07.こうして〈竜殺し〉の弟子は旅立った


 爽やかな風が心地よい、青空が晴れ渡る夏の日のことだった。

 再誕から十年目を迎えた竜が言った。

「師匠の心残りを減らしてやる気はあるか?」

 愛らしい少女の姿、鈴が鳴るような可憐な声はしかし、そこに宿る魂、精神、記憶と、あまりに食い違っていた。にもかかわらずそれらが調和を保っていられるのは、『彼女』が愛し合う両親のもとに生まれ、溢れんばかりの愛を注がれて育ったからに他ならない。

 食事会の席から離れた庭の片隅で、少女はテーブルのそばにいる両親に手を振った。その姿は見事なまでに『珍しい客に旅の話をせがむ娘』そのものだった。

「どうしておれが。師匠なら自分でどうにかできるだろ」

「オブライエンは老いた。私を屠ったときほどの力はもう出せまい」

「まどろっこしいんだよ」せっかくの冷えた麦酒がぬるくなってしまう。「あんたはおれに何をさせたいんだ、お嬢様?」

 葉陰から零れる光の粒が、青い瞳を煌めかせる。

「西州へ行け」

 酒を飲む気がすっかり失せた。

「……西州公がらみか?」

「ああ」

 不滅の魂を持つ竜と同じく、西州公も性質は違えどオリジンの一角である。

 西州の支配者、西州公。その正体は神に等しき力を持つ白い獣。戦う力はないが多産の権能を持ち、産み落とした眷属で国土を守っていると、師匠からはそう聞いている。

「西州を脅かしている黒い獣、あれらは西州公の眷属だ。血に狂うことなど本来はありえぬ。眷属たちがなぜあのようなことになったのか。それを知りたい」

「土地を管理していたオリジンが死んだんだ。地脈の乱れによる霊素欠乏症だろ。今は荒れていても、いずれは自然な姿へ戻る。土や草木や水に還っていくんだ。そういうものじゃないのか、あんたたちは?」

 少女は魔道士に軽蔑の眼差しを向けた。

「阿呆め。その短慮でよくオブライエンの弟子を名乗れるな」

「なんだと」

「均衡が崩れるぞ」

 それは彼が幼い頃にすりこまれた恐怖を呼び起こさせた。

 均衡が崩れるとはつまり、世界が滅びの坂を転げ落ちるということだ。

「どういうことだ」

「言った通りだ。ありえぬことが起きている」

「師匠は知ってるのか」

「オブライエンは四十年前から知っていた。いや……」少女は表情を変えずに淡々と言った。「その兆しを見た、と言ったほうが正しいか。危ういところで保たれていた世界の均衡が、いよいよ崩れようとしているというわけだ」

「何をすればいい?」

 魔道士の顔つきが変わったのを見て、少女は愛らしく微笑んだ。

「白い獣を捜すのだ。西州公の分け身……血を分けた子どもを」

「分け身? あんたのように一度死んで、新しく生まれ変わったのではなく?」

「ここにいる私は再現性のない奇跡の存在だ。西州公の分け身については、同等の性能を持つ別個体だと考えろ。とはいえ、西州公が死んだあとの状況を見るに、どうやらうまく稼働していないようだがな」

 西州に広がる災禍は、放っておけばいずれ世界を揺るがすほどの大波となる。

「見つけ出し、おまえが守り導け」

 ただ世界を救えと言われたのなら、人の身には余ることだと尻込みしただろう。竜は狡猾だ。白い獣を捜せと言われて出来ないと泣き言を抜かすようではそれこそ〈竜殺し〉の弟子を名乗れない。

「わかった。やってやるよ」

 魔道士はぬるくなった麦酒をあおった。

「しかし、いきなり誕生会に招待されて何かと思えば……まさか頼み事をされるとはな。あんたは魔道士を恨んでると思ってたよ」

 少女はフンと鼻を鳴らした。

「今の私には家族がいる。父と、母と、まだ小さな弟妹たちが」

「家族のためなら過去の遺恨も捨てられるっていうのか?」

「そうだ」

 人間から見れば途方もない長き時を生きてきた竜が、過去よりも未来を見ている。新しい人生、家族と生きる未来が、己の矜持よりも大事なのだと。

 図らずも心が震えた。

 まったく異なる価値観を持っていたものが、十年たらずでここまで変わるのか。

「お母様は、命がけで私を産んで下さった。お母様に大きな負担を強いて生まれた私に、お父様はご自分の祖母の名をつけてくれた」

 そう口にする少女の横顔は朗らかで、誇らしげだった。

「今の私には炎の息も、岩を砕く牙も、鋼の鱗もないが、なにひとつ惜しくはない。この体に生まれて、おかげで私は……」

 遠くから父親が娘の名を呼んだ。

 少女はパッと顔を輝かせながら、弾むような足取りで駆けていった。

「お父様!」

 飛びつく娘の肩を、父親の大きな手が包むように抱き寄せた。

 ――抱きしめてもらえる。

 人間には当たり前のことでも、竜にとってそれは、生まれて初めての経験だったのだ。

 精霊は魔道士を通じて人間を、人の世界を知る。魔道士は世界を形づくる精霊たちに、美しいもの、尊いもの、幸福とはなにかということを、一生をかけて伝えていく。

 愛による相互理解。

 それこそが均衡を保つということだ。

 力のぶつけ合いの果てに敗れ、自らを倒した魔道士に恨みを抱いていた竜は、家族と過ごす時間を通じてきっとこの世界を愛してくれるだろう。

 娘を連れて、父親がこちらに近づいて来た。

「娘が世話になった。ずいぶん話をせがんだようで」

「いや、大した手間じゃない」

 父親は魔道士に目礼して、娘の背中をそっと押した。

「お礼を言いなさい」

「はーい。面白いお話をありがとう、魔法使いさん」少女は父親の腕に抱きついた。「あのね、お父様。ナサニエルさんは今度、西州に行くんですって」

「この時期に?」

 彼は眉をひそめた。

 地上のまほろばとして知られた西州は、西州公の死から荒廃の一途を辿っている。黒い獣ばかりでなく、傭兵くずれの人さらいや略奪者といったならず者の脅威も無視できない。今となっては相応の危険を覚悟しなければならない土地だ。

「ある使命があってね」おたくの娘にせっつかれて行く羽目になったのだ、とはさすがに言えなかった。「なに、うまくやるさ。おれは〈竜殺し〉の弟子だからな」

「必要なものがあればいつでも言ってくれ。用意させよう」

 人の親切はどうにも背中がむず痒くなる。

 父親の手を握った少女は、本性をすっかり隠して無邪気に言った。

「帰って来たらお土産話を聞かせてね。楽しみにしてるわ」

 魔道士は芝居がかった仕草で胸に手を当てて、慇懃に頭を下げた。

「ご期待に添えるよう尽力いたします。お嬢様」

 こうして彼は旅立った。



「――それから一年。尻尾を巻いて逃げ出したと」

「実地調査から帰ってきたんだよ。人聞きの悪いこと言うな」

 城塞都市ゼーフォート郊外。こぢんまりとした石造りの住宅にて、とある師弟が数年ぶりに顔を合わせていた。

 憮然と反論する弟子に対して、師匠は見透かした目つきでニヤリと笑う。

「進捗が良くないのだろう。でなければここに来るものか」

 来年で八十歳になろうというのに、鈍色の瞳に宿る叡智はいまだ陰る気配すらない。日焼けした顔に刻まれた皺は深く、髪やヒゲは白混じりの灰色に染まっているが、逞しい体躯は相変わらずだ。旅暮らしをやめて定住すると聞いたときは、さしもの〈竜殺し〉も老いには勝てなかったかとしんみりしたものだが、とんだ思い違いだ。

 おそらくこの老人に、余生という感覚はない。

 新しく完成した都市に招かれ、城主から小さな家をもらい、隠居生活も悪くないとその日の気分で定住を決めたのだろう。じっとしているのに飽きたらまた旅に出るだけのこと。いつどんなときでも今が最高の自分。昔からそういう人だった。

 ――独立してから、もう二十年になるのか。

 順風満帆に魔道士の道を歩んできたが、まさかここにきて老齢の師匠に泣きつくことになろうとは。

 情けないが、背に腹は代えられない。

 ナサニエルはテーブルの籠からブドウを一房掴み、大きな粒にむしゃりと齧りついた。たっぷりの甘い果汁が喉を潤していく。果実品評会特別賞の看板は伊達ではない。チェカル夫妻が審査員をしている関係で、この家には毎年大量のお裾分けが届くのだという。

 普段なかなか口にできない上物をじっくり味わってから、彼は再び口を開いた。

「地脈を調べたんだ。活性化している地域にオリジンがいるんじゃないかと思って」

「どうだった?」

「霊素を放出した痕跡はいくつか発見できたんだけど、肝心のオリジンがいない。さんざん歩いた。空からも捜した。〈風のたより〉も使ってみた。結果は梨の礫さ。そんなことを続けてたら、行く先々で視線を感じるようになったんで……ヤバいなと思って、いったん帰ってきたんだ」

 庭の洗濯物が風ではためいている。

 師匠は弟子が持つブドウの房から粒をむしり取り、口に運んだ。何も言わずにもう一粒むしって食べる。ナサニエルも同じ数だけブドウを食べた。

 軽くなった房を籠に戻した。

 果汁がついた手を布巾で拭きながら師匠が尋ねた。

「他には何をした?」

「州都の城に忍び込んだ。あっさり入れて拍子抜けだったけど、成果もなかったよ。古い文献とか歴史書は全部燃えちまったみたいだな。跡形もなくなってた」

「それは重畳」

 ナサニエルは思わず師匠を凝視した。

 貴重な文献が数多く失われたというのに、老人の顔に浮かんでいたのは――安堵の笑みだった。

「不穏の種は潰しておくに限る。ソラの叡智は、人類にはまだ早い」

 ――師匠の心残りを減らしてやる気はあるか。

 竜から言われた言葉がふと、脳裏に浮かんだ。

 今から四十年以上前。西州公にまみえた〈竜殺し〉は、謁見開始から一分も経たないうちにその場から逃げ出した。

 力試しでも挑んで返り討ちにあったのか。それとも竜が言うように、御簾の向こうに鎮座するものに、世界の均衡が崩れる兆しを見たのか。彼がそのとき何を感じ、何を思ったか、本当のところは本人にしかわからない。

 だが。

 書物が燃えたと聞いた老人の眼差しには、紛れもなく、未来への明るい展望が広がっていた。

「本が燃えたのが、そんなに良いことなのか?」

「今回に限ってはな。意図的にやったのだとしたら大したものだ」

 ナサニエルはいよいよわけがわからなかった。

「……おれがまだガキの頃、西州公には手を出すなって、あんた言ってた。なのに、どうして今度はやめろって言わないんだ? 西州公の分け身は、本体と同等の性能を持ってるんだろ。別個体といっても結局は同じものじゃないか」

「まずはその認識を改めろ。本体と分け身ではなく、先代と次代。同じ能力、記憶を有していたとしても、同一の存在ではない。そこに連続性はないのだ」

「それくらいわかってるさ」

「いいや、おまえはこれから理解する。――自分の目で確かめることになる」

「んなこと言っても、どこをどう捜したもんか……」

「もう捜さなくていい。それよりコネを作れ」

「コネ?」

 怪訝に問い返すナサニエルの鼻先に、師匠は指を突きつけた。

「いいか。都合良く物事を運ぶにはコネが七割、運が三割だ」

「実力じゃないのかよ」

「ある程度の実力は前提として持っていなければ話にならん。まずはヤースン家に取り入って機会を窺え。何代にも渡って西州公に仕えてきた一族だ。白い獣と縁がある。天運はもちろん、権力も金もある。表沙汰にはしていなくとも、この事態を収めるため裏では次代を捜しているはずだ。全力で乗っかれ」

 ようは持てる者のおこぼれに預かれという身も蓋もない話だ。人生の半分以上、定職に就かず人様の金で飯を食ってきた師匠が言うと、妙な説得力がある。

 ヤースン家は再び白い獣と巡り会う。何十年と仕えた縁があるからといって、そんなことが果たしてありえるだろうか。

 自分の頭からはとても出てこない発想だが、師匠の直感なら信頼できる。

 ナサニエルはこの老人に育てられた。力の使い方も、生き方も、すべて彼から学んだ。何より師匠は、すべてのオリジンと接触した唯一の魔道士である。

 他に良い案もない。無策に飛び回って時間を浪費するよりはマシだと思えた。

「わかった。あんたみたいにできるとは思えないけど、やれるだけやってみる」

 今でこそ稀代の魔道士と呼ばれているが、〈竜殺し〉は元の経歴を辿れば一介の奴隷に過ぎなかった。しかも能力は極めて凡庸。十三歳でようやく開花した精霊憑きの才能も、並程度のものでしかなかった。

 人生の転換点には、必ずきっかけがある。

 少しばかり才能に恵まれただけで、ナサニエルはまだ何者でもない。独立してから流れの魔道士として各地を巡りながら、魔物を追い払ったり気象を操ったりして日銭を稼ぎ、力の使い方を研究する毎日を送ってきた。

 自分の人生に変化があるとすれば、ここからだという予感があった。

「そろそろ行くよ」

「ああ。……いや、待て」老人はナサニエルを呼び止めた。「もうひとつ、教えておくことがあった。白い獣にだけ通用する裏技だ」

「裏技?」

 師匠が指で腕をトントンと叩く。意図を察したナサニエルは、つけていた腕輪を外して渡した。樹齢五百年の古木から削り出したものだ。多量の霊素を含んでおり、魔術の触媒としては一級品である。

 師匠は腕輪を指でくるっと回した。

「この腕輪を鍵に見立てる」

「鍵だって?」

「――白い獣に、契約者がいた場合」

 ピリッと空気が緊張を帯びた。ナサニエルは無意識に背筋を正した。

「二つの可能性がある。状況を理解していないか、もしくは、あえて事態を看過しているか。どちらにせよ協力を取り付けるには骨が折れるだろう。そこで裏技の出番というわけだ。その契約が本当に正当かどうか、次代が判断できるように」

 師匠の指が腕輪の模様をなぞる。ほんの二、三秒たらずの動作だったが、その指先から極めて高濃度の霊素を感じた。

 師匠は目を細め、満足そうに腕輪をナサニエルへ差し出した。

 特に変わったところは見受けられない。それを手に取る前に彼は尋ねた。

「鍵になった……のか。今ので」

「ああ。本当の意味でのオリジン……古い記憶に通じる扉を開く鍵だ。一度しか使えないうえ、五〇〇日という期限付きだがな」

「どう使うんだ?」

「照準を白い獣に合わせて、こう唱えろ。『月の満ち欠け、日の差すところ。天体中枢【ヴィオラ】が要請する。開きたもう、応じたもう』――これで、状況が動く」

 聞いたことを頭の中で三回唱えて、ナサニエルは右腕に腕輪をはめた。

 今はまだ、ただの言葉だ。これが状況を動かす一手になるという実感はない。

 しかし。

「任せたぞ」

 短くも万感の籠もった見送りの一言に、ナサニエルは身が引き締まる思いだった。

 任せた。

 おまえならできるという、これ以上ない太鼓判だ。萎んでいた自信が息を吹き返す。我ながら単純だと口の端で笑う。

「安心しろ。あんたの弟子は優秀だ」

 二度目の旅立ち、ここからが本当の始まり。世界が滅びの坂を転げ落ちる、ましてやその巻き添えになるなどまっぴらごめんだ。

 彼は再び西州へ飛んだ。



 その久鳳人、ハン=ロカの存在を知ったのは、ヤースン家とその周辺について調査しているときだった。

 彼はヤースン家の三男スイハの家庭教師で、州都の片隅にある潰れかけの義塾跡に住んでいる。仕事がないときは半地下に籠もって書き物をして過ごし、ときたま一人でぶらりと出かけては古書の蒐集や調べ物をしているようだった。ヤースン家に接近する足がかりとして、ナサニエルはこの男に目星をつけた。

 数ヶ月かけて人となりを観察した。教え子といるときは爽やかな顔で気さくに振る舞っているが、一人でいるときのハン=ロカは、陰気な気配が漂う暗い男だった。

 大雨の中、買い付けた文献を濡らすまいと宿へ急いでいるところを呼び止めた。笠の下から覗く眼差しに恐怖や困惑はなかった。雨に降られながら外套の裾すら濡れていないナサニエルを、彼は疑り深く値踏みしていた。

 こういう人間から信用を得るのは難しいが、近づくだけなら簡単だ。こちらに利用価値があると思わせればいい。

 まず出自で興味を引いた。

「おれはナサニエル。魔道士〈竜殺し〉の弟子だ。最近の西州の異変に興味があってな。成り立ちやら歴史を色々調べている」

 次に目的を明かした。

「蒐集家なら知ってるだろう。西州の歴史を記した文献は貴重だ。あんたの蔵書の中身を確認させて欲しくてね」

 対価を示した。

「もちろんタダとは言わんさ。買い付けの旅を護衛しよう。見ての通り、おれは気象を操るのが得意だ。安全で快適な旅を約束するよ」

 多少、俗っぽさを出した。

「けど、魔物が出たときは金を払ってもらう。さすがに割に合わないからな」

そうして何度か、買い付けの旅に同行した。

 半年かかった。

 秋口、初めて先方から頭を下げられた。軍隊と一緒にコヌサへ行くヤースン家の娘を、陰ながら守ってやってくれと。

 ナサニエルは二つ返事で了承した。ロカに義理を感じたからでも、娘を哀れに思ったからでもない。黒い獣が一カ所に集まっていることに興味を引かれたからだ。


 ――どれだけ変質しようと、黒い獣は西州公の眷属。彼らが群れを成しているのは、西州公の次代がそばにいるからではないか。


 結論から言えば、真相はわからずじまいだ。

 森から飛び出てきた獣の群れが西州軍の本陣を襲ったとき、ナサニエルは空から状況を俯瞰していた。後方にいるメイサ=ヤースンは傭兵団が警護していたが、万が一と言うこともある。存在を嗅ぎ取られないよう風向きを操作していたのだ。

 本陣を荒らすだけ荒らしたあと、群れは潮が引くように森の奥へ消えていった。

 もしあのとき群れを追跡していいれば、次代に会えたかもしれない。だがそれと引き換えにナサニエルは命を失っただろう。魔術には息継ぎの間がある。一息で相手をできるのは二匹が限度だ。息の切れ目に数で押されたらあっという間に肉塊にされる。

 その夜は引き上げるしかなかった。

 翌日、太陽が昇ってから森の様子を空から窺ってみた。特に注意を引くものは見当たらなかった。コヌサの地脈は千切れて途切れ、流れを終えない。手がかりとなり得る唯一のものは昨夜、見送ってしまった。

 選択を誤っただろうか。

 胸に滲む後悔を、理性で打ち消す。

 ――違う。捜さなくていいのだ。

 たぶん、自分は出会えない。天運を持った誰かと行動を共にすることでしか。

 それでもただ引き下がるのは癪だったので、森に〈風のたより〉を送った。

 手紙を入れた瓶をあてもなく海に流すような行為だ。徒労だ。馬鹿なことをしている。だがもしかしたら、何か変わるかもしれない。

 数日後、町長の使いだという男から声をかけられた。

 聞けば、仕事を依頼したいという。どうやらコヌサに集まった傭兵のうちの一人だと思われたようだ。まともに受ける気はなかったが、前金だけでもせびってやろうと男のあとについて町長の館へ向かった。

 町長の館にはすでに異国の傭兵が二人いた。一方は顔や手指に腐傷を負った久鳳人で、もう一方は酒焼けた赤ら顔のサナン人だった。どちらも、もう長くないように見えた。

 町長を伴って彼らの前に現れたのは、まさかのメイサ=ヤースンだった。

 ラザロ=ヤースンは遺児を、すなわちユウナギ公子を捜している。その手駒として傭兵を雇おうというのだ。時間も人手も限られているのだろうが、こんな大事にどこの馬の骨ともわからない異国人を使うなど正気ではない。メイサ=ヤースンも、本音ではそう思っていたのではないだろうか。父の意向を伝える彼女の表情は硬く、澄んだ茶色の瞳は始終憂うつに陰っていた。

 さすがに気の毒に思ったが、こうしてはいられない。

 仕事を途中で切り上げても、ナサニエルはいち早く州都へ戻ろうと決めた。ここに残ってもやることはない。メイサの身は傭兵団が守っている。うち一人は精霊憑きのようだから、自分が出しゃばらなくても黒い獣の気配くらい事前に察知できるだろう。

 あとはハン=ロカ。この事実を知ったあの男が、どう動くかだ。

 ナサニエルは長椅子から立ち上がった。

「そういうことなら、誰よりも先に見つけてやるよ」

 町長から前金が入った革袋を受け取り、彼は誰よりも早く館を出てコヌサを発った。

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