第15話 なんでもお見通しや。友だちやからな

 ひな先生の家の向かい、だいぶあめかぜにさらされた町工場こうば風の建物の二階から、色の浅黒い女の人が顔を出している。

 顔だけではなく、上半身を乗り出していた。歳はたぶん七十は超えているだろう。目尻の下がった顔が愛嬌あいきょうがある感じだ。

 朱実あけみはその人の顔を見て、ちょっと会釈えしゃくし、そのまま行き過ぎようとした。

 でも、その女の人が自分を見ているように思ったので、また立ち止まる。

 きょとん、と首をかしげているのが、自分でもわかった。

 「向かいの家、訪ねて来はったんかい?」

 おばさんが、窓から身を乗り出しながら言う。

 「あ、はい」

 「若い女の先生やろ? どこぞの小学校の」

 「はい」

 「もうずっと、だれもいてへんで、その家」

 「はい……」

 朱実の反応にはかまわず、おばさんは濁った低い大きい声で一方的に続けた。

 「もう半年ほど前かな。いやもっと前か。先生、結婚しはるって話があって。でも、そのころからずっと姿見せんようになりはって。まあ、だれかがときどき掃除か何かしに来てはるみたいやけどな。どうしはったんか、心配してんねんけど」

 「はい」

 朱実はやっとのことでそう答えた。

 それ以上のことは考えられなかった。

 「結婚って」

 りんとした声がその朱実の横でした。

 亜緒依あおいだ。

 「どこに行きはったかわからへんのですか?」

 亜緒依は朱実をかばうように身を乗り出して、おばさんのほうに声を張り上げている。

 かん高くてよく通る声。

 それも当然。

 演劇部のヒロインの声だ。

 おばさんは答えた。

 「それが結婚しはったかどうかもわからへんのや。結婚したんやったら、近所の人にあいさつぐらいして行きそうなもんやろ? あの先生、そんな礼儀知らずの人やなかったしな。それで心配してるんや」

 「そうですか。いや、ありがとうございました」

 横で亜緒依が頭を下げたので、朱実もつられるように頭を下げた。

 相手のおばさんがどうしたか、朱実は見ていない。

 背中の下のほうに温かい手があたった。

 背中を支えるように。

 あのふんわりした毛糸のジャンパーと毛糸のセーターの上から。

 そんな服着てなかったら、もっとこの手があったかいって感じられたのに。

 「さ、帰ろう」

 亜緒依の優しい声が言う。

 泣き出していたかも知れない。

 もし一人で来たなら。

 でも、亜緒依の手が背中を押すので、歩き出さないわけにはいかなかった。

 それで、涙が出るのも、止まった。

 「帰りに三色だんごのパフェ食べて行こ」

 亜緒依が言う。ふっと体の張りがゆるむ。

 声を立てたら、泣くかも知れないと朱実は思う。

 「気ぃついてたんや」

 微笑して、何とか言えた。

 「なんでもお見通しや」

 亜緒依が背中から手を放す。

 亜緒依が朱実の横に並んで、胸を反らして空を見上げた。

 亜緒依はそうやって短く息を整えてから言った。

 「友だちやからな」

 ちょっと、偉そうに。

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