第6話 エリス御婆ちゃんの昔語り


 広い庭には何台ものバーベキューセットが置かれており、従業員達であろう――トラックの運転手や倉庫の荷揚げ人夫といった、如何にも屈強そうな男達が忙しなく動き回っている。そんな男達を仕切っている、未だ若いのに一際威厳の有る青年が我々の元に、にこやかに近付いて来た。


「よう、アンタ等がウチの妹とケインの御学友かい。聴いてるぜ、何でもウチの婆ちゃんの、『発条足ジャック』の話を聴きたいんだって? 物好きだなぁ……先に云っとくけど無茶苦茶な話だからな、呆れ返っても知らねぇぜ……ハハハッ‼」


 リンダの御兄さん――何れは此の会社の三代目となるエリックさんは、そう云って豪快に笑った。昔はモッズ(不良文化の一つ)のリーダーを務めていたとかで、未だ二十代前半なのに矢鱈と貫禄が有り頼りになりそうな人物である。実際にそうなのだろう。周りの人々は老いも若きも皆、彼を慕っている様子が伺い見える。

 我々に向かっても、「何か困った事が有ったら俺に云えよ、荒事だったら力になるぜ!」と、先の不良少年達との一件を知って気遣ってくれたみたいだが――今後、あんな事態に逢う事が無い様にと切に願いたい。

 因みに此のパーティーは名目上は御父さんの誕生会という事に為っているが、実際には社員達の慰労会なのだという。なので、「親父への気遣いは無用で、アンタ達は遠慮無く、婆ちゃんの話し相手に為ってやってくれ」と云われた。


 実際、我々はエリス御婆ちゃんの話を聴きに来たのが真の目的なのだが、建前上は御父上の誕生会に招待された事になっているので、形式的にでも御挨拶をさせて頂く事にした。御兄さんもかなり厳ついが御父さんは更に輪をかけて厳つい風貌で、気軽には近寄りがたい気配を纏っていた。先程のスキンズ達が、「社長。之、俺達からです」と、少し上等そうなウヰスキーを渡していた。恐らく我々と同じ様に、皆で一寸づつ出し合って買ったのだろう。

 社長――御父さんは、「ガキが余計な気を遣うんじゃねぇよ」と云いながらも、其の貌は嬉しそうである。強面ではあるが、笑うと何だか愛嬌が有るな。続いて我々も花束と祝紙、ケインからフランス産のワインを贈ると、同じ様な悪態を吐くも照れ臭そうにしていた。そして、「娘が世話に為ってるな。今日は俺の事は如何でも良いから、楽しんでってくれ」と、豪快だが優しそうに笑ってビールを進めてくれた。並べられた酒瓶に皆、ごくりと喉が鳴る。未だパーティーが始まる前で恐縮なのだが――今朝から予想外の全力疾走と緊張から喉が渇いていたいたので遠慮なく頂いた。

 ビールを呑み人心地付いた処で、リンダが家の中から高齢の女性を伴って出て来た。彼女こそが我々にとっての本日の主役、エリス御婆ちゃんであろう。


「皆ー、お待たせ! ほら、御婆ちゃん。あの子等が私の学友だよ」

「おやおや、そうかい。皆、御利口そうだねぇ」


 目鼻立ちが整っており、若い頃は相当な美人であったろう――柔和に微笑む其の貌は、まるで童話の挿し絵に描かれている様な如何にも我が国の『可愛い御婆ちゃん』といった感じである。綺麗な白髪を団子で結び、灰色のシャツとスカート、襟元には硝子細工の白い花のブローチを付けて、肩から濃紺のストールを羽織る――青味がかった色の丸眼鏡を掛けている処が一つ洒落ている。

 エリス御婆ちゃんが外椅子に腰を掛けると、我々は其の周りを囲んで挨拶をする。


「初めまして、エリスと申します。ウチの孫が御世話に為っているそうで――之からも宜しくお願いしますねぇ……。処でリンダ、アンタ未だ孕んでいないのかい? そろそろ御婆ちゃんに曾孫の貌を見せておくれよぉ」


 エリス御婆ちゃんは普通の挨拶の後――何の脈絡も無く、明らかに普通では無い頼み事を孫にして来た。リンダとケインは真っ赤に為って、初対面の人達の前で何て事を云うのよと責め立てるが、エリス御婆ちゃんは孫の文句なぞ何処吹く風で聞き流している。

 余りにも意表を突いた展開に暫し呆気にとられたが皆、ふと思い出す。そうだ、エリス御婆ちゃんは痴呆症を患っているのだ。普通の精神状態ならば、初対面の孫の友人達を前にして、此の様な下品な冗談は間違っても云う筈は無い。

 ボブが何時もの様にしゃしゃり出て、物知り顔でリンダに話し掛ける。


「いいんだよ、リンダ。僕等は何も聞いちゃいないし、気にもしていない――なあ皆、そうだろう?」


 我らが部長は、こういった機微に関しては敏感で気の利く男である。皆でリンダとケインに対して――気にしないで、大丈夫だからとの表情で優しく微笑みかけると、後ろから来た御父さんや親類達が申し訳なさそうにコッソリと語り掛けて来た。


「あぁ……違うんだ兄ちゃん達……。ウチの母さんは昔から、ああなんだ……」

「母さんは例の鞄の件と、親類や友人が死んだ事が解らなくなった以外では――呆ける前と呆けた後も、物云いは全く変わらないのよねぇ……」

「まあ……死んだ父さんと二人――四人の子供を抱えて戦前戦後の荒波の中で、必死に働いて会社を此処迄大きくさせた、鉄火女の気風っていうのかな……」

「母さんの下品さで私は三人、彼氏ボーイフレンドを失ったからねぇ……」


 此の発言の真意が直ぐには呑み込めず、唖然とするボブを横目にエリス御婆ちゃんの息子娘達は、「じゃ、じゃあ、母さんを宜しく頼むよ」「今時の若い子達なら一寸位、下品な話でも大丈夫でしょ」「私達の頃とは違うんだから」等と云いながら、そそくさと向こうに行ってしまった。其の間もリンダとエリス御婆ちゃんの問答合戦は続いている。「アンタは、胸はだけど、尻はデカいんだから子供なんて直ぐ産めるわよぉ」と云い放つと、「いい加減にしろよ、ババァ……」と、学校では決して見せないリンダの本性が垣間見えそうに為った瞬間、ケインが必死に窘めながら止めた。何だかケインの今後が案じられる一幕である……。

 我々は物凄い家の――とんでもない人に話を聴きに来てしまったと、大なり小なり皆が思った。

 

 漸くに落ち着いたリンダを宥めながら本題に入ろうとすと、エリス御婆ちゃんが突然、「貴方達の期待に応じる事は出来兼ねます――『発条足ジャック』の話は人には話せぬ秘事なのよ……御免なさいねぇ……」と、今迄聴いた様子とは真逆の返答をしたのである。皆が驚き戸惑う中、之に対してリンダは呆れた貌でせせら笑っていた。 

 何だか未だ不貞腐れている様である。するとケインがコッソリと、之も何時もの展開であり、もし此処で此の話は無かった事に――なんて云おうモノなら凄い勢いで、「まあ、如何しても聴きたいと云うのなら特別に御話しましょう」と云って来るのだと――御婆ちゃんから話をしてもらう方法を指南してくれた。

 リンダは尚も不貞腐れた侭で、「別にへりくだって頼む事なんてないのよ。此の侭、暫く黙ってれば其の内に向こうからイキナリ話し出して来るんだから……」と投げ遣りに云い放つ。何だか一寸、面倒臭い御婆ちゃんなんだなと皆が思っていたら、

突然ボブが熱っぽく語り出した。


「エリス刀自とじ殿。是非とも我々に発条足ジャックの話を御教え下さい。我々は単に演目として発条足ジャックを演じるのでは有りません。『リヴァプールに現れた発条足ジャック』を演りたいのです! 現在、我等が故郷リヴァプール市は且つての栄光を取り戻さんが為、皆が奮闘努力を続けております。学生の演劇なぞが市の発展に貢献出来る等と己惚れた事は申しませんが――其れでもリヴァプールの名を冠した演目を演る事で、微力ながらも市井の人々に活気を与える一助になればとの思いから……」


 何故に此の流れで之程の熱弁が必要なのか――皆が疑問に思う処だが、こういった訳の分からぬ事を遣るのが我等が愛すべき馬鹿部長ボブなのである。一頻り話し終えると、エリス御婆ちゃんは感心した様にボブを見つめ、「分かりました! 彼方の熱意に打たれました。私の知る発条足ジャック事件の真実を特別に御教え致しましょう‼」と、良い貌で云った。

 何だろう……此の茶番劇は……。

 ボブも得意げに親指を立てて、矢張り良い貌で笑っている。幾分正気を取り戻したリンダは、「ケイン、アン……御宅の部長さん、大丈夫?」と心配そうに呟いたが、もう何て答えれば良いのか判らない。でも之で、やっと待ちに待った発条足ジャックの話が始まるのだ。



「じゃあ、皆に此のエリス御婆ちゃんが不思議な御話しをしてあげましょう――悪名高き『発条足ジャック』と、其れを斃した『フランケンシュタインの怪物』達との、素敵な御話しをね…………」

 

 

 


 

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