んで、「おお」と吐息混じりの声を漏らした。その声が、驚嘆なのか呆れなのかクレイには区別が付かなかった。


「三だな。相当に高い」

「三って、どうなるんですかー?」

「能力の向上率が三倍になる」

「はえー、すごそう!」


 興奮しているのか、ルネがクレイの肩をポンポンと何度も叩く。


「実際、かなりすごいよ」


 祝福レベル一は、能力の向上率が一倍と半倍。レベル二は二倍、レベル三は三倍、とレベルが高くなるにつれて高くなっていく。魔法やスキルによる攻撃、筋力などなどあらゆる能力が強くなるというのは、サポート役としては非常に優秀だ。しかも常時発動するスキルだから、いるだけでありがたい存在だと言える。


「よし、次は俺だな」

「うむ。では」


 神父がクレイの額に手をかざす。また現れた光を紙に叩きつけると、文字が浮かびだした。その文字を見た神父の目が、大きく見開かれた後、細くなった。


「お、そんなに凄いのか? 早く教えてくれよ!」

「お前のスキルは、能力倍化だ」

「能力倍化……」


 クレイが、一瞬わなわなと体を震わせた後、肩を落とす。全身の筋肉が弛緩していくようだった。


「それってどんなスキルなんですか?」

「自分の能力を高めるスキルだ」

「へー! 強そうじゃん! なんでがっかりしてるの?」


 だってルネの下位互換じゃん、とクレイは思った。


 しかし、口には出さなかった。


 まだ、救いはある。問題は、レベルだ。もしかしたら、五かもしれない。思案しながら神父の次の言葉を待つも、彼の口はなかなか開かれなかった。痺れを切らし、クレイは口を開く。


「レ、レベルは?」

「ん、一だな」

「……終わった」


 能力倍加のレベル一は、自分の全ての能力を一倍と半倍にする。最大のレベル五の場合は十倍と、祝福より向上率が高いが、クレイのレベルは一。完全にルネより劣る。


 スキルレベルは、個々人の剣の腕や腕力などと違い、成長はしない。生まれながらにして、決まっている才能だ。


 クレイはゆっくりと踵を返し、教会を後にする。教会の扉を背に、膝から崩れ落ち、地面に握り拳を弱々しく叩きつけた。


「ちくしょう! ザコじゃねえか!」

「クレくん、叩きつけるなら強いほうがカッコがつくよ」

「要らん! そんなダメ出し!」

「もー、使い方によっては強いかもしれないじゃん」

「弱いよ! クソザコだよ! 未知の世界を探し当てるという俺の夢が……終わった」


 虚ろな目で天を仰ぐ。閉塞感のある青空が、クレイをただ見下ろしている。空はこれほどまでに近いのに、手を伸ばしても彼の手には届きそうにはなかった。


 (所詮、こんなものか。俺なんて……)


 彼の子供の頃は、もっと純粋に、残酷に、世界は単純だった。自分が信じ込むだけで、英雄にだってなれた。星空に手を伸ばせば、いずれ星すらも掴めるようになると信じられた。自分は特別な存在なんだと自信満々に、近場を探検するだけで凄いことを成し遂げたような気持ちになれた。


 クレイは何年か前まで、そんなよくいる子供だった。


 だが、彼は凡庸なただの一人の男でしかない。


 本当はもっと、早く気がついていたはずだ。自分が特別な人間じゃない、なんてことは。学校の成績も小さい頃は上位だったが、学年が上がるにつれて平均以下になっていった。それもまたよくあることだが、クレイにはそうは思えなかった。


 (俺には、夢がある)


 ガックリと肩を落とし、その目に映る道のタイルがぼやけて見えながらも、しかし、胸中にはまだくすぶるような気持ちがあるのを自覚する。風が、びゅうと吹いた。


 (諦めたくないよな)


 顔を上げた瞬間、目の前に黒いモヤが渦巻く。


「……漂流物?」


 渦が消えたとき、モヤから現れたのは本だった。異世界からの漂流物。このミナスには、他の国より多く異世界から物資や人が流れ着く。クレイは気がつくと、その本を拾い上げていた。表紙に書かれている大和語のタイトルを見て、目を見開く。


 ――『クソ雑魚スキルの俺が追放された途端ヒーローになった件~今更戻ってくれと言われても知らないもんね!~』


 パラパラとページを捲る。そこに書かれていたのは、冒険譚だった。人々からバカにされるような雑魚スキルしか得られなかった主人公が、パーティから追放される。しばらくして、主人公がスキルの真の力に目覚め、みるみるうちに最強と言えるような存在になっていき、バカにしてきた人たちを見返す話だった。


 詳細はわからないが、それでもクレイにとっては熱くなるようなものが、そこにはある。視界が開け、瞳に光が灯った。


「こ、こここ、これだああああ!」

「どれだー!?」

「俺は適当な冒険者パーティに入る! そんで追放されるぞ!」

「い、意味がわからない!」


 こうして、追放されたがり新米冒険者・クレイの冒険が始まった。

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