第23話 発条足ジャックの童歌
自動車の話で盛り上がっていた午後の御茶の最中――エリーさんが何気に、「やっぱり、スカートだと動きづらいな」と云って、ズボンの作業服に着替えてくると席を立ったの。既に慣れちゃっていたけど、そういえば何でエリーさんは女装しているのかと不意に気に為ってしまったわ。私、当時は未だ子供だったでしょ、其の手の趣味の人への気遣いなんて判らなかったから、遠慮無しにケムラーさん達に訊いちゃったのよ。
姉は直様、「よしなさい!」と私を𠮟りつけたけど、アンリさんは思案顔で、うぅんと唸り、「発条足ジャックは主に女性を狙うからだべか?」と、尤もらしい答えを出していたわ。けれどケムラーさんは辛辣に、「単なる趣味だろ」と適当に答えていたわさ。そんな話をしている内に私は突然、エリーさんと最初に逢った時の言葉を思い出したの。確か、ケムラーさんの事を愛人と云っていた事を……。
子供の頃って本当に無邪気よねぇ……全く悪気も何も無いのだけれど、其の事を話した途端に姉が、「い゛や゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛‼」と絶叫し、取り乱したわ。
ケムラーさんは姉の肩を抱いて、事実無根の嘘だからと真剣に云い聞かせていたら、其の内にエリーさんが戻って来て、何を騒いでいるのと呑気に訊ねたの。ケムラーさんが、手前の下品な存在自体が原因だと痛烈な言葉を浴びせ掛けたんだけど、エリーさんには何も響かない様子だったわ。
アンリさんが事の経緯を掻い摘んで説明すると――其の当時は私には良く判らなかったんだけど、おませな姉はシッカリと理解していたみたいだわね。何と云えば良いのか……聞くも悍ましい答えが返ってきたのよ。
「嫌だなぁ……僕は単なる男色家なんかじゃぁ無いよ。女性なら初潮を迎えた少女から閉経を迎えた熟女迄、男性なら可愛い少年から渋めの中年迄と、大体の男女が許容範囲内だからね!」
姉は再び絶叫しながら、ポケットに隠し持っている小型ナイフを付き出したわ。
私は慌てて、「おねいちゃん、止めてよう!」と云いながら、其れを押し戻して隠させたけど……きっと、丸見えだったでしょうね。
ケムラーさんが奴には何もさせないから俺を信じて安心しておくれと、姉を宥めていたわさ。姉は泣きじゃくりながら彼の胸で甘えていたわ。一寸、狡いわね。
エリーさんは女の印も来ていない幼子に手を出したりしないよと、笑顔で云い放ったわさ。そんな事を堂々と云われても困るけど……兎に角、私達姉妹の貞操は現段階では守られる筈ね。不承不承に納得した姉が、ふと気が付いた様に青ざめながら、「雅か? ……母さんを……」と震える声で云ったわ。身内贔屓じゃ無いけれど、母は美人だったからね。ケムラーさんもエリーさんを睨ね付けたわ。
エリーさんは、「おいおい、君達――幾ら僕でも世話に為っている大家さんに、そんな節操の無い真似をする筈が無いだろう」と、以外にも真面な事を云ったのよ。変態にも一応の常識は有ったのかと、姉もケムラーさんも少し感心していたわね。
此処で話が終われば良かったんだけど――其処は流石のエリーさん。姉に向かって、「エミリー……君は御母さんの心配ばかりしていたみたいだけど――僕にとっては君の御父さんも対象なんだよ♡」と、全身が粟立つ様な台詞をさらりと云ったのよ。軽い冗談のつもりだったんだろうけど……下品にも程が有るわよねぇ……。
姉は三度、絶叫を挙げて泣き喚きながら小型ナイフを振り回したわ。そして私は再び、「おねいちゃん、堪忍だよう!」と云って、必死に其れを止めていたわさ。
明くる日の学校は嬉しい早上がりだったの! 今じゃあ、考えられないだろうけど、昔は先生が私用の為に授業を中止して学校を早上がりにしてしまう事が侭有ったのよ、大らかな時代だったのよねぇ……。
帰宅すると今日は母も用事で出掛けていてね――天気も良いし、御手伝いも無いので私達は御庭で読書する事にしたわ。私は姉に強請って『フランケンシュタイン、或いは現代のプロメテウス』を借りて読んでいたわ。姉はワーズワースの詩集を読んでいたわね。
私は本の中の登場人物の名前を、片っ端から探して――『アンリ・クレルヴァル』と『エルネスト・フランケンシュタイン』の名を見つけ出したわ。でも『クルト・ケムラー』の名前だけは無いのよね。彼こそが主人公と云っても良い作品なのに残念だわ。後で訊いたら俺の名前は出すなと脅したんですって、下らない事に巻き込まれたくないからと……ある意味、先見の明だったのかしらね。そいえば、作品の中では『アンリ』と『エルネスト』の二人は『怪物』に殺されちゃってるのよね。之についてケムラーさんは、予言に為るかもなと真剣に云っていたので、可哀そうだから其れは止めてあげてと頼んだわ。
ケムラーさんが何かの用事と自動車の部品を取りに隣町迄、出掛けると云うので、序だからと散歩がてらに私達も一緒に行くかと誘ってくれたわ。勿論、二人揃って喜んで御供したわ。私達は御機嫌に御手て繋いで、道すがら色んな歌を唄っていたわ。
そんな中の一つ――最近、学校で流行っている発条足ジャックを題材にした童歌を唄っていたら、隣町の男の子に絡まれたのよ。此の手の童歌なんて、子供達が勝手に作る遊びでしょ。なのに如何して男の子ってのは、地域毎に下らない拘りや縄張り争いをしたがるのかしらねぇ……何時の時代も、子供も大人も、狭い島国で何を争うのやら……。
♪ぴょん、ぴょん跳ねる、御馬鹿さん。
発条足ジャックの御出ましだ。
女の子は、それ逃げろ。
男の子も、やれ逃げろ。
ぴょん、ぴょん跳ねる、御馬鹿さん。
発条足ジャックだ、そら逃げろ。
唄い終わった途端に、鼻水を垂らした馬鹿そうな男の子が叫んだの。
「おい! 何だよ、其の発条足ジャックの歌は! 御前等、余所物だな?」
「何よ、同じリヴァプール市民でしょ。町一つ離れた位で余所者扱いしないでよ!」
「な、何だよ……俺達のシマで余所の歌なんて唄うなよ。俺達の作った発条足ジャックの歌の方が恰好良いんだからな……」
「あぁん――たかが童歌に優劣なんて付けないでよ、鬱陶しいわね!」
姉は強気に叫び返したわ。皆さんも経験有るでしょう? 子供時代は学区や地区が一つ二つ離れただけで、直ぐに余所者だ何だと下らない縄張り意識で喧嘩するのよね。此の時は此の地区の子供達が唄う、発条足ジャックの童歌が原因で喧嘩になったのよ。馬鹿面の男の子は姉の迫力に気圧されて、「ち、畜生……覚えてやがれ!」と、如何にも三下奴な捨て台詞を吐いて逃げ出したわ。姉は、ふんと鼻を鳴らして、「他愛もないわね」と踏ん反り返っていたけど、直後にケムラーさんと手を繋いでる事を思い出して青ざめていたわさ。
「ほ、本当に男の子って粗暴で嫌ね……私、恐いわ」と、急にモジモジとしおらしい態度で取り繕ったのだけど……もう手遅れじゃないかと私は思ったわ。けれど其処は流石のケムラーさん。「そうだね。あの年頃の男の子は乱暴だから気を付けないとね。特にエミリーは可愛いし、絡まれやすいから充分に注意するんだよ」と云って、優しく微笑んでいたの。姉は照れ臭そうに、「はい、気を付けます‼」と云って、ケムラーさんに抱き付いてたわ。本当に姉の、こういう処は賢しいわよね。
でも此の件で、彼は姉の本性をとっくに見抜いていて、其れでも紳士的に対応してくれていたんだと、気付かされたわ。女にとっては雅に理想の大人の男性よね。
ケムラーさんが用事の有る御店で話をしている間、私達は御店の前で買って貰った御菓子を食べながら待っていたの。すると先程の馬鹿面の男の子が、仲間と一緒に私達の前を通りすがったわ。「あっ! 御前等、さっきの余所者‼」と叫んで、仲間達に先程の経緯を伝えていたわ。リーダー格の男の子が、「ふん、何だかダサい発条足ジャックの歌を唄ってたんだってな。笑わせるぜ」と見下す様に云い放ったわ。すかさず姉が、「同じ市中に住んで居てダサいって……あんた、自分で自分を田舎者って云っているのと同じ事だって解ってるの?」と至極当然の理論で云い返したわ。
リーダーの男の子が貌を真っ赤にして怒りながら、「う、うるせぇ! 生意気云うと、女でも容赦しねぇぞ‼」と云って、姉の胸倉を掴んだわ。でも私は心配はしなかったわよ。もし相手が大人のチンピラ達だったら、慌てふためいて騒いだだろうけど――同じ年頃の男の子達でしょう。勝負に為らないわさ……。
「……何、気安く触ってんのよ……塵蟲が……」
私だったら幾ら喧嘩の最中でも、絶対に口に出したく無い様な罵詈雑言を吐き散しながら――姉の蹂躙が始まったわ……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます