第4話 デルメルデス廃砦
デルメルデス廃砦
「汚い。空気は淀んでるし、光が差し込んでこない!」
黒と白のボーダーの部厚いシャツに七分丈の濃紺のパンツ。肩口近くまで伸びた髪を揺らしながら青年は右目にかかった前髪をクルクルと指に巻き付けている。
「だ、旦那。街に戻るわけにはいかねえですし。ここは滅多なことながければ人が来ることありません。あの騒ぎを起きた後に街に戻るわけにはいかないでしょ?」
砦が放棄され数十年が経つ。森の奥に建てられた砦は利便性が悪く、周りに何もないことから人が近づくことはない。廃墟マニアの変わり者がここまで来ることはあり得るかもしれないが、魔物に襲われるリスクをおってまでこのデルメルデス廃砦に来るものはいないだろう。
「元はといえばお前らが俺を売り飛ばそうとしたからじゃないか。しかも鬼次郎さんのことを馬鹿にしやがって」
「ちょ、ちょっと待ってください。売り飛ばそうとしたのは間違いありませんが、鬼次郎さんを馬鹿にしたっていうのは誤解だってわかったじゃないですか」
怯えながらコランダが確認を取るとすぐ後ろに控える三人も激しく首を縦に振る。
「そういえばそうだったな。もし鬼次郎さんを馬鹿にしていればお前たちがここで生きているわけないからな。……それにしても俺たち妖怪は忌物なんて言われているんだな。俺は普通に異世界に転生したかっただけなのにとんだ迷惑な話だ」
「はい。兵も崇徳童子さんの繭にを大層恐れていました。かつての五十年前の忌物は街一つを跡形もなく消したと言われています。ですから、恐れるのもわけはありません……しかし、痕跡は残さず来ましたし、詰所にいた俺達にコンタクトをとった証人はこの世に既におりません。ここに崇徳童子さんを追ってくるものはいないと思います」
「そうか。それでは不本意ながらここを拠点に活動するしかないか……お前たち俺を売り飛ばそうとしたんだ。その報いは受けてもらうぞ!」
「は、はい! それはもう。四人で話し合って崇徳童子さんが満足するまで手となり足となると決めましたので何なりとお申し付けください」
「そうか」
古びた大きめの椅子に腰を掛けるとその前に四人が片膝を付けて座る。フードを被っていた者達もいまは一人を除きフードをとり顔を出している。
その中でも目を引くのが崇徳童子に暴言を吐いた者の頭頂部である。他の者の頭の上にあるものが存在しないのだ。太陽の元に出ればキラリと光を反射させ、見る者に手で
「おい、丈二」
「は、はい」
背中をビクリとさせて片膝を立てているものの一人が声を上げる。崇徳童子と遭遇した際に薬が切れ暴言を吐いたものだ。
「鬼次郎さんを馬鹿にしていなかったのは認めるが、俺に汚い言葉を吐くのは許さない。俺が鬼次郎さんを慕ってなければ今頃消し炭になっているのを忘れるなよ」
「はい!」
崇徳童子は頭髪の光具合に満足したのか今度は四人を見降ろす。
「一平、丈二、三太、コランダ、俺の仲間でいるうちは無闇に人殺しをするんじゃないぞ。鬼次郎さんは慈悲深い方だった。無闇に人を殺すような御方ではなかったぞ。その意志を継ぎ俺もここにいる。俺がいいって言うまで人は殺すんじゃねぇ」
「「「はい!」」」
「よし、いい返事だ。それでは話した通りコランダと共に街に情報収集に向かえ。丈二! お前はここで見張りだ」
「「「「はい!」」」」
※※※
街に向かう背中に影を背負った三人の姿がある。気のせいか三人とも背筋を丸め疲れきっているように見える。
「コランダさん、ジョージヨには悪いとは思いますがこのまま逃げませんか?」
フードを外した赤髪の男が情けない声を上げる、鋭い目付きをしているが下を向き自信なさげな様子から怯え切った野良犬のように見える。
「ジョージヨじゃない。崇徳童子さんは丈二って名前を付けたんだ。ジョージヨはもう丈二なんだ。言い間違えるなよ。それに話し合って崇徳童子さんの仲間になるって決めたんだろ? ペイタ――じゃなかった、一平も見ただろあの兵士達の末路を……」
「……確かにあれはもう見たくありませんね。まさか、兵士が身体からへ、へ――」
「それ以上言うな! もう思い出したくない。俺たちは崇徳童子さんの下でやり直すんだ。それにな崇徳童子さんは神出鬼没だ。ひょっとしたらこの会話も聞いているかもしれないぞ」
「ヒィッ!」
唯一フードを被った者が悲鳴を上げてその場にうずくまる。そのまま頭を抱え、神に助けを求めている。
「三太、落ち着け。俺たちは屑だが殺しだけはしていない。殺しさえしてなければ崇徳童子さんも俺達を殺さない。それにな、もしかすれば丈二の薬中は治せるかもしれない……中毒を超える恐怖で」
三人が一斉に唾を飲み込むと無言で足を止める。やがて、コランダが街に向かい歩みを進めると一平と三太も無言でその背中の後に続いた。
※※※
夜になりすっかり冷え込んだ屋外でしきりに頭を撫でる丈二。頭髪がなくなったのを受け入れられず先ほどから何度も何度も頭を撫でているのだ。
それにしても今日はよく冷える。身体の震えが止まらない。いや、この震えは寒さからくるものではないのではないか? 薬の中毒か? はたまた黄泉の世界にまよいこんでしまったのか……震える身体を右手で掴み、左手の松明で外を照らす。
「なんだ、何も――」
前方を照らした松明を自分のすぐ近くに持ってくると、その目の前には崇徳童子が佇んでいた。
「ヒッ! す、崇徳童子さん。どうしたんですか?」
顔を青くした丈二が尋ねると眉間に皺を寄せた崇徳童子が訝し気に森の中を覗き込んでいる。
「コランダの奴らの気配が消えた」
「け、気配ですか?」
「そうだ。街に着くまでは何事もなかったのだが急に気配が消えた」
「旦那は数キロ先の街に行ったコランダさん達の気配が分かるんですか?」
「くどい。おい、丈二。見張りは終わりだ。俺と一緒に街へ行くぞ!」
「へっ? 街に?」
「そうだ、早く出かける用意をして来い。今すぐに行くぞ」
丈二は崇徳童子に従い出かける用意しようとするがすぐに足を止める。今は深夜、森は魔物の時間である。森を抜けても夜の街道には野盗が溢れている。崇徳童子が魔物や野党に後れを取るとは思わないが自分が巻き添えに合えば被害を被る可能性が高い。何とか穏便に朝まで待つように進言しようとすると、唐突に丈二の身体が宙に浮く。
「へっ?」
気が付けば腰の辺りを捕まれ宙を浮いている丈二。森へ行くのを諫めようとしていたのに今は疑問と恐怖が頭の中を駆け巡っている。
「別に用意するものなどないか。しゃべるなよ舌を噛むぞ」
丈二が次の言葉を紡ぐことはできなかった。崇徳童子の足が丸太のように膨張し、足が地面にめり込み窪みを作ろうとした時、丈二は風になった。
「オバァババババ」
凄まじい風速と揺れ、三半規管が暴走し、全ての世界が歪んで見える。丈二のあらゆる疑問は吹っ飛び、いまはこの謎の状態が一刻も早く終わるのを心から望んでいた。
「なんだ、優しく走ってやっているのに情けない奴だな」
崇徳童子が何か言っているが風の音と酩酊状態で何が何だか分からない。地面が大きく揺れ、今度は急速に体が浮き上がる。全身の内臓が自分の中から宙に浮くような浮遊感。猛烈な吐き気が襲うが呼吸をすることができずに吐き出したものを飲み込んでしまう。
「ひっひっひっ」
呼吸ができなくなり顔中の血の気がなくなる寸前、丈二に待ち望んだ重力が戻る。
「着いたぞ」
体を乱暴に降ろされ、狂った身体がまず最初に行ったのは飲み込んだ例の物を再び吐き出す作業であった。
「ウボッオァァァァ!」
「なんだ汚い奴だな。俺のお気にのパンツにその汚いものを飛ばすんじゃないぞ」
崇徳童子が移動しようと丈二を急かすが、地面にうずくまった丈二がその場から動くことは二度となかった。
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