第35話 さよらな、エリス御婆ちゃん


 エリス御婆ちゃんの発条足ジャック事件の話しが終わった。何と云えば良いのか……言葉が見つからない。

 そして何て事! ボブが今迄に見た事無い様な、面白可笑しい姿に為っている‼

 奇妙な関節の曲げ方で、両手で頭を抱えこんで項垂れている……あれは直ぐに腕を解いた方が良さそうだ。下手をすると骨折してしちゃいそうよ。私とケインが二人掛かりで、奇妙に曲がるボブの両腕をなんとかかんとかして解いた。夢見る乙女の様な感性を持つボブに、今のトンデモ話は禁忌タブーに近しい内容であろう。加えて過剰な大食いによる肉体的疲労により、今や彼の精神状態は不安定である事は間違いない。


「如何だった、ウチの御婆ちゃんの話しは? 聴いて損した気分かしら?」


 リンダは笑いを堪えながら、可笑しそうにボブに問い掛けた。

 ケインは今は勘弁してやってくれと云わんばかりの表情で項垂れている自称、未来の売れっ子作家の友人を労わっている。其の様子を見てリンダの親族達は笑いを抑えきれずに大爆笑である。


「だから云ったじゃねえか、脚本家先生は耳を塞いだ方が良いってよ!」

「古典文学や叙情詩を愛する人にとって、母さんの話は聴くに堪えないわよねぇ」

「近代歴史家の人にとっては、殆ど冒涜よね……」

「剣で弾は切れないだろ、出鱈目にも程があるよなぁ」


 実の家族に向かって酷い云い様であるが――当のエリス御婆ちゃんは、「楽しんで頂けた様で何よりだわさ」と、喜んでいる。本当に会話が通じているのだろうか不安に為る……。

 漸くに息を吹き返したと云うか、我に返ったボブに私達は一応、安堵する。彼は今の話について、質問したい事が山程に有ると険しい貌で云うので、其れは止めさせる。彼の意見は独り善がりな部分が往々に在るのと、其の饒舌さは時に人を不快にさせるので、此の場の和やかな雰囲気が台無しに為る恐れがあるからだ。

 折角、此方から頼んでパーティーに招待して頂いたのに、そんな無礼な真似は出来ない――人として、其れはしてはいけない。もし仮にそんな事態に陥ったら、スキンズの子等が物凄い勢いで襲い掛かってくるだろう事は容易に想像が出来る。

 我々、部員全員の無言の圧力の前に、流石のボブも理解が及んだ様で、渋々ながらも口を閉ざした。まあ、今度の舞台の脚本の参考には全く為らなかっただろうが……其れでも私的には中々、面白い話しが訊けたと思う。予想とは全然違っていたけれど――正直、面白い話しであった。

 

 リンダの御父さんは、下らない与太話に付き合わせて悪かったな等と云って来たが、私達はボブを除いて皆、楽しく拝聴させて頂きなしたと伝える。「そう云って貰えると有難いよ、なんせ母さんは、あの話をするのが大好きなんでな。良かったら又、話しを聴きに来てくれ」と嬉しそうに笑っていた。次が在る時は食べ物の無い時でと、皆が思っているのは秘密にする。

 誰かが、ふと気が付いた様に呟いた。あのエリス御婆ちゃんが掛けている黒眼鏡――いや、青いレンズの眼鏡って、雅か件のケムラーさんから貰った物なのかなと……。するとリンダの御父さんは、其の通りだぜと云う。流石に六十年も前の物だから何度も修理しているそうだけど、レンズだけは当時の侭で奇跡的に割れずに今も使い続けているらしいとの事。でも色は随分と褪せて来て、今では御覧の通りに黒っぽい青色では無く、完全に青色のレンズに為ってしまったそうである。

 因みに例の本――『フランケンシュタイン、或いは現代のプロメテウス』は、エリス御婆ちゃんが勝手に裏表紙に落書きをして、エミリー大叔母さんに怒られて、もう要らないと云われて貰ったそうだ。何か感動的な話しで譲り受けた物かと思いきや……如何にもエリス御婆ちゃんらしい話しだな。

 鍵の御守りキーチャームの金鎖は長子の御父さんに――そして初孫のエリック御兄さんへと受け継がれているそうだ。

 フランケンシュタインや人造人間の事は抜きにしても、確実に発条足ジャックを追って、捕まえて……斃した人物達が居たという事実――そして僅かながらも物的証拠が確かに此処に有るのだなと思うと、一寸感慨深い気持ちになる。

 私は何と無くリンダの御家族達に、先に此の話は広めるつもりは無いと仰られていましたが――例えばグラントン商事の名前や貴族の方、エリス御婆ちゃん達の名前は伏せて、後は下品な処とフランケンシュタインやら人造人間の部分は無しにして、小説にでもしてみたら面白いのではないですかねと提案してみた。確かにトンデモ話だけれど、少し改訂すれば面白い作品に為ると思えたからだ。

 すると皆、苦虫を嚙み潰した様な貌になり――互いに苦笑し合っていた。


 実は末っ子のダミアンさんが若い頃に同じ事を考えて、発条足ジャック事件を調査した時期が有ったそうだが――現実は厳しかった。

 祖父や祖母は高齢で昔の事は詳しくは覚えてはおらず、エミリー叔母さんに至っては御固い性格の為、寧ろエリスが可笑しな記憶障害を起こしていると云い、知り合いの脳外科医を紹介するから入院させろ等と云って大騒ぎするという始末。嫁入りする前のエリスさんの実家辺りは先の大戦の空爆で跡形も無くなっており、実際に発条足ジャックを目撃している筈の近所に住んで居た人々や、エリスの同窓生等も先の大戦後の人口流出に乗って、塵尻に為っており――皆、消息不明との事。警察関係や新聞社、グラントン商事等には当然の如く取材しても何の返答も得られず仕舞い。裏社会に於いては取材等、論外であろう。仮に当時の事を何か知っている者が居たとしても、何の関わり合いも無い堅気衆に話してはくれないだろう。


「物的証拠は有っても、存在を証明する事が出来ないんだよ。母の証言だけではね」


 其れならば、例の四人組の男の子達は如何ですかと訊ねると、既に調べてあるという。そして残念な事に、件の四人は前の前の戦争……第一次大戦の時に西部戦線で、若くして戦死していたという。

 

「御嬢さん以外にも、同じ事を云ってくれた奴は何人も居たがね……やっぱり身内としたら、公にしたく無いんだわ。なんせ発条足ジャックは切り裂きジャックと並ぶ、我が国の人気の物語だろう。色々な解釈が有った方が面白いのさ……独り占めしちゃあ、皆に悪い気がしてな。そうだろう、ダミアン」

「ああ……デイブ兄さんの云う通り。謎は謎の侭であった方が面白い――という結論に僕も至ったよ」


「恰好付けてんじゃ無いわよ。色々調べた結果、結局何も判らなかったから、其の結論なんでしょ」と、長女のジャニスさんが茶化して云うと、周りは大爆笑となる。そんな中、ダミアンさんとリンダの御父さんだけが、不機嫌そうに指で貌を掻いていた。如何やらダミアンさんが調査をしていた時期に、リンダの御父さんも一緒に大乗り気で走り回って、調査を手伝っていたらしい。何で其の事を知っているんだと、リンダの御父さんが叫ぶと、「舐めないでよ、伊達に長い事、兄姉妹弟やってんじゃ無いわよ!」と、今度は次女のジェリーさんが笑いながら叫ぶ。二人の兄弟は恥ずかしそうにソッポを向くと、更なる爆笑が起きていた。如何にもエリス御婆ちゃんの血を引く、御祭り好きな家系なのだな……楽しそうで何よりである。

 


 そろそろ日も暮れかけ、パーティーは御開きとなる。私達も漸く腹具合が落ち着いて来たので、後片づけの手伝いをしているとスキンズの子達が話し掛けて来た。「如何だった? エリス御婆さんの話し、面白かっただろ」「俺、あの話し大好きなんだよな」等々……発条足ジャックよりも三人の人造人間達の話しで盛り上がった。

 特に皆、カーチェイスの件が御気に入りの様で、自分も、あの様な刺激的なカーチェイスをしてみたい等と語り合っている。すると誰かが、「リンダの姉貴は、アレに近しい事をやってるけどな」と云ったら、「ああ、あの泥棒を追い掛けてた時にな!」と、スキンズの子等が揃って笑顔で答えた。私達は其れは、どの様な話なのかと興味津々に訊ねた瞬間――背筋が凍り着く様な感覚に襲われた。


 恐る恐る後ろを振り返ると其の先に……リンダがまるでメデューサの様な鋭い眼差しを向けていた。スキンズの子等は、「俺、アッチ片づけて来る」「じゃあ、俺はソッチ」等と云って、蜘蛛の子散らしに逃げて行った。一寸、裏切らないでよと思いつつ、私達は蛇に居竦められた蛙の如く、動けずに震えていた。

「皆さん……何を御訊きになっていたの?」と、貌は笑っているが眼は笑っていない恐ろし気な貌のリンダ。更に其の後ろでケインが唇に指を当てて、余計な事は絶対に云うなとのゼスチャーを繰り返している。

 私は思わず、「あ、明日の天気は如何なのかなぁ~……何て話を……」と、思いっ切り下手な嘘を付いてしまった。

 リンダは冷めた瞳で我々を一瞥すると、次に方々に散ったスキンズの子等を眺め廻した。そして未だ何の話も訊く前だと悟った様で、「そうですね、明日は晴れると良いですね……」と云って、其の場を離れて行った。

 我々は皆揃って腰砕けになり、其の場に座り込んでしまった。胸を撫で下ろすケインに、彼女の武勇伝は本人には当然の事、他人からも容易に訊いてはいけないと、強く釘を刺された。流石はエリス御婆ちゃんとエミリー大叔母さんの血を引く、隠れ御転婆さんだ――ケインには努々、気を付けながら頑張って頂きたいと切に願う。

 

 色々とあったけれど、楽しいパーティーであった。私達を門の前で見送ってくれたエリス御婆ちゃんは、にこやかに笑って、「さよなら~! 又、来てくださいな‼」と、元気に手を振っていた。傍から見ると本当に可愛らしい御婆ちゃんである。

 尋常では無い食べ物の量を除けば是非とも又、発条足ジャック事件の話を……其れ以外の昔の思い出話等を訊きに伺いたいと皆が思った事だろう。ボブを除いて……。

 そしてリンダの武勇伝だけは決して訊かない様にしなければとも思った筈だ。




 そんな素敵なエリス御婆ちゃんに――此の先もう二度と逢えなく為るとは、此の時は未だ誰も思いもよらなかっただろう……。



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