恋する魔人

 店を出てすぐ、風俗街へと向かう。夜とはまるで違い、人の往来がほとんどない。まだ店も開かず、店員なども出勤していないような時間なのだろう。飲み屋に関しても同様なようで、夜の喧騒がまるで夢のようだった。


「よし、セレンよろしく」

「わかったわ」


 セレンがスーパーバット君を抱えて唸ると、ガラス玉が黒く光り、飛び立った。スーパーバット君はパタパタと翼をはためかせ、ぐるぐると空中を周遊している。それから少しして、風俗街を南に飛んでいった。


「あいつについて行けばいいのか?」

「ええ、行くわよ」

「よっしゃ、気合入れて行くぜ」


 スーパーバット君に案内されるがままに、五人は歩いていく。昨日フリントたちが喧嘩をしていたあたりを通り過ぎ、昨日クレイは立ち入らなかったところまで進んでいった。十字路を右方面……西に曲がり、しばらく進むと街の雰囲気がガラリと変わってきた。


 ジメジメとした空気に、舗装が禿げた道。建物もボロボロの木造やトタン板で出来たようなもの、テントなど見すぼらしい印象だった。


「スラムか……」

「話には聞いてたが、地上にはこういうとこもあんだな」

「あーし、ここ苦手かも」

「私もー」


 ここに苦手意識を持たないほうがまずいだろう――クレイはあたりを見渡し、頷く。


 ラダウは商業で栄えた街だが、それ故に地産というものがない。そのためか、商業ができないような人間の雇用が発生しにくい。飲食店などで雇ってもらうか、冒険者になるかのどちらかしかないが、その職からもあぶれてしまう者が一定数いる。そうした者はもちろんラダウだけでなく、大陸全土にいた。


 そのような者たちが、物資が豊かなこの街に集まり、スラムを形成していったのだ。捨てられるものすらも、この街はほかよりも豊かだった。


 地面に座ったり横たわったりしている人々からは、覇気というものがまるで感じられない。どこか虚ろな目をして、何を見ているのだかわからない顔をしているように見えた。クレイはあまり目を合わさないようにして、スーパーバット君を追う。


 ふと、彼が一つのテントの前で止まり、また空中を周遊しはじめた。


「どうやら、ここでマナの痕跡が途絶えてるみたいね」

「人の気配は……ないな」


 クレイがテントを開ける。中はそれなりに広く、小さく背の低いテーブルがある以外は何もなかった。


「何も無――」


 クレイはゾクリ、と背筋に寒気を感じ、慌ててテントから出た。仲間たちが武器に手をかけて固まって、同じ方を向いている。クレイもまた、同じ方を見ていた。その視線の先には昨晩の大男が相変わらずフードを被って、ただ立っている。


「人のテントに勝手に入るとは、無粋な輩だ」


 はじめて聞くその声は、低く鋭く心臓を突き刺しにしてくるようだった。釘バットを抜こうとするも、手をかけるだけで動けなくなってしまう。


「お、お前は何者だ……?」

「ロタン水源洞窟のルビードラ、あれはあんたの仕業なの?」


 クレイとセレンの言葉に、大男はふうと息を吐いてフードに手をかける。徐々に露わになったその顔には、大きな大きなキズがあった。額から唇にかけて、切り傷のようなものが走っている。左目は見えないのか、薄く濁っていた。彼が放つ威圧感が少し緩まったのを感じ、クレイが釘バットを抜く。


「いきなり武器を抜くとはな」

「こ、答えろ!」

「あなたは悪魔? それともー……魔人?」


 ルネが問うと、大男は声をあげて笑った。地面が響いているのではないかと錯覚するほどの大声だった。


「その両方だ」

「……両手の爪を見せなさい」


 セレンが杖を突きつけて、睨む。彼の両手は、ぶかぶかのパーカーの袖に隠れて、見えない。彼は「まあよいか」と言って、袖を捲る。現れたのは、大きな手だった。


 しかし、それ以外は普通の手だ。セレンは目を伏せ、杖を縦に持ち替える。


「して、水源洞窟のルビードラの件であったか」


 彼は大きな手でボサボサの髪をかきあげてから、腕を組む。


「儂はまるで知らん! ということもないが、儂の所業ではない」


 彼の表情は、クレイにはよくわからなかった。真っ直ぐとクレイたちを見てはいるものの、真剣な顔なのかそれとも何かを嘆いているのか、読み取ろうとしてもわからない。けれど、嘘をついているようにも見えなかった。


「知らないこともないとは、どういうことだ」

「お主らが追っておるのは、ロタンの水源洞窟のルビードラを隠れ蓑としたロタン襲撃計画の犯人であろう」


 そこまで知っているのか――クレイは釘バットを握る手の力を強めた。


 彼は腕を組みながら、天を仰ぐ。


「あれは邪教の仕業だ」

「邪教……」


 もしかして、とクレイは思った。ロタンで見た金色の十字架を背負った黒いローブの男。大男という特徴は目の前の彼と同じだが、彼の目は金色ではない。同一人物の可能性も視野に入れていたが、どうやら違うようだった。あのとき見た紋章。


「三神教……か」

「知っておるのではないか。であれば話は早い。ひとまず、武器を収めてはどうかな?」

「……なら、その威圧感をどうにかしてもらいたいもんだけどな」

「おお、なるほどそういうことであったか。しばし待たれよ」


 彼はおもむろにパーカーを脱ぎはじめた。パーカーが完全に脱げてタンクトップ姿が露わになると、クレイたちを襲っていた威圧感が霧散していくように感じる。クレイは「はあ……」と長い息を吐いて、釘バットを収めた。仲間たちも、武器を収めていく。


「このパーカーは相手を威圧する効果があってな」

「みたいだな……強い奴が身につけるもんじゃないだろう」

「単純な強さでは人は威圧できぬ故な」

「で、三神教がどうだって?」


 大男は目を閉じて、また腕組みをして語りだした。


 かつて女神ノエルの世界を含む全世界を崩壊の危機に陥れた邪教の残党が、この世界に流れ着いた。邪教徒は密かに協力者を増やしながら、かつての盟主の計画を実行に移そうとしているのだと。この大きな魔人は魔王に与さず世界を渡り歩いていたところ、たまたま出会った悪魔に一目惚れした。淫魔という種族だった。


 その淫魔と仲良くなると、彼女は彼を三神教に勧誘したのだという。その際に、今回の事件と似た計画を聞いたのだと。


 語る彼の顔が、クレイには悲しそうに見えた。


「彼女の名はザクロ。此度の計画の首謀者だ」

「なるほど……知らんことはないっていうのはそういうことか」

「で、おっちゃんはどうしたいんだ?」

「おっちゃんとは儂のことか?」


 彼が聞くと、フリントが大きく頷く。


「おうよ。惚れた女が立てた計画だ。それを俺等に話したってことはだな……あー、その、あれだ。止めたいとかあんじゃねえの?」


 フリントが真っ直ぐに大男を見据えながら聞くと、彼は腕組みを解く。


「かの邪教はこの世界に災いをもたらす。各国の王や女神が黙っているはずがなかろう。先が無いと儂は思う」

「まあ、そうだな。今年は女神降臨の年だし」

「であれば、そんなところに彼女を置いてはおけん。かと言って、儂が直接止めに行けばどうなる? 嫌われてしまうのではないか?」


 クレイはその言葉に面食らった。タンクトップからもわかるほどの見事な胸筋と腹筋をたたえ、血管が浮き出るほどの見事な腕をした大男。そんな彼の口から、嫌われるのが怖いというような言葉が聞こえてきて、どう返していいものか迷ってしまう。


「意外と女々しいわね」

「……初恋なものでな」

「えー! 素敵だー!」


 クレイは自分が馬鹿らしく思えてきて、ため息をつく。目の前の男は借り物の威圧感を放ち、初恋相手にドギマギするいかにも人間臭い魔人だった。彼は腕組みしながら、右手の人差し指で左腕をトントンと叩いている。


「そうして逡巡しているところ、お主らがいたというわけだ」

「……はー! くっだんね! 行けよ! 今すぐ!」


 フリントが頭をかき乱しながら叫んだ。


「惚れた女の行く先が暗いってんなら、行って照らしてやれってんだ!」

「フリント、お前……」

「悩むより突撃あるのみだぜ、魔人のおっちゃん! なんなら俺等も一緒に行くからよ!」


 フリントが勝手に話を進める。クレイは口を挟もうとしたが、やめた。


 (どのみち、この事件の解決は必要だし、好都合だな)


 それに、目の前の魔人の恋の行く末に興味がないわけでもなかったし、三神教というのも気になる。


 ふとセレンのことが気にかかって横目で見てみると、彼女の瞳が輝いているように見える。魔人に対する恨みとはいっても、魔人全員を憎んでいるわけではないようだ。クレイはほっと胸を撫で下ろし、彼をじっと見据える。


「どのみち俺等はそのザクロという淫魔を探す。ここまで話したんだ。一緒に行こう」

「……それが道理であるな」

「そーだよ! 恋の協力もするよー! こっちには乙女が三人! 怖いものなし!」


 ルネがいつもの調子で親指を立てる。すると、魔人もまた親指を立てて微笑んだ。


「儂はカーネリアン。リアンと呼ばれておる」

「俺はクレイ・ストン。クレイと呼ばれてる」

「俺はフリントだ! よろしくなおっちゃん!」

「私ルネー! アルラウネだから!」

「あーしはマイカ。ま、泥舟に乗ったつもりで任せなって!」


 (泥舟だと沈むんじゃないかな)


 クレイは苦笑いしながら、セレンの背中を叩く。


「あたしはセレン。さっきは悪かったわ、不躾に手を見せろなんて」

「よい。何か訳があるのであろう」


 クレイは満足げな笑みを浮かべながら、カーネリアンに手を差し出す。彼もまた笑みを浮かべながら、その手を取った。


「よろしくな、リアン」

「応とも、友よ!」


 リアンは五人全員と固い握手を交わし、豪快に笑う。パーカーを回収して、ひとまず六人は冒険者ギルドに向かうことにした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る