第36話 ほんとに先生の仕事が好きやった

 もし、あの出会った場所にいたとしても、先生が坂道でスーツケースを落とさなければ、先生は、ショーケースを見て道に背を向けていた朱実あけみたちに通り過ぎていたかも知れない。朱実だって、落ちこんで下を向いていて、気がつかなかったかも知れない。

 そして、どうしてあのスーツケースのついたカートを落としたのが先生だと気づいたかというと、学校にいたとき、先生が体育の白線を引くための石灰の入ったカートを、やっぱり同じように落としたからだ。

 「あ」

 もう一つ、偶然があった。

 しかも、それをいままで朱実は偶然だとは気がついてもいなかった。

 あの中二の正月、あずさ神社でひな先生と出会ったことだ。

 ひな子先生の家からは電車に乗らないとこの梓の町までは来ることができない。特別にここの神社を崇敬すうけいしている信者の人もいるらしいけれど、そうではない人がわざわざ遠くからお参りに来るような有名な神社ではない。

 どうして、ひな子先生はここまでお参りに来たのだろう?

 それは、やっぱり、ここの学校に勤めていて、ここの学校の子たちとの幸せを、ここの神様に祈りたかったから。

 それしか思いつかなかった。

 「そうか」

 またつぶやく。

 「先生、ほんとに先生の仕事が好きやったんや」

 そう言ってひな子先生のカードを置き、もう一通の封書を取り上げる。

 こちらは、縦長の、日本の普通の封筒だ。

 でも、青インクで書いた字に見覚えがある。

 裏返してみる。

 やっぱり、端正な字で「栗生くりゅう ひな子」とある。もちろん、日本の文字で。

 おんなじ人から、おんなじ日に手紙をもらうなんて。

 去年の夏からどこかで行方不明になっていたのでないかぎり、日本から出した手紙のほうが後から出したものだろう。

 朱実は、ふしぎな思いがして、今度は封を手で破った。

 中からは三つに折った手紙が出てきた。

 手紙を開いてみる。

 上等の便箋に、同じ青インクで綴った手紙だった。

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