第24話 其れは昔々の童歌


 あっと云う間の出来事だったわさ――道端には泣きじゃくる男の子達が四人。其の前で見下しながら仁王立ちする姉……。

 リーダー格男の子が悔し紛れに姉の放り出された鞄を、「畜生!」と云いながら投げつけたの。其の拍子に中に入っていた本が飛び出して、塀の角に当たって破けたわ。選りにも選って、私が大好きに為った『フランケンシュタイン、或いは現代のプロメテウス』だったのよ。

 姉は、「私の本に何するのよ‼」と云って、寝そべっていたソイツの身体が浮き上がる程の蹴りを喰らわせたの。げええ、と凄い声を挙げて悶えている其の子に更に追い打ちの蹴りを顔面に数発喰らわせて、奥歯がはじけ飛んだわ。幾ら何でも遣り過ぎだわさ……子供の喧嘩の範疇を越えていたわね。其の様子を見て、他の男の子達も完全に戦意喪失していたわ。私も我が姉の所業ながら引いたわさ……。


 騒ぎを聞き付けた様でケムラーさんが店から出て来ると、姉は破れた本を抱いて――よよよと、泣き崩れて見せたの。

「あの男の子達がイキナリ襲って来て、私の大切な本を破ってしまったの……」と、しおらしく被害者然とした態度を決め込んでいたわ。ケムラーさんが周りの状況と泣いて怯える男の子達を見ながら、困った貌をしていたけれど……其れでも彼は、「大変だったね、エミリー……もう大丈夫だから泣かないで」と、姉の味方に就いてくれたわ。私は流石に之は厳しいんじゃないかと思ったんだけど――全てを吞み込んで、女性に対して紳士的な姿勢を崩さない彼には、敬意を表したかったわね。

 当然の如く、男の子達は其の女が僕達を殴ったんだと喚き散らしていたけれど、姉の獣の様なガン付けに、たじろいでいたわね。其の内に騒ぎを聞き付けた老齢の紳士が声を掛けてきたの。


「こら、御前達! 又、何か騒ぎを起こしたのか⁉」

「あっ! スタッフェル先生……」


 如何やら此の男の子達の学校の先生の様だわ。姉は此処が絶好の機会とばかりに、其の先生に詰め寄り、「其処の子達が私を小突いて、大切な本を破いたんです‼」と泣きながら訴えたのよ。現物証拠を見せ付けて、穏便に乗り切ろう――いえ、強引に押し切ろうという作戦だわね。しかし、そう上手くは行かないわさ。傷だらけの男の子達が殴ったのは御前だろと抗議の声を挙げ、リーダー格の男の子の抜けた奥歯を翳しながら、姉と彼等で大口論になったわ。


 スタッフェル先生は暫く双方の云い分を聴きながら、うんうんと頷いていたわ。

「成程、良く解った。先ず此の女の子に、ちょっかいを掛けて本を破いたのは御前達だな」と、威厳の有る声で云ったわ。そして、「之は立派な器物損壊として罪になるぞ」と脅す様に伝えると男の子達は皆、うぅと口籠っていたわ。

 次に姉に向かって、「御嬢ちゃん、君のした事も……」其処迄、云うと不意に、プッと噴き出して豪快に笑ったわ。そして、「おい、ティム。私は知らなかった事にしてやるから、之で幕引きにしさい。其れとも、掘り下げて恥をかくかね? もし、此の事が御前の御執心のアニーに知られたら……」と云い掛けると、リーダー格のティムと云う男の子は大慌てで、「わああ! ち、違います、違います‼ お、俺達が一寸、仲違いして殴り合ったんです。でも、もう仲直りしました‼」と、姉にやられたんじゃないと誤魔化し始めたわ。

 流石は長年、教師をしている御方ね。喧嘩両成敗として上手く裁いてくれたわ。抜けた歯が乳歯だったから、大事にはしなかったみたいね。もし、姉の暴力行為に触れられたら、少し位の薬代を払わされた筈だからね。本の弁償代以上の額になるのは眼に見えて解るもの……母の逆鱗に触れずにすんだわさ。

 本当に昔は大らかよ。今の御時世じゃ、こうは行かないわよね。


 スタッフェル先生が、「しかし御嬢ちゃんの本が破れた侭というのはなぁ……」と、思案に耽っていたら、一人の通りすがりの若者を見咎めて、「おい、マークじゃないか……ああ、いや……丁度良かった! 雅に天啓だな‼ 一寸、こっちに来なさい!」と云い、其の若者を呼び寄せたの。

「うへぇ、スタッフェル先生じゃないっすか。御久し振りです」と云って件の若者が近づいて来たわ。何か聞き覚えの有る声だと思ったら、ウチの近所に住んで居る内装職人のマークだったの。彼は私達を見て、何だ? エミリーとエリスじゃないかと驚いていたわ、面白い偶然だわさ。スタッフェル先生も何だ、知り合いかと驚いていたわ。スタッフェル先生はマークの学生時代の担任だったそうよ。そういえばマークは隣町の出だったわね。今の仕事の親方にマークを紹介したのが、スタッフェル先生なのだそうよ。

「御前さんの腕をちょいと貸してくれんかね」と云って、姉の破れた本を指差したのよ。そしたらマークが、ああ、成程と得心がいった様子で頷いたわ。姉も私も最初は何の事だと一寸、首を傾げたけど――直ぐに理解したわ。彼は壁紙貼りを得意としているのを思い出してね。マークは慣れた手付きで仕事で余った壁紙の端切れを器用に裁断して糊付けすると、本の表紙に貼り付けてくれたわ。

 私達は皆で彼の見事な手際を見て、わあわあと感心しながら喜んでいたわ。マークは一寸、照れ臭そうにしていたわね。スタッフェル先生は、「御嬢ちゃん、之でウチの悪餓鬼共の不始末を不問にしてくれるかい? 勿論、今後はこんな事に為らない様に、ちゃんと説教もしておくよ」と、悪戯っぽく笑ったわ。

 姉とティムは不貞腐れた貌の侭ながらも、何とか握手をして漸くに此の喧嘩は丸く収まったわ。ケムラーさんもスタッフェル先生の見事な采配には感心した様で、御礼の言葉を述べていたわ。先生は、得意ぶるでも無く、「如何いたしまして、御互い様ですよ」と、穏やかに応じていたわ。マークには手間賃を渡そうとしたていたけれど、頑なに拒否されていたわ。実は彼もチャップマンに御金を借りていた様で、「旦那達の御蔭で借金がチャラに為ったんですよ、御礼を云うのは此方の方でさぁ」と、笑っていたわ。其れを聴いたスタッフェル先生は且つての教え子に何で借金をしたのか問い詰めると、馬鹿正直に酒と女ですと答えてしまったのよ。次の瞬間、「馬鹿者!」と怒鳴り、脳天に拳骨を喰らわしていたわ。マークも余計な事を云わなければ良いのにね……。


 スタッフェル先生は処で喧嘩の原因はなんだったのかと尋ねて来たので、事の経緯を説明したわ。するとティムと男の子達は、「そうだ、先生。判定してくれよ! どっちが恰好良いかを‼ 因みに之が俺達の発条足ジャックの童歌だぜ」と云って、皆で唄い出したわ。



 ♪発条足男がやって来た。


  ピョン、ピョン、ピョンと飛び跳ねて。


  お巡りさんを呼んで来い。


  素早い銃でパン、パン、パン。

  

  だれども発条足男にゃ、当たらない。


  お巡りさんは困り顔。

  

  威張っていても、役立たず。


  発条足男は退散だ。




 如何だい、俺達の方が恰好良いだろと――何故か男の子達は自信満々に踏ん反り返って云ったわ。姉は大差無いじゃないと不機嫌そうに云ったの。確かに大差無いわ。

 スタッフェル先生は、うぅん? と首を傾げて、其の歌は誰から教えてもらったんだと訊ねたわ。ティムは誰かは解らないけれど、ウチの学校の誰かが作ったんだよと云ったら――いや違う、其の歌は私が最上級生達に教えた歌だと云うのよ。

 男の子達は揃って、「え?」と驚いた声を挙げたわ。


「其の歌はな……先生が子供の頃に流行った古い歌だよ。私の生まれ育ったロンドンの、狭い一部地域のみでな」との発言に男の子達は益々、訳が分からないといった貌に為っていったが、スタッフェル先生は淡々と話を続けたの。「前に教えただろう。今現在、此のリヴァプールに現れた発条足ジャックは三番目の奴なのだと。一番最初の発条足ジャックは今から六十年以上も前に現れたんだよ――此の爺さん先生が、未だ物心付いたばかりの頃だから、一八四〇年代の中頃に流行った古い歌だぞ、其の歌は……」と説明したのよ。男の子達は自分達の勘違いを悟って、貌を真っ赤にしていたわ。雅か老先生が子供時代の時の歌を別の生徒達に教えて、其れが広まっていたとは思いもよらなかったんでしょうね。自分達の仲間の誰かが作っのでは無いと知って、バツが悪そうな感じだったわ。姉は其れを聴いて大笑していたわさ。


「あはははは――此奴等、昔々の歌を自分達が作った歌と勘違いしてたのよ! エリスも笑ってやりなさい‼」

「ち、畜生! お、御前達、こうなったら俺達の手で、発条足ジャックの歌のを作るぞ‼」

「お、おう!」


 男の子達は、覚えてろと再び三下奴特有の捨て台詞を吐いて逃げ出したわ。大人達は少し呆れた様子で其れを見守っていたわね。マークが子供は無邪気で良いですねと気取って云うと、スタッフェル先生は私の眼から見れば御前も未だ未だ子供と一緒だと云って、下らない借金なぞするなと再度、𠮟りつけていたわ。



 因みに私達の地域の発条足ジャックの童歌は――迄、有るのよね……。

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