32.ユウナギ
うたた寝から目を覚ましたら空が白んでいた。
茂みから体を起こして、わたしは大きく伸びをする。
両腕をぐっと伸ばして、胸をそらして、くあっと欠伸を漏らす。
ああ、お腹がすいた。
――なにを、していたのだっけ。
肩から毛布がずり落ちた。地面に着く前に引き寄せて体にまとう。これは、あたたかい。それに、なつかしい匂いがする。その匂いを胸いっぱいに吸い込んで、眠りに落ちる前のことを少しだけ思い出す。
――カルグ。カルグは、どうなったろう。
窓の下に忍び寄って、部屋の中の物音に耳を澄ます。
「……回復には、長期的な霊素の供給が不可欠になります」
この声はサクナギ。近しくて遠いもの。在野に下った次代。カルグの治療を請け負って、はるばる州都までやって来た。
なにを話してるかよくわからないけれど、空気が緩んでるのは感じ取れる。カルグの治療はうまくいったのだ。えらいぞ。
「その必要があるのは理解できますが、あなたの存在をいつまでもラザロから隠しておくことは……」
「構いません。元から話をするつもりでした」
「何を話すのですか?」
「西州公の実態を伝えます。……過去の西州公たちと共にあった、彼のことを」
「サクナギ。まさか、あなたも……」
ラカンの声はひどくしわがれていて、聞き取りづらい。
「……なんということだ。いや、しかし……『彼』、と言いましたか。あれが何者か、ヨイナギもアサナギも、ついぞ語ることはなかった。その秘密を、あなたは我々に明かそうと言うのですか」
なんでもいいけど、終わったなら早く出て行ってくれないかな。早くカルグと二人になりたいのに。
膝を抱えて座り、爪先を閉じたり開いたりしながら待った。
難しい話が終わるまで我慢、我慢。
じきに、ラカンが言った。
「――わかりました。また、後ほど」
扉が閉じる音がした。こっそり中の様子を窺う。誰もいない。寝台で眠っているカルグ以外は。
待ちわびた。
窓から中に入り、寝台に近づいて枕辺に肘をついた。
だいぶやつれてしまったけれど、面影は昔のまま。
何年かかっても、わたしを自由にすると約束した。なにも持たなかったわたしに、愛すると愛されるを教えた男。
「カルグ」
名前を呼ぶと、すぐに瞼が開いた。天井を見つめていた瞳が、ゆっくりこちらを向く。
――思い出した。
この、微笑む目元がわたしは大好きだった。
「……やあ、おかえり」
胸に熱いものが溢れた。
痩けた頬を両手で挟んで口付けする。直に触れてわかったけれど、カルグの中身は驚くほどスカスカだった。隙間を満たすために時間をかけて息を吹き込む。
背中をポンポンと叩かれて口を離した。
さっきより、カルグの顔色がほんの少し良くなった気がする。もっともっと元気になってほしくてもう一度口をつけようとしたら、手の平で防がれた。
「ユウナギ」
「なに?」
「話を……。ユニには会いましたか」
「まだ! 部屋は見つけたけど、いなかったから毛布だけ持ってきた」
カルグと話していると、どんどん頭がハッキリしてくる。
「親子揃って不用心だね。窓に鍵もかけないの?」
「ああ……。待っていたんです」
「待ってた?」
「あなたは、あまり、この建物のことを知らないから。帰って来るときは……窓からだろうと思っていました。こんな体でなければ、迎えに行きたかったんですが……」
「――ねえ。隣、いい?」
返事を聞く前に、布団をめくって隣に滑り込む。無性にそうしたくなったのだ。
溢れて止まらないこの感情は、嬉しいとか、愛おしいとか、そんな言葉では収まらない。本当は力いっぱい抱きついて抱きしめたいけど、そんなことをしたらカルグの体は紙みたいにクシャクシャに潰れてしまうだろう。
カルグが吐息で静かに笑う。
「しようのない人だ」
ああ、ずっと、夢を見ていたみたい。
頭を覆っていた靄が晴れていく。思考を遮る煩わしい記憶が、春の雪のように溶けて消えていく。
わたしは帰ってきたのだ。
心が喜びを歌っている。今が本当の現実。人生のすべて。
カルグを見つめながら、わたしは言った。
「ただいま」
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