ルビードラ調査結果報告
エル歴千年五月十八日、午前。
クレイたち四本の槍は、ギルドまで呼び出されていた。目が覚めて帳簿と日記をつけていると、宿屋の女将がギルドに行くようにと知らせ、全員揃ってギルドまで出向いたのだ。イリスに案内され、ギルドの二階に通される。応接間という看板が掲げられた部屋に入り、ソファに座った。
イリスが彼らの対面に座り、四人の前に紙束を置く。
「先日のルビードラの調査が終わりました」
ついに来たか――クレイはごくり、と唾を飲んだ。
紙束の表紙には、ルビードラ調査報告と書かれている。イリスがその紙をめくり、言葉を続ける。
「まず結論から申しますと、あのルビードラは何者かに操られていたようです」
「操られていた?」
「はい、ここを」
イリスが示したのは、調査報告書の二ページ目だった。そこには、こう書かれている。
水源洞窟に出現したルビードラから採取した遺伝子情報に、異常が見られた。通常の遺伝子構造と比べ、歪みが生じている。この歪みは魔人のそれに近い。魔人とは過剰に魔族因子を接種し、それに適応した者の姿だ。遺伝子構造が書き換わり、強靭な肉体と精神を得る。通常の人間の武器では傷を付けることすら叶わない。
適応できなければ、魔族因子の血中濃度が一定以上になったときに内側から破裂して死ぬ。
水源洞窟のルビードラは、魔族因子を大量に投与された可能性が高い。魔族因子を大量に投与された魔物は狂乱状態に陥った後、正常な判断能力を失い、精神支配に弱くなる。精神を支配されていたのなら、人間を襲い門の周囲を徘徊していたのにも納得ができる。
報告書の文章を読んで、クレイは人差し指の第二関節を顎に当てる。
「精神支配……?」
「他者の精神に感応するスキルもありますが、それよりも可能性が高いのが――」
「悪魔の仕業、だねー」
ルネがいつもより低い声で言った。
「その通りです」
「悪魔、か」
悪魔は、世界の影に潜む人類種の一種だ。深く絶望したまま死んだ魂が悪魔になるとか、悪魔がこの世界のマナを循環させているとか、さまざまな話がある。いずれも噂話程度だが、悪魔は確かに実在していた。
ただ、悪魔は基本的にあまり表の世界には出てこない。出てきたとしても、悪さをすることは極稀だ。これは女神ノエルがこの世界の悪魔たちと交わした契約に、理由がある。
女神ノエルは核世界の最上級悪魔だ。この世界の悪魔だけは、はじめ、核世界から送り込まれた者だとされている。彼ら彼女らは核世界での罪人の魂で、ノエルは罪を不問とする代わりにこの世界の管理を任せた。
精霊も、この世界を管理する悪魔の一種だと言われている。
ノエルの冒険譚が好きで何度も読み返してきたクレイには、にわかに信じられない話だった。
「悪魔は契約した者の精神に入り込めます。操ることもできるはず、というのが学者の見解です」
「だけど悪魔は、他の人類種には基本不干渉なのでは?」
「ええ、義理堅い種族だと言いますし、女神の言いつけを簡単に破るとは思えません」
イリスはため息をついてから、また口を開く。
「ただ、水源洞窟に陰魔法の痕跡があったんです」
「悪魔くんにしか使えないってやつじゃん」
「うーん……」
報告書をさらに捲る。確かに、現場には陰魔法の痕跡があったと書かれていた。同時に、水源近くで小瓶がいくつも発見されたと。小瓶からは、魔族因子が検出された。恐らくは、魔人の血液が使われたとも書かれている。
水源付近は、クレイが確認していないところだった。
「おかしい」
「うん、おかしいねー」
「証拠の管理がガバガバすぎる」
(わざと証拠を残してるようだ)
ルビードラは、元々それほど強い種の魔物ではない。魔族因子で強化したにせよ、駆け出し冒険者の四本の槍が無傷で倒せてしまうような相手だった。もちろんクレイたちのスキルと相性がいい相手だったというのもあるが、それだけだ。クレイたちがやらなくとも、遅かれ早かれ凄腕の冒険者パーティにあの仕事が依頼され、倒されていただろうことはクレイにもわかる。
痕跡の残し方が、まるで見つけてくれと言わんばかりだな――クレイは人差し指の第二関節を顎に当てた。
「俺バカだからよくわかんねえけどよ」
ずっと黙っていたフリントが口を開く。全員が、彼に注目した。
「簡単に契約を破ったわけじゃねえんじゃねえか?」
「というと?」
「いやわからんけど、女神の契約よりうまい話があったら、俺ならそっち行くぜ」
なるほど、とクレイは頷いた。
女神ノエルとの契約、つまり自らの罪を帳消しにすること。どれだけの間働けば帳消しになるのかはわからないが、罪を消すことよりも優先したくなるような契約を誰かから迫られれば、応じる悪魔もいるのかもしれなかった。
「とまあ、こんな感じで……」
イリスが肩を落とし、頬に右手を当ててため息をつく。
「なるほど」
「そのうえ、陰魔法のマナの痕跡を辿ったところ首都方面に続いていたらしく、胃が痛いです」
「城塞都市ランプでしたっけ」
城塞都市ランプ。
ナーランプの王であるプランの城を中心に栄えた街。街全体にマナ回路が敷き詰められており、緊急時にはマナを一箇所に集め、襲来した敵に向けて圧縮して放つという独特な防衛方法を取っている都だ。これまで多くの凄腕冒険者と傭兵が輩出された軍事学校があり、守りを固める衛兵も精鋭揃い。
その軍事力の高さから、ナーランプは軍事国家と呼ばれるようになった。
「王も不在のこんなときに……」
「そういや長い間行方不明でしたよね」
「ええ、王は度々行方をくらませるんです。旅に出るとだけ言い残して」
「そうして付いたあだ名が、放蕩国家でしたっけ」
プラン王は誰よりも、自由と混沌を望むと言われている。昔から自由奔放で突然国を抜け出し、従者たちを困らせていた。王として玉座にふんぞり返り、政治をするのにはそもそも向いている性格ではないらしい。
そのため、政治の実権は実質、彼の契約悪魔であるルイス・ウッドが握っている。
ただ、クレイには一つ気になることがあった。なぜ、自分たちをここへ呼んだのか。調査結果を報告するだけならば、受付で済ませることもできたはず。
「それで、本題は? 報告だけじゃないですよね」
「ええ、まあ……」
「バシッと言いなよ、あーしら、一緒に飲んだ仲じゃん?」
マイカが腕を組みながら言うと、イリスはクレイをまっすぐ見据えた。
「首都に行くご予定はありますか……?」
(ああ、そういうことか)
「つまり首都方面に調査に行くのに、学者だけでは不安だから護衛をしてくれと?」
クレイが言うと、イリスは小さく頷く。
「でもなんで俺達なんだ? そりゃ乗りかかった船だけどよ」
「まー、駆け出しだしねー」
「こういう長期の仕事、誰もやりたがらないんです」
イリスがため息をつきながら、説明した。
この街の冒険者たちは、基本的に長い間街を離れたがらない。ロタン周囲の魔物狩りや一泊か二泊程度の遠征の仕事ばかりを受け、長期の仕事はいつもギルドが指名するまで残ってしまう。最初から誰かを指名することもできるものの、以前それをした際にある冒険者パーティから大ひんしゅくを買ったのだと。
そのうえ、今回は緊急性が高い。本当に悪魔や魔人が関わっているのなら、早急に手を打つ必要がある。だから土着の冒険者ではないクレイ達に、声をかけたのだと。
全て聞き終えて、クレイは「なるほど」と深く頷いた。そうして、ポーチから金色の鍵を取り出す。昨日、ダリアという少女から貰った鍵だった。
「おいクレイ、なんだそいつは」
「ランプ近くにある精霊洞窟のどこかの鍵、らしい」
「あ、昨日貰ったやつだー」
「強くなりたいならそこに行けとかなんとかで、気になってな。どのみち、ランプ方面には行くつもりだった」
クレイは鍵をまたポーチに戻し、イリスを見つめる。ふうと一息ついてから、口を開いた。
「俺等で良ければ行きますよ。調査なら足もあるんでしょうし」
「だな、乗りかかった船だ」
「あーしも賛成! 壁目指すにも経験積んだりしないとだし」
「私もー!」
クレイの独断とも言える発言に異を唱える者は、誰もいなかった。イリスは深々と頭を下げ、「ありがとうございます」と震えた声で言って、ソファの横の木箱から小さな麻袋を取り出す。
「こちら、前払いの報酬です」
「確認します」
麻袋を開けると、中には金貨が五枚入っていた。駆け出し冒険者に護衛として支払う額としては、大きすぎる。
「高すぎませんか?」
「調査により魔人や悪魔を従える人物、あるいはそのものと遭遇するかもしれません。その危険手当も込みになっています」
「なるほど、じゃあ高すぎるということはないですね」
魔人と遭遇すると、ほとんどの人間は死ぬ。悪魔や勇者ならいざ知らず、クレイたちのような普通の人類種が敵う相手ではない。魔人は、創造主である女神ノエルですら想定していなかった偶然の産物だ。大昔の魔王が魔族を大量に食らい、体内の魔族因子の割合を高め続けたことによって生まれた理外の生き物。
それが、クレイの知る魔人という種族だった。
それらが出てくるかもしれないという仕事において、金貨五枚はむしろ安すぎると言ってもいい。
しかし、クレイは迷うことなくその麻袋を手に取った。笑みを浮かべ、拳を握る。
「本当にいいんですか?」
「俺等が目指してるのは大壁の向こう側……ここで退くような奴には、どだい無理な話ですから」
「……ありがとうございます。本日中に学者と物資を集めて準備しますので、出発の準備ができましたら、またここに来てください」
「わかりました」
クレイは立ち上がり、一礼してギルドを後にした。食料などの必要な物資は、ギルドが手配する。クレイたちはとりあえず宿に戻り、荷物をまとめて宿をチェックアウトした。フリントは装備を新調するため武器屋へ、マイカは魔道具の類いを見に魔道具屋にそれぞれ向かう。
クレイとルネはペンダントを噴水に浸し、水のマナを蓄えながら今後の予定を話し合うことにした。
「ねークレくん、本当に魔人と遭遇したらどうするの?」
ぽつりと、消え入るような声でルネが呟く。
「そらお前……戦うしかないだろ、護衛なんだから。少なくとも、学者連中が逃げるまでの時間稼ぎはしないとさ」
「だよねー、そう言うと思ったよー」
「危険だって言いたいんだろ? わかってるよ」
淡々と語るクレイの肩をルネがペシッと叩いた。
「それにさー、追放なんてもう諦めたら?」
「ん、まあ、あいつら絶対何があっても俺達を追放したりしないだろうな」
「そーだよー、強くなる方法他にもありそうなんだし」
「まあ、そっちは正直よくわからん。プランは多いほうがいいよ」
クレイは、これまでのことを思い返していた。
フリントとは、出会ってすぐに意気投合した。偶然声をかけてきた見知らぬ男だったが、ルネを見て嫌な顔もせず下卑た顔もせず、ただただまっすぐに「かわいい子連れてんな!」と彼は笑った。クレイにとっての善人・悪人の区別は、主にそこにある。
自分が大事にしている人間に対し、害をなさないこと。フリントは紛れもなく、クレイにとっての善人だった。
マイカとは、出会ったときは露骨に嫌そうな顔をされた。ところが話をしているうちに、まずルネと仲良くなり、それからクレイたちとも仲良くなって、今がある。マイカもまた、ルネに対する偏見などはなく、クレイの夢に関してもバカにすることなく、むしろ「いいじゃーん」と肩をたたいた。
(あいつらのことは大事だ。だからこそ……)
クレイは頭を振って、ペンダントを見る。淡く光を放つアイスセカンドをしばらく見つめてから、通りを眺めた。
人々は、この街に何かよからぬ影が忍び寄っているということも知らず、今日もある者は忙しそうに、ある者は楽しげに往来している。二日間しか滞在しなかった街だし、必ずしもいいことばかりではなかったが、それでもクレイの胸中にはある種の使命感のようなものがあった。
「ま、別に死ぬつもりはないしな」
「まー私もこれ以上グチグチ言わないけどさー」
「ありがとうな、気をつけるよ」
「うん、そうしてね」
それからしばらく無言の時を過ごし、気がついたときにはアイスセカンドの光が消えていた。マナを十分に吸収したという合図だ。ルネがペンダントを引き上げ、クレイに手渡し、後ろを向く。クレイは笑いながら、彼女の首にペンダントをかけ直した。
「ん、苦しゅうないぞー」
「ははは、なんだそれ」
「さー! ギルドに戻ろう!」
「おう!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます