第29話 毛むくじゃらの正体
深夜
街道沿いの森で繭の天幕が張られ、すぐ横には薪を焚べるサネルがいる。時折、闇の中から獣の声が聞こえるが静かな夜といえるだろう。
(崇徳童子とは一体どんな人物なのだろうか?)
結局、サネルが味付けした肉も焚火で焼くことなはなかった。自身が作り出した雷撃によって焼き上げ、手渡してきたのだ。しかも、外はこんがり、中はホロホロである。
「肉、美味かったな。街道沿いで盗賊なんてしていればいずれは仲間か自分が死んでいた。自由がないとはいえ仲間全員で飢えずに生活できる。それは凄く運が良いことなのかもしれない」
仲間がデルメルデス砦に無事に着けたかと心配していると街道沿いの異変に気付く。地面を何かが這いずるような音が聞こえるのだ。
「……」
サネルは生唾を飲み込み覚悟を決め、焚火を一本手に取り街道に向かい歩き始める。
「ミィィ」
奇妙な声はすぐ背後で聞こえた。焚火の灯りと共にサネルが素早く振り向く。
「……」
視界には何も入ってこない。もう一度周囲を照らしてみる。やはり、特に何かがいるようには見えない。
「ミィゲェェル」
サネルが再び背後に振り向くがやはり何もいない。しかし、今度ははっきりと鳴き声が聞こえた。高いような低いようなはっきりしない鳴き声。小動物の獣が威嚇するよう鳴き声である。
「痛っ!?」
右足の脹脛に鋭い痛みが走る。咄嗟に松明で足下を振り払うと黒い何かが走り抜けた……ように見えた。
サネルの鼓動が早鐘を打つ。崇徳童子と戦った時とはまた別の緊張感である。一つだけはっきりしているのは得体のしれない何かはサネルを獲物として捉えているのだ。
「ク、クソ!」
松明で辺りを照らしながらゆっくりと後付さる。崇徳童子の繭からはだいぶ離れてしまっている大声を出しても声は届かないだろう。
「――痛っ!」
太腿の裏に鋭い痛みが走る。焼け付くような痛みだ。松明を振り払った際に傷口が見えたが何かに噛み付かれたような歯型の痕に見えた。
サネルの恐怖が臨界点を突破する。一刻も早く逃げようと本能に従い繭の天幕に向かい走り出す。
しかし――
気付いた時にサネルは宙に浮いていた。当たり前のように足を進めていたはずなのに足は後方に伸び切り受け身も取れないまま顔から突っ伏す。
予想しなかった事態に間抜けな声が漏れてしまう。顔についた泥を落としながら顔を上げようとすると目の前に予想もしなかったものがいたのだ。
歯だ。拳大の大きさの円に上下それぞれに小さい歯が綺麗に並んでいる。
「何だこいつは?」
転がった松明の灯りがサネルの目の前を照らす。その先にいたのは視界いっぱいに広がる歯、歯、歯であった。
「ひっ!」
恐ろしさのあまりにも喉が鳴るとその歯達がざわざわと蠢く。どうやら歯だけだと思っていた背後には闇と同化した黒い体毛が隠れていたようだ。
「これが崇徳童子さんが探していた毛むくじゃら――」
サネルの声に合わせて毛むくじゃらの口がこちらに向けられる。次の瞬間、毛むくじゃらが歯をむき出しにしたまま一斉にサネルへ飛びかかる。
サネルが咄嗟に腕を払う。幾つかの毛むくじゃらをはたき落とすが残りの毛むくじゃらはそのままサネルの褐色の肌へと喰らいついた。
「いっ! いだっ――」
サネルの肉が噛み千切られそうになったその時、眩い一筋の光が駆け巡る。光は次々にその数を増やし、一呼吸後にはサネルと毛むくじゃらを囲むように駆けていた。
「サネルよくやった! やはりすねこすり共であったか!」
危機一髪の所で現れた崇徳童子により魔獣――妖怪すねこすりは一掃されたようだ。一掃と言っても身体が痺れているだけで命に支障はないようである。
崇徳童子は口元を僅かに綻ばせると地面で動けなくなったすねこすりの一匹を持ち上げる。
「久しいな、わかるか? 崇徳童子だ。すまんことをしたが、此奴は儂の奴隷だ。死なすわけにはいかんのだ」
どうやら崇徳童子は前世ですねこすりと面識があるようだ。崇徳童子が見せたことのない優しげな笑みを浮かべている。
「ミィゲェェェ!!」
しかし、それに対してすねこすりの態度は対照的である。黒い毛を逆立て崇徳童子の小さい指に歯を立てているのだ。
「すねこすり? いや、正気ではないのか?」
横たわるすねこすり達から身体の痺れが消えたようだ。ヨタヨタと立ち上がりみな一斉に崇徳童子を威嚇し始める。
「すねこすり……術者が近くにおるな」
崇徳童子の均整のとれた美しい顔がみるみるうちに怒りで染め上がってゆく。
「許さん」
一陣の風が周囲に吹くと怒りの残り香を残し崇徳童子は姿を消すのだった。
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