39.西州の人々
トウ=テンは消毒液と血の臭いで目を覚ました。
瞼を閉じたまま、傷の具合を確かめる。程度は中破。銃弾は摘出されたようだが、調息で全身に血を巡らせても思うように四肢に力が入らない。血が足りていない。
何年ぶりだろうか。こんなに血を流したのは。
(体格が人並みのおまえは、我々よりずっと脆い。決して被弾してはならぬ)
四位の席に着いたばかりの頃、そう忠告してくれた第三位将軍エン=タイシャクのことを思い出す。帝都守護の要と呼ばれるのに相応しい、素晴らしい武人だった。感覚を研ぎ澄ます調息、攻撃の捌き方、彼から学んだことはすべて自分の血肉になっている。
それでも、ままならないことはある。
トウ=テンは瞼を開いた。
見慣れない木目調の天井を、見知った顔たちがあっという間に覆い隠す。
「トウ=テン! 〈CUBE〉が出たんです!」
「すまない……。俺の責任だ」
「死ぬな四位ィ!」
譲り合う余裕もなく各々言いたいことを捲し立てる三人を、ジャンドロンが横から有無を言わさず押しのけた。
「全員どきなさい。診察の邪魔です」
続いて視界に現れたラカンは、ひどく疲れた顔をしていた。
「先生。サクは……」トウ=テンはむせた。口の中に血の味が残っている。「あれから、どれだけ経った」
「一時間も経っていないよ。正直、こんなに早く目を覚ますとは思わなかった。弾丸は摘出したが、まだ動いてはいけない。だいぶ血を失った」
首を傾けてサクを捜した。
周囲には、トウ=テンが寝ているもの以外にも寝台がいくつか並んでいて、どことなく野戦病院の趣が感じられた。二つ離れた寝台に横たわっているのは、屋根の上にいた狙撃手の青年だ。気道を確保する回復体位を取らされているところを見るに、生死に関わる状態ではないが、意識がないのだろう。衣服に嘔吐の痕跡があった。
他、室内にいる顔ぶれを大まかに把握する。
ラカンの助手とおぼしき医術師が数人。ハッコウ傭兵団。謁見の間に集められた老人たち。そして、ホノエとスイハ。
サクの姿はない。ナサニエルもいないようだ。
今いる中で、もっとも客観的に事態を把握していそうな人物に、彼は声をかけた。
「ホノエ。状況を教えてくれ」
「すみません。兄は具合が悪いんです」牽制するように前に出てきたスイハの面持ちは、険しい。「代わりに僕が説明します」
「スイハ。俺なら問題ない」
ホノエがそう口を挟んだ途端、スイハは目を剥いて怒鳴った。
「問題ないってなに! 大ありだよ!」
まるで癇癪玉が破裂したようだ。これほど感情的になったスイハは初めて見る。
理由はすぐに知れた。
「〈CUBE〉は嘘をついてないってナサニエルが言ってた! 兄さんは病気なんでしょう。しかもずっと前から! 体調が良くないのに、僕に隠して秘密にしてたんだ! ラカンもコルサも知ってたくせに!」
名指しされた年寄りたちは、ばつが悪そうに目をそらしている。
トウ=テンは改めてホノエを見やった。
着込んでいても線の細い体、蒼白い顔。
州都までの道中で薄々、どこか悪いのではないかと察してはいた。なにせ出された食事の半分も手をつけないのだ。疲れて食欲がない、と本人は言うが、いくら休ませてもホノエが元気になることはなかった。それどころか、早く床に就いても熟睡できず、夜中にこっそり起き出してちびちび水を飲んでいる姿を何度か目にした。食べられない、眠れないのは病気の兆候だ。
涙目で唇を引き結ぶ弟に、ホノエは手を伸ばした。
「隠していたことは謝る。すまなかった」
指先が頬に触れる。スイハの癇癪がみるみる萎んでいく。
次兄がこれまで不調を隠していたのは、長兄が腐傷で伏せっていたことが大いに関係していたはずだ。それを理解できない少年ではない。
しょんぼりと鼻を啜る弟の肩を叩いて、ホノエはトウ=テンが横になっている寝台のそばにやって来た。椅子があるのにそこには座らず、わざわざ床に膝をつく。
「トウ殿。お待たせしました」
おかげで声が近い。ありがたい配慮だった。
「状況を報告いたします」
*
ホノエの説明は簡潔にまとまっていて、聞き終えるまで一〇分もかからなかった。
トウ=テンは腕で目を覆った。
慚愧に堪えない。サクはうまくやっていた。〈CUBE〉を交えた協議まで、あと一歩というところだったのに。
たった一発の銃声で、すべて台無しにしてしまった。
「俺のしくじりだ」
シュウが首を横に振る。
「違う。狙撃を指示した俺のせいだ」
ホノエが訂正した。
「すべての責任は、ハッコウ傭兵団を雇ったヤースン家が負うものです」
結局のところ、あらゆる歯車が悪い意味で噛み合った。その結果がこの有様だ。
ジャンドロンが落ち込むシュウの背中を叩いた。
「お嬢さんの行動は誰も、このジャンドロンにも予測できませんでした。まさか二人のあいだに飛び込むとは。勇敢というか、無謀というべきか……」
射線にサクが飛び出してきたとき、トウ=テンにはなんの心構えもなかった。
狙撃手の適性がありながら人を撃てない。久鳳にも、そういう訓練兵は何人もいた。軍人にとっては致命的な欠点だが、傭兵であればその限りではない。ハッコウ傭兵団の狙撃手はまさに典型的な例だ。人を撃てないが故に極限まで磨き上げられた技術、針に糸を通すような精密射撃は、あらゆる局面に対応できる。
あのとき放たれた銃弾は、本当なら、誰にも当たらないはずだった。
そんなことがサクにわかるはずもない。
そして、完全に見誤っていた。サクが自分を庇って銃弾の前に身を投げ出す可能性を、トウ=テンは考えもしなかったのだ。
銃弾は、飛び出したサクを逆に庇ったトウ=テンの背を貫き、肉を深く抉り、灼熱の痛みをもたらした。
被弾して意識が遠のく間際、悲鳴を聞いた。
必死に名前を呼ぶ声、引きつるような浅く短い呼吸は、恐慌に陥っていた。
流れる血と、死の気配が、サクの心の傷を抉った。
母親の死を思い出させてしまった。
後悔先に立たずだ。
目の前で家族が死んだ光景は、瞼の裏に焼きついて、いつまでも過去にならない。落ち着いて思い出せるようになるまで、トウ=テンは十年かかった。サクはまだ三年だ。まだまだ、立ち直るには足りない。
トウ=テンは体を起こした。室内にいる医術師たちが、信じられないものを見たかのようにギョッと目を剥く。
バン=ハツセミが情けない声でおろおろと言った。
「無茶だよ。いくら四位でも死んじまう」
「元とは言え、位階持ちが銃弾の一発や二発で死ぬものか」
今すぐ行かなければならない。そして、なんともなかったような顔で、二度と射線に飛び出すなと叱ってやらなければ。
痛みを無視して立ちあがろうとするトウ=テンを、ラカンが急いで押さえる。
「よしなさい。傷が開く」
「少しは持つ」
「動けたとしても、ここから出るのは難しい。あれを見なさい」
言われて、部屋の入り口に目を向けた。
ドローンだ。
さきほどハッコウ傭兵団と戦っている最中、空を飛んでいたのは見間違いではなかったようだ。
黒い円筒状の胴体と、昆虫のような六本脚。いつかの夢に出てきたものと同じかたちをしている。かつて〈CUBE〉は船の中枢から何機ものドローンを操作して、ホーリーを支援していた。製造から数百年経っているにもかかわらず経年劣化が見られないのは、自己修復機能とやらが働いているためだろう。
初めて実物を見るのに、こんなことを知っているというのもおかしな話だ。夢の内容、サクの中にあるホーリーの記憶は、あまりに鮮明すぎる。
扉の前で岩のように鎮座しているドローンをなんとか動かそうと、禿頭のオルガが四苦八苦している。あれに出入り口を塞がれて缶詰になっているわけだ。
「おまえたちをここに閉じ込めて、〈CUBE〉は……ユウナギの相手か」
「ユウナギ公子は冷静ではありません。怒りで我を忘れています」
「猫の喧嘩とは訳が違うぞ」
「どちらにも害が及ぶことがないよう、ナサニエル殿が調停役を買って出て下さいました。ですが公子があの様子では……長くは持たないでしょう」
今の〈CUBE〉は、西州公アサナギと共にあった〈CUBE〉とは厳密には別人だ。しかし、そんな理屈はユウナギには通用しない。母殺しという理不尽な言いがかり、夫と娘を奪われた恨み、心身に刻まれた苦痛。彼女が〈CUBE〉に抱く憎しみは、ラザロに向けたそれの比ではない。
だがどんな事情があろうと、サクを巻き込んでもらっては困る。
「おまえたち! いつまでも悠長に話してないで、こっちに手を貸せ!」
顔を真っ赤にしたオルガが、ドローンに激しく拳を叩きつける。
「ユウナギ公子もサクナギ様も、この西州にとってかけがえのない尊い方々だ! どちらも失うわけにはいかん!」
コルサが難しい顔で腕を組んだ。
「落ち着け。ひとまずは、ナサニエル殿に託すしかあるまい。我々が今しなければならないのは、落とし所を探るための協議だよ」
手の中で巻尺を弄んでいたミソノが、ウンウンと頷いた。
「そうと決まれば、ねえ、あなたの出番ですよ。ラザロ議長。そんな隅っこにいないで、こっちに来て意見をまとめて下さいよ。私はもう、一刻も早くお二人を採寸したくてウズウズしてるんですからね」
ミソノに続いて、オルガとコルサも、隅の寝台に力なく腰掛けたラザロに目を向けた。何も言わずとも二人の表情からは、西州公亡き後、執政官として国をまとめてきたラザロに対する信頼が垣間見えた。
しかし当の本人は、背中を丸めたまま、こちらを振り向きもしない。
ややあって、一言。
「ホノエに任す」
消え入りそうな声で、ラザロはやっとそれだけ言った。
ホノエが神妙な面持ちで、父親の肩に手を置いた。
「父上」
「このあと私は、公子様の手で裁かれるだろう。ヤースン家の家督はおまえに譲る。この場にいる全員が証人だ」
「本気で仰っているのですか」
「二言はない」
「……わかりました」
ホノエは父親の肩から手を離した。踵を返し、真っ直ぐ弟のもとへ向かう。
やや緊張した面持ちで、スイハは背筋を伸ばした。
「スイハ。聞いた通りだ。ヤースン家は今このときを以て、俺のものとなった」
「はい」
「だが、俺には父や兄のような働きはできない。おまえの助けが必要だ。力を貸してくれるか?」
「はい!」スイハは兄の手を握り、その目を真っ直ぐ見つめた。「もう兄さんに無理はさせないよ。まずは病気を治さなきゃ。兄さんが治療に専念できるようがんばるから、どうか頼りにして下さい」
これまで頑なに末息子を無視し続けてきたラザロが、渋面でスイハを睨んでいる。ホノエが目元を緩めながら弟の背中に手を回すと、認めてなるものかと言わんばかりに顔を背けた。
家督をホノエに譲った手前、その決定に表立って文句をつけることはしないが、態度に出しすぎだ。よほどスイハが疎ましいのだろう。我が子を忌み嫌う理由など知りたくもないが。
「ありがとう」
スイハの耳元でそう囁いて、ホノエは老人たちに向き直った。
「皆さん。改めてご挨拶させて下さい。たった今、父より家督を譲り受けましたホノエ=ヤースンであります。若輩者ではありますが、弟共々、よろしくご指南願います」
直後に響いた拍手が異議なしを告げる。
ホノエは頭を上げ、続けてシュウにこう告げた。
「ハッコウ傭兵団。昨晩、父があなた方と交わした契約書を拝見いたしました。一部、確認させて下さい。『この契約は、州都滞在中、傭兵団に所属する団員の基本的人権を保護するものである』。間違いありませんか?」
「あ、ああ」
「約束は守ります。このたびの不祥事の責任は、ハッコウ傭兵団に仕事を依頼したヤースン家が負うものであり、ピジョン氏個人が罪に問われることはありません。また、私の名誉にかけて、ジェイン氏は必ず無事にお返しいたします」
シュウは困惑気味に、ジャンドロンと顔を見合わせた。
この愚直なまでの誠実さには、端で聞いているトウ=テンも呆れた。ただ、これを好ましく思う者はいるだろう。利用しようとするか、守ってやろうとするかはともかく。
ホノエは最後に、トウ=テンの前で膝を折った。
両手の指を組んで顔の前に捧げ、目を伏せる。細部まで洗練された所作は気品に満ちており、その一挙一動には、周囲の空気を変えるだけの力があった。
「トウ=テンユウ殿。宮中を代表してお詫びと、そしてお礼を申し上げます。あなたは危険を顧みず、この西州から、逸脱者という脅威を除いて下さった」
キョトンとしていたスイハが、ハッとして兄に倣う。
逸脱者と聞いて、オルガ、コルサ、ラカンもゆっくり膝を折った。ミソノだけが唯一ピンと来ていない顔で、「逸脱者ってなんです?」と近くにいた医術師を困らせていた。
逸脱者の情報は国家間で共有される。
いつ、どこに現れ、どれだけの被害が出たか、厳密に記録されるのだ。そして不運にも自国内にその出現を確認したならば、目先のあらゆる課題を後回しにして、迅速に対応に当たらなければならない。
十一年前、帝都に逸脱者が現れたと報告を受けたクザン帝は、勅令をもって即座に討伐を命じた。帝都守護の要たる第三位将軍が殺害されたのだ。兵士は逃げ惑う市民を逸脱者の視界から遮る肉の壁にしかならない。一刻の猶予もなかった。
勅令を受けてから二時間後、トウ=テンは逸脱者の首を取った。
さすがは勇者と人々は彼を褒めそやしたが、実際は命がけだった。
視界に、射程に入っただけで殺される。これほど恐ろしいことはない。
ちっとも、簡単ではなかった。
このあいだも、そうだ。カーダンは人を殺すことに躊躇いのない、恐ろしい相手だった。腐傷で弱っていたが、もし万全な状態だったらと思うとゾッとする。
それでも戦ったのは、亥の蛮族が蔓延った三十年を知っているからだ。
故郷も家族も失った。あの悪夢を繰り返さないためなら、トウ=テンは何度でも命を賭けられる。
「逸脱者を知る者であれば誰でもそうする」
「いいえ。討伐のことだけではありません。我が国の兵を救い、亡くなった方たちを手ずから弔い、人道の規範を示して下さいました。今こうしてスイハの命があるのも、あなたのおかげです。本当に、ありがとうございました」
逸脱者カーダンの情報は早晩、久鳳にも伝わるだろう。トウ=テンにとっては都合の悪いことに、討伐した者の名前も。
勇者の名が風化するには、十年は短すぎる。
頭の痛くなる話だ。
トウ=テンの頭に真っ先に浮かんだのは、古い友人のことだった。勇者の戦死をクザン帝に伝えたであろう、第二位将軍シキ=セイラン。虚偽の報告は罪に問われる。彼には亡き妻共々世話になったのだ。迷惑をかけたくない。
「……トウ=テンユウは、逸脱者と戦って死んだ」
「は?」
困惑するホノエに、トウ=テンは言った。
「預けた刀は久鳳へ返還してくれ」
「ですが……」
「死人に褒賞も勲章もいらん。俺はサクを返してもらえればそれでいい」
異議を唱えようとするバン=ハツセミを、シュウとジャンドロンが二人がかりで押さえ込んだ。
説明不足なのは十分に承知している。それもこれも、すべて後回しだ。こんなことに時間を割いている場合ではない。
「話を戻すぞ。協議とやらを終えたあと、どうやってここを出る。あれをどける方法があるのか?」
ホノエはスイハに支えられながら立ちあがった。目眩を起こしているようだ。切れ長の目は虚ろで、額に汗が滲んでいる。
コルサがよたよた歩きで、スイハの反対側からホノエを支えた。身を案じるあまり、団子鼻に皺が寄っている。
「ホノエ、座れ。無理はするな」
「……大丈夫です」
ゆっくり瞬きを繰り返したあと、彼はトウ=テンの問いかけに答えた。
「方法は、あります」
この場にいる全員の視線がホノエに集まった。
トウ=テンが驚いたのは、疑いの眼差しを向ける者が一人もいなかったことだ。さすがは第二の書庫、と医術師のひとりが畏敬を込めて呟いた。ホノエは人の上に立つ柄ではないが、焚書事件を起こしてもなお、宮中の主立った者たちから信用されているのだ。
ホノエは両手を握り合わせた。震えを止めようとするかのように。
「……図書寮には……古代文明について記された、読み物があったのです。公子の教科端末として代々受け継がれ、しかしアサナギ様が使用したのを最後に、箱に封じられました」
コルサが眼鏡の奥で目を剥いた。
「まさか、ユウヤンの秘密箱を開けたのか! あれには触れてはいかんと……!」
彼は顔を赤くして声を荒げたが、
「ごめんなさい」
「……言ったろうに」
殊勝な謝罪に勢いをなくして、肩を落とした。
スイハが怪訝そうに尋ねる。
「コルサ殿。秘密箱ってなんですか?」
「図書寮の先々代の長、ユウヤンの置き土産だ。開けた者は呪われるという曰くつきの品だったが……仕掛けが複雑すぎて誰にも解けず、何年もしまいこまれていた」
「それを兄さんは解いて……」
呪いが実在するかはわからないが、その箱を開けたことが、ホノエにとって人生の分かれ目になったのは間違いがないようだ。
ホノエは苦渋の表情で目を伏せた。
「あれを燃やすために……そのためだけに、図書寮の蔵書八十二万冊中三十七万冊を道連れにした。……古代文明の技術は、私たちにはまだ早すぎる」
いずれは辿り着くとしても、今はまだ知るべきではない。
だから、灰にした。誰の目にも触れることがないように。
頭の良い人間は、百年先を考えて行動するという。
この手の話は昔からどうも苦手だ。まず想像がつかない。トウ=テンにとっては百年先の未来より、空きっ腹を満たす食糧、安心して眠れる寝床、食い扶持を稼ぐ仕事のほうがよっぽど重要だ。凡人は日々を生きるだけで手一杯なのである。
世界が続いているのは、こういった人間がいるからだということはわかる。
しかし共感はできない。
遠い未来に目を向けるのは結構だが、度が過ぎれば善悪の境界を失う。自分こそが世界の中心、正義だと錯覚して、今を生きる人間の生死を数字で勘定するようになる。
ハン=ロカのように。
「秘密は墓まで持って行きます。でも、ひとつだけ……トウ殿。あなたにお伝えします」
ホノエは顔を上げ、はっきりと言った。
「あのドローンは、サクナギ様が起動しました。だから、あなたにも動かせるはず」
「なんだと?」
「〈CUBE〉はあなたを管理官と呼びました」
「……ナサニエルが以前、オリジンだの、契約がどうのと言っていたが……」
「オリジンとは、人工的に生み出された星の写し身。人類と世界を繋ぐ要です。これを管理する者は人類でなければならない……という強いこだわりが、〈CUBE〉にはあったようです。そのため彼は、西州公様に人のかたちを与えました」
ずっと不可解だった。
西州公の元となったホーリーは、犬だった。その記憶を受け継ぐ先がなぜ、獣と人、二つの姿を持っているのか。
そうする必要があったからだったのだ。
「……そうか。西州公様の管理官は、自分自身だったんだ」
スイハの呟きを肯定するように、ホノエは頷いた。
トウ=テンはこれまでの〈CUBE〉の言動と、さきほど見た夢を思った。
〈CUBE〉は、そしてあの六人の子ども達は、力を持たせることでホーリーを守ろうとしたのかもしれない。人類の共存共栄を夢見る無垢なる母が、誰にも支配されず、脅かされることがないよう。
――遠い過去の祈りなど知ったことか。
サクの生き方を決めていいのは本人だけだ。
トウ=テンは膝の上で拳を握りしめた。
「先生。動けるようにしてくれ」
西州の主立った者たちでいよいよ協議を、というところで、ホノエは力が抜けたように寝台に座り込んだ。両手で顔を覆って項垂れる。
「ああ、いかん」
注射の準備をしながら、ラカンが若い医術師に手振りで指示を出した。
目を閉じて横になったホノエの様子は、蒼白い顔色も相まって病人そのものだ。さもありなん。ただでさえ疲労が積み重なっていたところに家督の重責まで負わせれば、こうもなる。
「息子はどうなんだ」
医術師に容態を尋ねるラザロは父親の顔をしていた。
役を降りた男に、まとめ役などできまい。
「スイハ。意見をまとめろ」
「僕が?」
「他の誰に務まる。おまえが始めた旅だ」
自信のない戸惑った顔をしているが、容易に想像できる。一呼吸置いて、全員の顔を見回すあいだに、スイハは腹を決めるだろう。
ラザロがじろりと末息子を睨んだ。
「務まるものか。こんな小僧なぞに何が……」
コルサが大きく咳払いして、その先を遮る。
「こんなことを言いたくはないが、二言はないと宣言した舌の根の乾かぬうちに、隠居した者が口を出すのはいかがなものか」
そうだ、とオルガも後に続いた。
「こちらはホノエに弟共々頼むと頭を下げられたのだ。スイハに務まらないというのなら根拠を示せ。それができないのなら黙っていろ」
二人とも渋い顔だ。
ミソノがケラケラと笑った。
「議長ったら、またまた謙遜しちゃって。ホノエくんから聞いてますよ。サクナギ様を連れて来てくれたのは、他でもないスイハくんなんでしょう。末っ子まで優秀だなんて結構なことじゃないですか。自慢したってバチは当たりませんよ」
そう言われると、ラザロは顔を真っ赤にして黙り込んだ。
ラカンがやれやれと首を振った。
「スイハ。やれるかい?」
逡巡する顔つきで目を伏せたあと、スイハはスウッと息を吸った。顔を上げ、室内にいる全員の顔を――トウ=テンが想像した通り――見回して、頷く。
「やります」
議場と現場が渾然一体となった状況下で、少年に視線が集まった。
平素と比べて緊張した表情で、スイハは皆に語りかけた。
「スイハです。兄ホノエに代わり、進行役を務めさせていただきます。不慣れなことで段取りが悪いところがあるかもしれませんが、ご容赦下さい。議題はもちろん、サクの提案についてです。〈CUBE〉が船を降りることを認めるか否か。でも今は、そこからさらに一歩踏み込んだ議論をしたいと思っています。つまり」
喋るほどに強ばった肩から力が抜けていき、言葉が滑らかになる。
「船を降りたあとの、〈CUBE〉の身柄と処遇です」
これがスイハの強みだ。
人に何かを伝えるとき、決して物怖じしない。押しつけがましくない範囲で、自分の意見をはっきり主張する。この年齢で、言葉が持つ力を知っている。
実に業腹だが、これだけは認めざるをえまい。
スイハの素質を見出し育てた、ハン=ロカの功績を。
「皆さんの忌憚のない意見を聞かせて下さい」
ひとりひとりの反応を素早く窺う眼差しに、もう迷いはない。
スイハは腕を広げて宣言した。
「協議を始めます」
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