第19話 奇跡の鰻料理
何とか怒りを抑えて冷静さを取り戻したケムラーさんは姉にも笑顔で対応してくれていたわ。「赤いドレスか……大人っぽい感じで素敵だね」との誉め言葉に、姉は舞い上がっていたわ――でも矢張り其の表情は取り繕った笑顔であり、額には未だ薄っすらと青筋が立っていた。一寸した拍子に感情爆発しそうな感じで恐かったわさ。
前にケムラーさんが、「頭が良過ぎておかしい」と云っていたのが解るわね。エリーさんとアンリさんが過去に於かした失敗を隠したい気持ちも解るけど――幾ら何でも、そんな下らない物のせいで命を落としかけたケムラーさんの怒りは早々には収まらないでしょうね。
之は後から聴いた話しだけど――もし、エリーさんとアンリさんが発条足ジャックの鎧を取り戻したい理由を正直に話てたら、ケムラーさんは快く協力したのと訊ねたら、「絶対にしねぇ」と力強く答えたわ。そりゃ、そうよねぇ……世間には絶対秘密の研究機関というのに商標登録してただなんて、呆れ返って言葉も出ないわさ。
一応、之は不味いと我に返ったエリーさんとアンリさんは出願記録を、あらゆる手を使い抹消したらしいけれど……出す前に気付くべきだわね、馬鹿じゃないんだから――。
未だ完全に危機を脱していないと踏んだエリーさんとアンリさんは、更なる御機嫌取りを仕掛けたの。御疲れ気味のケムラーさんの為に特別な食事の用意をすると云い出したわ。何を用意するのかと思いきや、何と鰻料理だと云うのよ! 何であんな不味い物をと訝しんだわ。皆さんも――特に女性陣は良く御存知よね。あの月の物が重い時なんかに無理矢理出される食べる拷問――『鰻のゼリー寄せ』……。
まあ、男性陣は精力料理として好んで食べる人も一定数居るけれど、味は二の次で身体の為に仕方なく食べるといった感じでしょう。
でも鰻と訊いた途端、ケムラーさんは飛び上がって大喜びしてたのよ。彼、味音痴なのかしらと其の時は思ったわ……其の時はね……。
「今日、届いた荷物の中に漸く君の大切な『タレ』が入ってたんだよ。米はシャム産だけど良いよね」
「おおっ! やっと来たか‼ せいろと七輪も入ってたか? 無い? じゃあ、関西風でも良いか……先ずは炭とグリルを用意して……ああ、米を研がなきゃな……」
ケムラーさんは興奮しながら調理準備を始めだしたわ。エリーさんとアンリさんの二人は市場に行って、ありったけの鰻を買い占めて来ると云い残して、飛ぶ様に出掛けてしまったのよ。私達家族にも特別に御馳走してくれるとの事だったけれど……何せ鰻でしょ……折角の御厚意を断る訳にもいかず、其れでは御相伴に預かりますと云ったわ良いものの、作り笑いの裏で母も姉も私も貌を顰めていたわ。父だけは、そんなに鰻は苦手じゃ無いから喜んでいたけどね。
エリーさんとアンリさんが手桶一杯の鰻を持って戻って来た。ウネウネと蠢く其の不気味な姿に気が滅入ってしまう……何でこんなに買ってくるのよと、母と姉と私はげんなりとしていたわさ。ケムラーさん達は、あのヌメヌメ、クネクネとした蛇擬きを器用な手付きで捌いていったわ。頭に錐の様な物を刺して俎板に止めると輪切りでは無く、縦に切り割いていたわ。そして金串に切り身を挿して、焼いてはタレに漬け込みを何度も繰り返す――程なくして、とんでもない事が起こり始めたの。
其の香ばしい匂いは今迄に嗅いだ事が無い位に食欲をそそるものだったのよ。思わず皆して、御腹の虫がぐうぐうと鳴り出しちゃったわ。そして唯、炊いただけの
其の味は何と云ったらいいのか……もう、言葉では云い表せない程の美味しさだったわ……頬っぺたが落ちちゃうんじゃないかと思った位よ。あんなに美味しい料理を食べたのは生れて此の方、初めてよ! もう家族皆で、夢中になって蒲焼を掻き込んでいたわね‼ ケムラーさん達も嬉しそうに美味しそうに頬張っていたわね。御近所さん方も、あまりの香ばしい匂いに惹かれて家の中を覗き込もうとしていたけれど――御生憎様、御裾分けは出来ないわ。だって、既に食べ尽くしちゃったもの。あんなに美味しい物は残せないわよねぇ……雅に奇跡の鰻料理よ。
皆で幸福な満腹感に浸っている処に、何だか外からざわめきが聴こえてきたの。何と卑しくも、家の中を覗き込む処か扉の前迄押し掛けて来て、侵入しようとする不届き者が居たのよ。流石に非常識だと、父が文句を云って追い返してきましょうと扉を開いたわ。すると、「ぎゃー‼」と大声を張り上げたのよ。一体、何が起きたのかと眼を遣ると――其処に居たのは何と又々、発条足ジャックだったのよ!
「い、良い匂いだな……な、何、食べてんのかなぁ……?」
「いゃあああああー‼」
「きゃあああああー‼」
「ひゃあああああー‼」
何で此奴は態々、こんな楽しい時間を邪魔する様に出て来るのよ。御蔭で私達家族は皆、揃って大絶叫だわさ。蒲焼の香しい匂いは、悪魔や怪物をも引き寄せてしまう魔力でも持っているのかしらね……ケムラーさん達も最初は度肝を抜かれた様だけど、「イキナリ出やがったな此の野郎!」と、直ぐに銃を抜いて構えたわ。そして、発条足ジャックもケムラーさん達の姿を観て驚いて後ずさっていたわ。
「お、お、御前ぇ等は昨夜の……。なな、何で、デカいの? 生きてんだぁ⁉」
「生憎と頑丈な身体が取り柄でな……昨夜の再戦といこうかい、バーミーよ!」
「う、うぅ~……お、おでを
三番目の発条足ジャックは自身の渾名を嫌っていた様ね。そんな事は御構い無しにエリーさんとアンリさんは奴に発砲したわ。そして二人が自慢する通りに件の軽鎧は弾を跳ね返す。でもケムラーさんの放った銃弾だけは跳弾する事無く、奴の大きな兜の端っこを貫いたの! そう、ケムラーさんの銃に込められていたのは普通の弾では無く、特製の徹甲弾だったからよ‼
「むはっ! な、な、なななっ⁉」
発条足ジャックは驚いて飛び跳ね廻って逃げ出したわ。でも身体に当たりはしないけど、流石に頭部を撃たれた衝撃で少しフラ付いている様だったわね。ケムラーさんは最初から出し惜しみせずに
ガキンッ! と金属音が響いた。遂にやったかと思いきや……何と、発条足ジャックは左前腕に小さな盾を装着していたの。小さいけれど、えらく分厚かったわ――重さも結構有りそうよ。如何やらマントで隠れている背中に隠し持っていた様ね。
其れにしても、あんな小さな盾で銃弾を躱すなんて……発条足ジャックの動体視力と反射神経は尋常じゃないわ、ケムラーさん達も驚いていたわさ。
「むっは~……こ、此の盾は
「酒落臭え真似しやがって……おい、アンリ。例の
前の闘いでアンリさんが使おうとしていた、あの禍々しい筒は弾の発射速度が通常の物より速い、特製の擲弾発射器だったそうよ。アンリさんが其れを渡そうとした一瞬の隙を付いて、発条足ジャックの右前腕から銃声が響いた。何と奴は右腕にも銃器を仕込んでいたのよ! だけどケムラーさんの反射神経も並では無く、難無く其の銃弾を躱したわ――そして躱した先で、何かがガシャンと割れた音がしたの。
私達は家の奥で縮こまりながら何が壊れたのか眼を見張ると、何とケムラーさんの大事なタレの入った瓶が粉々になっていたわ。
ケムラーさんは、「ああっ‼」と叫ぶと――其の表情は見る見る内に、まるで此の世の終わりが訪れたかの如しに絶望の色に染まっていったの……そして床にぶちまけられた其れを、愛しい人の亡骸を見下ろす様に呆然と佇んでいたわ。
発条足ジャックも彼の突然の呆然自失ぶりにキョトンとして、何が起きたか判じかねる様に攻撃の手を止めて様子を伺っている。
ケムラーさんはブツブツと小声で、「俺のタレが……秘伝のタレが……継ぎ足し、継ぎ足して、漸く納得のいく味に育った秘伝のタレが……」と、一頻り呟いた後に、ゆっくりと貌を挙げたわ。そして開口一番、「殺す‼」と大声で叫んだの。其の貌は、まるで悪魔と見紛う程に兇悪だったわさ……。
「食い物の恨みは恐ろしい」と云う諺の意味を、まざまざと感じたわね……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます