ヤタガラスの見せた悪夢
ミナスの南端付近にある森。そこにはドレインフラワーの群生地があり、かつては多くの人類種の悩みの種になっていた。現在はごく一部を除いて刈り取られたが、クレイが子供の頃はずっと多くのドレインフラワーたちが獲物を待ち構えるかのように生えていたのだ。そんな吸精の森の奥深くに、クレイはただ呆然と佇んでいた。
呆然と佇む現在のクレイの眼前に広がるのは、かつて自分が経験した記憶。子供の頃のクレイが、ドレインフラワーの茨を手づかみし、引きちぎろうと藻掻いている。彼の視線の先にあるのは、かつて姉と慕った幼馴染の姿だ。彼女はドレインフラワーの茨にがっしりと掴まれており、最早抵抗する様子もない。
だらりんと垂れた腕が、ビクビクと痙攣している。宙に浮いた脚には股から垂れた液が伝い、内ももを擦り合わせている。ただ声もなく、体だけが恍惚と反応しているようだった。彼女の顔は紅潮し、目は薄く濁っている。
「くそ! クソ!」
何度も叫びながら、茨と格闘するかつての自分を見て、クレイは目から一筋の涙を流す。
(ごめんな、ルリ姉)
手のひらから血をダラダラと流す少年は、痙攣すらもしなくなった姉の姿を見て、膝から崩れ落ちた。
その姿を見届けると、ぐらりと意識が歪む。視界がひしゃげ、遠のいていく。
――――――。
目が覚めると、目の前に巨大な嘴があった。
「うわあ!」
飛び上がると同時に、温かな感触に包まれる。ルネがクレイの頭を抱きかかえるようにして、抱きしめた。
「もー! 無茶ばっかして……」
「……ルネ」
頭を撫でられ、クレイは自身の目から涙がこぼれているのに気がついた。ルネの服が濡れていたからだ。ルネの体を引き剥がし、涙を拭う。
「八咫烏はどうなった?」
「私ならここです、クレイ様」
先ほど見た嘴が動く。見上げると、そこには八咫烏の顔があった。先刻までと違うのは、彼の瞳が青くなっていたことだ。
「成功したのか」
「うむ。お主は異なる魂を取り込んだ故、気を失っておったのだ」
「なるほど……」
立ち上がると、仲間たちが心配そうな顔をして駆け寄ってくるのが見えた。全員、ルネに遠慮でもしていたのだろうか。少し離れたところにいたようで、そんな彼らを見るクレイの顔を見て、息を漏らす。
「心配させやがって!」
「本当ね、肝を冷やしたわ」
「やるじゃんクレっち!」
「クレイ様」
戦いの前にも最中にも聞いた慟哭とは違う、透き通った声に振り返る。八咫烏は、粛々と頭を下げていた。
「お救い頂いたこと、感謝いたします」
「ん、別にいいよ。ただ邪魔だったから仕方がなくだ」
「ささやかですが、お礼として皆様の傷を治させていただきました。それから、私の力をほんの少し、分かたれた魂と共にあなたに預けてあります」
八咫烏の言葉に、クレイは胸を押さえる。確かな異物感が、そこにはあった。ゴロゴロとした岩が胸の血管に支えているような感覚に、眉をしかめる。それとはまた別に、熱く漲るような何かも感じる。
「時が来ればわかるはずです」
「そういうもんか」
「ええ。では、私はこれにて」
「応。もう利用されぬようにな」
「はい、気をつけます」
そう言うと、八咫烏は静かに飛び上がり、火口の中へと沈んでいった。クレイは深い深い溜め息をつき、立ち上がる。夢の中で見た光景を振り払うように、頭をブンブンと左右に振って、頬を叩く。「よし!」と大きな声で言い、仲間たちに振り返った。
「行くか!」
洞窟に置き去りにしていた荷物を回収し、馬車に積み込む。さあ乗り込んで出発しようかと思っていた矢先、セレンが彼のシャツの裾を引っ張った。
「どうした?」
振り返ると、彼女の顔がクレイの顔の隣に近づいてくる。思わず固まっていると、耳に彼女の細やかな息遣いが聞こえてきた。
「この件が終わったら、話がある」
「話?」
「ルネちゃんの件」
「……わかった」
答えると、セレンはにっこりと笑ってから馬車に乗り込む。クレイは頭を掻いて、少し遅れて馬車に乗り込んだ。ルネの隣に腰を下ろすと、彼女がぴったりとくっついてくる。
「悪かったな、無茶して」
「本当だよー、別の魂を取り込むの危険なんだからねー」
目の前に、鋭い視線を向けるセレンの顔がある。
(何か勘付いたか。俺がなんか寝言でも言ってたか……?)
しかし、それは彼にとって些細なことだった。少なくとも、今は。クレイは窓の外を見やる。馬車が発車したことを示すわずかな揺れの後、眼下に広がる街道が移ろうのが見えた。胸を押さえて、口角が上がりそうになるのをぐっと堪える。
「方法は見つけた。後は壁を目指すだけだ」
クレイの肩に頭を預けるルネの頭に、自身の頭を重ねながら囁いた。
「……だね」
「ま、その前に力を付けないとな」
「そうだよー、そのためにも命を投げ出すようなことはしないでね」
ルネの湿り気混じりの言葉に、クレイは力強く頷く。
「お前を置いて死ねるわけがないだろ」
「へへへー」
「まあ、今は疲れたから少し眠るよ」
そう言って、目を閉じる。右頬に温かな感触を感じながら。
「うん、おやすみ」
甘く溶けるような声に、心地よい微睡みに落ちる。
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