第11話 小男アンリ
随分と小柄な人だったわ――背丈は四フィート八インチといった処ね。
漆黒の強そうな髪がツンツンと立っていて、まるで針鼠みたい。厚い瞼に鷲っ鼻、おちょぼ口に尖った顎と――何処か宗教書物の挿し絵に描かれている小悪魔みたいな貌をした叔父さんなんだけど、ケムラーさんと同様に凄い威圧感があったわ。
実際、あの威張りん坊の警察署長が小間使いの様に御機嫌取りに勤しんでいたからね。でも訳を知れば其れも納得、何と此のアンリさん――米国に本社を置き、英国内の政財界にも多大な影響力を持つ一流企業、グラントン商事の御偉いさんだったのよ。
アンリさんは慇懃に警察署長に向かってアレコレと指図をした後、「そういえば、あのチャップマンとやら、少女愛好家の異常性癖者だったべか……後で我社の実験材料……いやいや、科学的治療を施すべきだと思うが如何だべか?」と一寸、怪しげな提案をしていたけれど、警察署長は「其れは良う御座います、どうぞ御随意に」と云って、あっさりと嘗ての金蔓を売り渡したわ。長い物には巻かれろという事なのかしら……確かにチンケな金貸しのチャップマンとグラントン商事じゃあ、比較対象にもならないからねぇ……。
大人の世界の汚さを、まざまざと見せつけられたけど其れ程、嫌な気分じゃ無かったわ。あの下衆なチャップマンに暴力でも権力でも、上には上が居るというのを身を持って知らしめる事が出来たから何だかスッキリしたわ。
之は後日譚に為るのだけど――我が家の騒動の種に為ったローラと間男は其の後、捕まり揃って刑務所送りになり、チャップマンはアンリさん達の怪しげな投薬実験の後、何故か性癖が半転して男色家に為ってしまったわ。
アンリさんは取敢えず用は済んだから引き揚げても良いと云い――物欲しそうに佇む警察署長に向かって、「例の件で又、捜査依頼する事も有るだべ。そんときゃ、宜しく頼むだ――君は良くやってくれるから、英国総支店長殿にもよしなにする様、伝えとくべ」と、一言添えてあげると警察署長は牛骨を貰った犬の様に、満面の笑みで大喜びしながら弾む様に帰っていったわ――まるで見えない尻尾を振り回しているかの如しにね。
私達家族は彼に御礼を云うも、別に自分達の調査に邪魔だから処理しただけだと、つっけんどんな態度だったわ。でもケムラーさんが、「奴は何時でも、ああなのさ。気にすんな……でも気前は良いから、遠慮せずに
そして驚いたのは其の後――アンリさんは動じる事無く、私の掌の上に飴玉を一つ載せてくれたの。之にはケムラーさんも、「御前ぇ、何で飴玉なんて持ってんの?」と吃驚していたわ。アンリさんは、「おらは天才だからだべ、こんな事も有ろうかと用意しといただ」と事も無げに云い放っていたわさ。父と母は娘が失礼な真似をしてスミマセンと平謝り――私は小突かれちゃったわ。でもアンリさんは、「おらに掛れば予想の範疇だべ」と、気にする事も無く、得意がる訳でも無く、極自然に振舞っていたわ――そして姉にも、さり気なく飴玉を渡していたの。
母は気を取り直して、「そ、それじゃあ、朝食の支度を致しますわ」と云って、私達は取敢えず家に戻って話し合ったわ。
何にしてもチャップマンの件が無事に片付いて皆、安堵したわ。本当に奇跡的な出来事だわさ。アンリさんという人も、確かに一風変わっているけれど悪い人でもなさそうなので、今の処は一安心して良さそうだろうとの結論に至ったわ。
父が、「天才ってのは、子供が飴玉を欲しがる事迄、計算して行動するものなのか?」と真顔で云ったら、母と姉が、「そんな訳無いでしょ! 偶々持っていただけよ。からかわれてんのよ」と云って大笑いしていたわね。でも私は後々アンリさんの個性を知るにつれて、本当に計算ずくで飴を持っていた様な気がするのよね。
でも何で、そんな大企業の御偉いさんが、こんな街外れの不便な家を借りてくれるのか謎だったわ。しかも直近で『発条足ジャックの通り道』なんて不名誉な場所にも指定されてしまったのに――何か理由が有るのだろうけれど其処は敢えて聞かない様にと、皆で決め事にしたわ。下手な詮索をして気前の良い、大切な店子を失いたくないしね。
母と姉と私とで食事を運びに行くと、ケムラーさんとアンリさんは此の街の地図を広げて何やら話し込んでいたわ。邪魔にならない様、台所に食事を置いて御暇しようとしたら不意に、「そういや、発条足ジャックに逢ったんはアンタ等家族の内の誰なんだべ?」と声を掛けて来たの。
私達は一寸、戸惑いながらも姉妹揃って遭遇したと伝えると、其の時の状況を詳しく聞かせて欲しいと云う。母は訝しんで、先程の決め事を無視して、「何故、そんな事を御尋ねに……」と質問したら、其れこそが目的だからだと云うのよ。
「此処等に発条足ジャックの隠れ家が在る可能性が高いんだべ……そして此の近辺は奴の通り道の一つ……だから此の借家を借りたんだべ」
「俺達の目的は――発条足ジャックを取っ捕まえる事なのさ――」
何と驚くべき事に、彼等は『発条足ジャック』を捕らえに来たと云うのよ!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます