第28話 この人は一体?

 サネルが仲間達に近付くと仲間の女がサネルの胸に飛び込む。


 恋人あるいは妹といったところであろう。どうやら別れを惜しんで涙を流しているようだ。サネルが二言三言励ましの言葉をかけると女は名残惜しそうに顔を離してデルメルデス砦に向かい歩き始めた。


「では、行くか」


 崇徳童子の言葉を合図にサネルが先頭を歩き始める。既に頭巾と口元のスカーフは外している。褐色の肌に筋の通った鼻筋、大きな赤い瞳は整った顔立ちを際立たせている。


「距離はどれ位だ?」


「崇徳童子さんと俺の脚なら三日で着くだろう。野営の準備は……」


 崇徳童子は背中に布を丸めたような物を背にかけているだけだ、野営をするには準備不足といえる。一度街に戻り準備をするべきと進言を迷っていると何かを察したのかシルフィードが首を横に振る。


「いや、何でもない」


「そうか。さて、サネルよ。お前は正道を踏み外した。これからお前はその枷を背負って生きなければならない。よってお前に私の師の言葉を授ける」


「師ですって?」


 恐ろしいほどの力を持った崇徳童子の師である。創造を膨らませるサネルの表情が自然と厳しくなってゆく。


「私の師であり、恩人であり、憧れの方だ。名を鬼次郎という」


(崇徳童子さん同様に聞いたことかない名前だ。しかし、崇徳童子さんを知るいい機会かもしれないな)


 崇徳童子に視線を向けると話を聞く体勢となったと判断した崇徳童子が語り始める。


「日は昇ったばかり、時間は存分にある。鬼次郎さんの登場シーンから話しておこう。まず、第一話の死体から姿を現した話だ。鬼次郎さんが意表をつき人間をあざ笑う姿は何度見ても驚いたな。しかし、今考えればあれが人間に対する皮肉だったとは……」


「ちょっ……。えっ。あっ。鬼次郎さんですか?」


「うむ。心して聞いてくれ! それでな――」


 唐突に始まった異世界偉人話。戸惑うサネルがシルフィードに助けを求めるが困り顔の風の妖精はまたしても顔を横に振るのであった。


 ※※※


 太陽はとうに天頂を過ぎ、既に陽の入りの時刻に差し掛かっている。辺りは茜色に染まり、森の魔物達は今か今かと夜の帳が下りるのを待っている。


「でだ、仲間の出っ歯男を助けるために鬼次郎さんは片腕を捨てて鬼人の口の中に手を突っ込んだ。そして――」


「崇徳童子さん!」


「んっ? 何だこれからが大切な所だぞ」


 サネルが一呼吸置いて回りを見回す。良いところを邪魔された崇徳童子が不満を声にだそうとするが辺りが闇に覆われそうになったのに気付いたようだ。


「いつの間にやらこんな時刻か。野営の準備をしなくてはな」


 怒涛の鬼次郎語りが唐突に終わる。サネルとシルフィードが崇徳童子に背を向け盛大な溜め息をつくと普段聞き慣れない音が背中から響いてくる。


 ネチャネチャと餅をこねるような音と共に怪しげ甘い匂いが漂ってくる。次は何が起きるのかと二人が背後に振り向くとそこには巨大な蜘蛛の巣を彷彿とさせる網が張られていた。


「もう少しで片がつく。サネルは薪でも集めていろ」


 崇徳童子が両手に持っているのは白い繭の束である。パスタの麵を引き伸ばすように両手を器用に動かすとその先に現れたのは巨大な布であった。


「ほらよっと!」


 上空に投げた布が空気を含んでみるみる大きくなると、予め設置してあった網へとかかる。


「ハッ!」


作業は続く。その出来上がった巨大な繭の創作物に両手に薄く纏わせた雷を流し込んだのだ。


 繰り返し作業をすること数分。出来上がったのは二人が悠々と寝られる繭の天幕。中には糸で作られたハンモックが二つ。


 崇徳童子によると一晩限りではあるが雨風はゆうに防げるという。


「なんですかこれ? こんな物は初めて見ました。薄いけれどしっかりと風を防いでくれるし強度もありそうですね」


 サネルはハンモックになっている部分を引っ張って強度を確かめるが、伸縮こそすれ引きちぎれることはない。


「当たり前だ。俺の妖力が練り込まれているのだ。そこらのなまくら刀では傷一つ付けることはできんぞ」


 口を開けて感心するサネルを見て満足そうにする崇徳童子。


「後は、飯か」


 親指と人差し指を合わせて小気味よい音を響かせると雷が走る。サネルが集めてきた薪にピリリと電撃が駆け巡るとしばらくして煙が上がる。


「火を大きくしておけ。数分で戻る」


 返事をする間もなく崇徳童子が闇の中へと姿を消してゆく。


「な、なんだあの人は?」


 抑えきれないクエスチョンマークが頭から溢れ出す。その答えを横でキラキラと鱗粉を輝かせるシルフィードに再び求める。


「私にも分からないわよ。唯一分かるのは崇徳童子がこの世の者ではないという存在で、常識を超越する強さを持っていることくらいかしら」


「……ようかい」


 サネルが種火に息を吹きかけるとみるみるうちに大きくなる炎。数分もするとサネルの目の前には立派な焚火ができ上った。


「よし、火は起こせたな」


サネルとシルフィードが焚き火から顔を上げる。


「「ひっ!」」


 顔を上げれば音も気配も感じさせずに崇徳童子が目の前に立っていた。両手に持っているのは立派な牙を生やしたフォレストボアである。首から血を流しながら絶命している。


「えっ。それって」


「んっ? 一匹では足りんのか? もっと食いたければ自分で獲って来い」


「い、いや、充分です……。一応、聞くんですがそのフォレストボアは今獲ってきたんでよね?」


「あたりまえだ。サネル、それよりこいつを持って構えろ。首を落とす」


 フォレストボアは小柄なものでも成人の大人程の重さだ。首も太く、手慣れた職人が鉈で切り落とすのにも一時間はかかる。サネルは何が何だか理解できないが歯を食いしばりながら何とかフォレストボアを持ち上げる。


「動くなよ!」


 サネルの動きが止まった一瞬を見計らって崇徳童子の姿が消える。


「えっ?」


 サネルが間抜けな声げた瞬間、両手の重さがふわりとなくなる。いつの間にやら並べられた即席の繭の皿には地面に等分に切断されたフォレストボアが並べられていた。


「うむ。脂がのって美味そうじゃないか」


(俺にはこの人を理解するのは無理そうだ)


 サネルは崇徳童子を理解するのは不可能と判断したようだ。どこからともなく現れた塩を手渡されると黙々と肉に塩をぬり込む作業に集中するのであった。

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