第9話 大男ケムラー


 何だろう、此の人――此の状況を全く意に介さず、動じる事も無く、自分の要件だけを簡潔に云い放つ……いきなりチンピラを一人、沈めてるし……肝の太さが常人離れしていたわ。

 六フィート、七~八インチは有ろうかという長身――雑多に伸ばしているけど青味がかった綺麗な黒髪――灰色のセミロングコートに黒いマフラー、黒いズボン、黒革のブーツ――そして自分の髪と同じ様な色合いの少し青味がかったレンズの黒眼鏡。 

 服装は地味だけど仕立ての良い物を着ていて一応、中産階級の青年といった感じだったわね。でも其の身体から滲み出る雰囲気は一種独特で、何者なのかは判断出来なかったわ。

 喧嘩自慢の無頼漢? 何処かの金持ちの用心棒? 其れとも警察関係者?

 正体の知れない人だけど、チャップマンの手下達に手を挙げている事から私達家族の敵では無いと思って――私は震える声を絞り出し、「助けてください」と御願いしたの。すると彼は暫く考え込んだ後にクスリと笑い、「大体、此の状況の想像が付いた。まあ、任せとけ」と云って、私をそっと地面に降ろしてくれた。其の言葉は何とも云えぬ頼もしさが有ったわ。


 其れよりも何よりも側で見た彼の貌はとても素敵だったの! 凛々しいのに笑うと可愛くて、一寸眼球が斜視している様だけど目鼻立ちがが整っているから、其れすらも独特な魅力になっていたのよ――もう、一瞬で魅かれたわ! 私の淡い初恋の人‼

 

 彼は軽く指の骨をコキコキと鳴らすと、次の瞬間に凄い速さで動いたかと思ったら、あっと云う間に父と母と姉を組み伏せていた五人のチンピラ達を打っ飛ばしてしまったの――余りにも素早い攻撃だったから、殴ったのか蹴ったのか、何をしたのか正直判らなかったわ。唯、一つ云えるのは彼は物凄く喧嘩が強いって事ね。

 転がされたチンピラ達は盛大に鼻血を出したり嘔吐えずいていたりと皆、戦意喪失といった有り様で、残りの四人のチンピラも彼の尋常ならざる強さに何も出来ず唯、怯えて立ち尽くしていたわ。

 寝っ転がって呻いていたチャップマンも、暫し痛みを忘れたかの様に驚愕の表情をしていたわ。そして震える声で、「き、貴様、な、何をするか……わ、わ、私を誰だと思っている……」と、途切れ途切れに何とか言葉を紡ぎ出そうとしたけど上手く喋れず、残っていた手下に、「奴を如何にかしろ、手当ては弾むぞ!」と発破をかけるも――彼が礼金よりも治療費の方が高く付くぜと呟いたら、一目散に逃げだしたわ。


「こ、こら、逃げるんじゃない! ひ、ひい! お、おい御前達――起きろぉ! 私を守れぇ! 銃を使わんかぁ‼」

 

 不味い! 奴等、銃を持ってるの? そんな事を思っている間に パンッ! と乾いた音が辺りに響き渡る――一瞬の静寂の後、辺りを見渡すと――何と弾はチャップマンの貌の直ぐ側の地面に撃ち込まれていたのよ。彼は眼にも止まらぬ速さで、チンピラ達よりも先に懐から銃を抜き去っていたの。綺麗な彫金を施した銀色の銃を。


「一応、俺――銃使いガンスリンガー名乗ってんだわ……弾は後、五発……助かるのは一人だけって、計算で合ってるかな?」

 

 此の脅し文句に銃に手を掛けようとしていた者は、早々と手を挙げて降参の意を示したの、其れが賢明よね。彼は粛々と奴等の身体を弄り、慣れた手付きで銃を取り上げていったけど、銃を持っていたのは三人だけだったわ。

 チャップマンは必死に威厳を保とうと、こんな真似をして唯で済むとは思うな、必ず後悔するぞ等と吠えていたけど、彼の静かだけど凄みの有る「失せろ」との、たった一言で真っ青になって萎縮してしまい、手下に脇を抱えられながら這う這うの体で逃げ帰ってしまったわ。

 彼は本当に最高に素敵だったわ! 強くて、優しくて、格好良くて、凄い迫力で貫禄が有って――雅に威風堂々とした佇まいよ‼

 私は助けてもらった御礼を云おうとしたら、風の様な速さで姉が彼の前に立っていたわ。そしてチンピラ達を相手に啖呵を切っていた姿とは真逆の態度で弱々しく、さめざめと泣きながら謝意を伝えていたの。


「あ、あの本当に有難う御座いました……私、恐くて何も出来ずに……ううっ……」


 父も母も私も――姉が無配慮に感情任せの暴力に奔らなければ、もう少し違った解決方法が有ったのではないかと思ったけど、余りにも極端な変わり身に何か口を挟む機会を削がれてしまったの。私と同様に姉も彼に一目惚れしたのが有り有りと判ったから、余計に何も云えないわね。

 私たち家族が改めて彼に御礼を云うと、彼は別に恩に着せる訳でも無く淡々と賃貸契約を進めたの。あんな騒ぎが有ったばかりなのに――勿論、事の経緯は説明したけれど、其れでも特に問題無いと云ってね……。

 そして三か月間の家賃を前払いで、序に毎日二食の賄いも契約してくれたわ。其の食事代も全額前払いの上、追加料金が有れば即時会計すると、かなり太っ腹な条件を提示してくれたの。之には父も母も大喜びで直ぐに契約書を交わしていたわね。住むのは三人で、連れは後から来るとの事。

 でも矢張り懸念はチャップマンの件ね――暴力で敵わなければ、次は権力を行使してくるのは明白――奴等は警察関係者を何人か操れると云われているし、弁護士を立てるとなると別に御金が掛かるし――折角、気前の良い店子が居ても、これじゃあトントンだわさ。勿論、一番はケムラーさん達に迷惑が掛からない様にする為だけれど。


「奴等の事だ……きっと明日にでも早々に又、やって来るぞ……」

「貴方……御金は掛かるけれど、私達も今日中にでも弁護士を立てないと……」


 そんな相談をしていたら、ケムラーさんは事も無げに心配は要らないと云う。


「あのチャップマンとかいう、チンケな金貸しはヤキが回ったな。此の借家はが借りようと云ったんだ――なら、面倒毎は即座に排除するさ――アンタ達は運が良いな、弁護士なんぞは雇わないで大丈夫だよ」

 

 そう云って彼はにこやかに笑った。そして、一寸した野暮用の片付けと荷物を取りに一旦、街に戻るという。夕食は向こうで済ませるからと云って足早に出て行ってしまったわ。帰りは遅かったけど私達家族は寝ずに待っていたの、事の成り行きを聞きたかったから……すると彼は、「明日の朝は面白いモノが観れるぜ」と一言だけ云って、早々に休んでしまったの。

 私達は如何にもモヤモヤとした、拭いきれぬ不安が有ったけれど、取敢えず其の夜は彼の言葉を信じて休む事にしたわ――一抹の期待を込めて朝を待ってみたの――。


 翌朝、予想通りにチャップマンが手下と評判の良く無い、悪徳警官アンダーソン警部を引き連れてやって来たわ。奴等は、いけしゃあしゃあと私達家族に暴行罪の容疑が有ると云い放ったわ――実際、有るのだけど――。

 姉は先に手を出したのは其方だ。か弱い私を手籠めにしようとしたのと、堂々と嘘を云い放つ。私達はそんな事を云ったら虚偽罪になると思ったけれど……姉の中では其れが真実なのかな? でも先に嘘で姉を攫おうとしたのは奴だ、此処は嘘も方便で押し切るのが正解よね!

 たっぷりと鼻薬を利かされた悪徳警官のアンダーソンは慇懃な態度で、「此処では話に為らん。署迄、御同行願おう」と云って、部下の警官達に私達を捕らえさせ様とした矢先、。ケムラーさんが欠伸交じりに隣家から出て来たの。そして開口一番、「よう、チャップマンに……多分、アンダーソンかい。に行く暇は無ぇから、之でも持ってくかい? 差し入れって事でよ」と云って、スコッチウヰスキーの瓶を翳したの。二人は此奴は何をいっているんだとの表情で固まっていたわ、私達家族も同様に……。

 気を取り直したアンダーソンが、「貴様には暴行と傷害の容疑が掛かっておる。大人しく我等に同行して貰おうか……もし抵抗するならば……」等と講釈を述べているのを完全に無視して、高い背を更に伸ばして辺りをキョロキョロとしている。そして、「ああ、来た来た!」と笑いながら指差した先には、とんでもない光景が広がっていた……何と、五十人近い警官隊が我が家に向かって突進しているのよ!

 そして先頭を奔っていた警察署長が大声で叫ぶ。

 

「ア、アンダーソン! 貴様には収賄容疑が掛かっておる、緊急逮捕だー‼」

「え、ええ⁉」

「チャ、チャップマン! 貴様には公文書偽造、贈賄、破廉恥行為、其の他諸々……兎に角逮捕だー‼ 何方も牢屋に叩き込めー‼」

「ひえええ⁉」

 

 突然過ぎる出来事に皆、唖然としていたけど――之は不味いと察したアンダーソンの部下達は掌返しで彼奴を組み伏せたわ。チャップマンの手下達の何人かは逃げ出そうとしたけれど、五十人近くの警官隊の前では無駄な事よ、結局全員捕まったわ。

 チャップマンもアンダーソンも、之は何かの間違いだと騒ぎ続けていたけれど、問答無用でしょっ引かれてしまったわ。そして普段は市井の者なぞ見下した居丈高な警察署長が、まるで商人の様な揉み手で、「此の度は皆様に、とんだ御迷惑を御掛けしまして申し訳ありません……我々警察の不徳の致す処でありまして……」等と、へりくだって頭を下げている。私達家族は、鳩が豆鉄砲を食ったような貌に為っていたわ。

 そして騒ぎも一段落した処で、仕立ての良いシルクハットにインバネスを纏った小柄な紳士がやって来たの。警察署長は緊張した趣きで此処迄の経緯を説明していたわ。彼は鷹揚に頷き、「御苦労……」と云った。警察署長は、何とか御機嫌を損ねずにすんだという表情で溜飲を下していたわね。そして彼は私達家族に向き直り、慇懃に帽子を脱ぎながら自己紹介をしたわ。



「アンタ等が此の借家の家主だべか――おらはアンリ・クレルヴァル――呼び名は、アンリで良いべ。宜しく頼むべや」


 


 



 

 

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