第32話 えっ。キスですか?
夜明け
サネルを片手に抱えた崇徳童子が、繭で作られた巨大な風呂敷を担ぎ天幕へと戻ってくる。
「羽虫起きろ!」
天幕が揺れるほどの声にシルフィードが飛び起きると急いで天幕の外へ飛び出す。
「えっ? サネル? どうしたのその怪我? それに崇徳童子のその荷物は……何?」
「いちいち煩いぞ。それよりも早くこちらに来い。俺の顔の前だ!」
「えっ? あ、はい」
シルフィードが羽をはばたかせて崇徳童子の顔の目の前に留まる。均整の整った表情が目の前に迫る。名のある彫刻家が手掛けたかのような隙のない美形にシルフィードが口元を緩ませる。
「遠い。もっと近くに来い」
「あ、はい」
崇徳童子はシルフィードを凝視する。その距離は数センチあと一歩前に出れば唇が触れるほどである。
「近い。えっひょっとしてキ、キス? で、でも崇徳童子ならいいかも」
シルフィードが唇を突き出し前に進もうとすると小さい額に崇徳童子のデコピンが繰り出される。
「な、なんだ一体。近づくでない。だが、問題はなさそうだな」
崇徳童子が懐に手を入れると黒い短鞭が取り出される。
「これを持て」
黒の短鞭は持つだけなら子供でも問題ない大きさである。しかし、シルフィードは風の妖精。取り出された黒鞭と同等の大きさしかない。
「ちょっとぉ! いくら私がプリティで何でもできるからってその棒を持てるわけないでしょ!」
腕を組み、頬を膨らませ抗議するシルフィード。両手を前にだし無理無理と手をブンブンと振っている。
「ちっ!」
崇徳童子が目を細めてシルフィードに黒短鞭を放り投げる。
「えっ!? あっちょっと!」
重厚感のある小枝ほどの短鞭がシルフィードに迫る。不意を突かれた避けることのできない黒短鞭がシルフィードに当たりそうになる。咄嗟に手を前に出し抵抗を試みるシルフィード。その小さな身体が黒短鞭に押し潰されるかに見えた。
しかし、黒短鞭はシルフィードに近づけば近づくほどその大きさを小さくしてゆく。その小さな身体に到達する時にはシルフィードの肘から先ほどの大きさにその形を変えていた。
「こ、これって」
「……問題ないか。……上手く融合もしたようだな」
「融合?」
「いや、こっちの話だ。そうだ、サネルの手当てをしてやれ。妖術は使えるのだろ?」
「妖術? 魔法なら使えるけど。 あっ!? っていうかさっきの棒は――」
戸惑うシルフィードを無視して崇徳童子は天幕へと近づく。手には昨晩作っていた繭をこねた餅のような物を手に持っている。どうやら繭で作られたこの天幕を増築するようである。
シルフィードがあまり得意でない治癒魔法によりサネルの足を治していると崇徳童子の手によりみるみる内に天幕が大きくなってゆく。
「こんなものか」
サネルの傷が治り切る頃には馬車を何台かしまえるほどの重厚感のある天幕ができあがっていた。
「これからすねこすり達のサルベージを行う。繊細な作業だ。一時も集中を途切らせてはならない。絶対に近寄るのではないぞ!」
崇徳童子の鬼気迫る表情にサネルとシルフィードが凄まじい圧力を受ける。もし、邪魔をすれば命の補償はしないそんな表情をしている。
「わ、分かっかたわ。そんな怖い顔しないで!」
回復が終わり立ち上がれるようになったサネルも首を縦にふる。
「では、俺達は崇徳童子さんが天幕より出てくるまで周囲を見張っています」
「うむ。頼むぞ!」
最後まで表情を崩さない崇徳童子に二人は改めて大きく頷いた。
※※※
天幕より百メートルほどの場所をウロウロとする二人。サネルは片手にナイフを持ちいつでも野性の魔物に対処できるように目を光らせている。
シルフィードは天幕の中が気になって気になってしょうがないようだ。しかし、先程の崇徳童子の氷のように鋭い視線を思い出したのか遠くから天幕を見るに留まる。
「ねぇ。あの繭の中はどうなってるのかな?」
「まさか覗こうなんてしてないだろうな? 連帯責任で電撃をくらうのはマジで勘弁だからな」
「いや、それはもちろんだけど。やっぱり気になるじゃない? 入ってすぐにぼんやり光ってからずっとそのままだしぃ」
「やっぱりじゃないだろ! どうしてあの崇徳童子さんを見てそんなことを言えるんだよ!」
言葉を荒げるサネル。その瞳には本気で拒否する姿が見てとれる。あまりのサネルの剣幕にイタズラ心を見透かされたシルフィードの頬が引き攣る。
「ハァ。頼むぞ」
サネルが肩を落とし視線を上げると小さな砂埃が目に入ってくる。
「んっ? あれは?」
砂埃が少しづつこちらに向かってくる。その視線の先には一直にこちらにかけて来るのは巨大な一匹の猪がいた。
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