第11話 正月なんか退屈してるに決まってる

 「そんな大きい家やなかったけど、台所のとこにおっきいグランドピアノがと置いたあって。それ、すごい印象に残ってる。小学校で教えてもろうた歌とかを、先生がピアノ弾いて、日ぃ暮れるまでずっといっしょに歌うて。すごい楽しかった。しかも、あんなにいろんなしょうもないミスをようやるひな先生が、ピアノは一回も間違うたり詰まったりせえへんかったんよ。すごいまじめな顔で弾いて、でも楽しそうで。ああ、こんな先生見たことない、こんな人やったんや、この先生って、って思うた。それから同じメンバーで二回か三回行ったかな。同窓会、とかいうて」

 「ふん」

 亜緒依あおいは最後まで聞くと、勢いよく鼻を鳴らした。いきなり立ち上がる。

 そして、朱実あけみの鼻の前に、たこ焼きの発泡はっぽうスチロールの容器を押しつける。

 たこ焼きが隅に一個だけ残っていた。

 「そんなんやったら、行ってみよ」

 亜緒依が勢いよく言う。

 「どこへぇ?」

 「決まってるやろ? その先生のうちにや」

 ああ、やっぱり来たか、と思う。

 「そんなん、行くなんて言うてへんのに。正月から」

 「いまから電話したらええやん」

 「電話番号なんか覚えてへん。登録もしてへんし」

 「そんなんやったらもう行こや。どうせ先生かて正月なんか退屈してるに決まってるんや。わたしかてあくび出るぐらいひまやし、朱実もだらぁっとしてる以外にやることないんやろ?」

 なんだかさっきの話と違うと思う。

 正月三が日は気を引き締める期間ではなかったのか。

 でも黙っていた。

 亜緒依は続ける。

 「それやったら、行って見よよ。家でぐじぐじ心配してたってしようがないやん」

 「うん」

 いや、ちょっと気になっただけで、ぐじぐじ心配してるわけやないし、それは先生かて迷惑やろ、せめて、家帰って、電話調べて、電話して、それから……。

 ――と言い返すのがあたりまえだと思う。

 でも、亜緒依の勢いは、朱実がそんなことを言うのを許してくれそうになかった。

 しかも、立つにも、鼻先にたこ焼きの容器が押しつけられていて、立てない。

 「で、これはなんなん?」

 「たこ焼き、朱実、三つしか食べてへんやろ? わたしは四つ食べたから、これは朱実のや。さっさと食べて、先生のとこ行こ」

 いちおう均等に分けることを考えているのか、それとも、最後にまるみしたたこ焼きが熱かったのがこたえたのか。

 「うん。じゃ、いただきます」

 朱実は遠慮なく楊枝ようじをとった。

 そして、思う。

 考えてみたら、あのころ、朱実は、先生はいじめなかったけれど、こうくんのことはいじめたよなぁ。

 ほかの女の子といっしょになって「たこ焼き屋のたこ」と言うてはやし立ててた。

 苗字が佃で、「つくだ・こう」なので、切り目を変えて「つく・たこー」と言って、女の子が黄色い声でみんなではやし立てたりしていた。

 そのぶん、いま亜緒依におもちゃにされてるんかな。

 そう思って、朱実は残った一個のたこ焼きを楊枝で引っかけて口に送りこんだ。

 いきなり喉の奥でつぶして熱い目にうような、慣れていないまねはしない。紘くんの家のたこ焼きとのつき合いは亜緒依より長いから、つき合いかたもよく知っている。

 よくんで、きちんとたこの味までよく味わってから、朱実は立ち上がった。

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