第3話 二人の馴初め


「そういえばケイン。君がリンダと付き合う切欠って何だったんだ?」


 相変わらずボブは何の脈絡も無く、不躾な質問をしている。自称、愛の伝道師を騙る未来の売れっ子作家(未定)様は他人の恋愛話が大好物なのである。特に友人の恋愛話は創作意欲が刺激されるそうで、根掘り葉掘り聞き出そうとするのだ。

 なので演劇部の中ではボブの前で恋人の話は絶対のタブーとされている。もし誰かがボブの「教えて、聴かせて」攻撃の餌食になりそうな場合は、皆で協力して妨害するのが暗黙の了解となっいるのである。早速、アンがボブの話を逸らそらす為に会話に口を挟もうとしたら、ケインの方から其の事について話が有ると云いだした。


「実はリンダと付き合う切欠となったのも、ある意味『発条足ジャック』と『フランケンシュタインの怪物』のおかげなんだよ」

 

 そう云うと、ケインはリンダとの馴初めを語り始めた。

 学部の違う彼女と初めて逢ったのは今年の始め頃――共通の知人の紹介からであり何とも変わった頼み事をされたのだった。彼女が祖母に本を贈りたいのだが普通の贈り方が出来ないので、演劇部で小道具を作成している君に協力を仰ぎたいと云う。最初は何の事だかサッパリ解らなかったが――取り敢えず逢って話を聴いてみる事にした。


「あの……古い本と鞄を更に古く……一寸、汚く加工する事は出来ますか?」

「ええ? ま、まあ、条件にもよるけれど……出来なくはないかな?」


 肩位に伸びた綺麗な金髪を細いリボンで縛って額をだしている――碧い眼に白い肌――一寸、勝気な貌をした彼女は、まるで童話の中に出て来る美少女といった感じである。ケインは一目でリンダに行為を抱き、出来る限りの協力を惜しまないつもりとなった。しかし話を進めると何とも厄介な展開となってきた。本当は戦災で消失した本と鞄を実家の納屋の棚に、しまい込んであった事にして欲しいという奇妙な依頼をしてきたのである。 

 彼女の祖母、エリスに一年程前から痴呆症状が現れだした。主な症状は物忘れや思い込み等の記憶障害である。しかし、よく話に聴く様な穏やかな性格が正反対になって、突然怒り出したり泣き出したりする様な感情爆発は無く、異食暴食や排泄時の清潔保持が出来ない等も無かったので、家族皆で注意しながら見守っていた。

 既に亡くなっている身内や知人が今も生きていると思い込んでる時は、「地方に居るから中々、逢えない」等と何とか誤魔化せていたが、過去に無くしたを執拗に探しまくる行為だけが如何にも止められないそうである。


 其れはエリス御婆ちゃんの宝物だった一冊の本――子供の頃、姉から貰った本で、作品名は『フランケンシュタイン、或いは現代のプロメテウス』


 其の本は出版されたのが一八六十年代と古い物だが、別に初版本や特別な希少本等ではなく、唯の一般的な重版物なのだが――表紙が傷んでいたので、近所に住んでいた内装職人から貰った壁紙の端切れで自ら装丁した思い出の品なのだという。

 リンダの父を含めた兄弟姉妹達も其の本を傍らに置いた母、エリスから何度も『発条足ジャック』の話を聞かされていたそうだ。昔話をしている時の母は本当に愉しそうな貌をしていたという。しかし、そんな大事な本が第二次世界大戦時の爆撃により喪失してしまったのである。

 一九四四年――リヴァプールは連日に渡りドイツ軍からの激しい空襲に見舞われていた。リンダの父は其の当時、二十歳で新兵としてアフリカ戦線に出兵しており、十八歳の長女と十五歳の次女も軍需工場に動員されていた。十二歳の末っ子は近日中に疎開する予定であったが運悪く、出立予定日前に大規模な空襲に遭ってしまった。

 其の日、夫は商用で別の州に居た為に難を逃れ、娘達は工場近くの堅牢な防空壕に避難出来ていたが、エリスは末の子と一緒に出立の荷造りの最中だった為に自宅にいたので逃げ遅れてしまった。激しい空爆の中、エリスは必死に息子の手を引きながら防空壕目指して奔っていたが、ふとした拍子に末の子が持たされていた母の大事な荷物が詰まった鞄を落としてしまった。其の中には件の本も入っていたので当然、末の子も其れが母の大切な本と知っているので慌てて母の手を離して鞄を拾いに行こうとしたのだが、母は逆にぎゅっと手を握り返し、「馬鹿! そんな物、ほっときなさい‼」と大声で怒鳴った。何時も明るく優しい母に、本気で怒られた事なぞ一度も無かった息子は驚いたという。我が家で怒るのは何時も父と兄の役目だったからだ。

 でも、あの鞄には母さんの大事な本が入っていると云うも、「本より、御前の生命の方が百万倍大事だよ!」と云い放ち、にこやかに笑った。此の空爆が収まったら拾いに来ればいいというが、其れは無理な事は解り切っていた。実際に空爆の跡を懸命に探したが矢張り鞄は見付からなかった――燃えてしまったか、誰かに拾われたか。


 其の頃のリヴァプールは激しい空爆の為、至る所で火災が起きており街は瓦礫の山となっていた。たとえ延焼から免れても、当時の荒んだ人々は金目の物や食い物ならば、拾い物でも落とした者が悪いと平気で猫糞してしまう。エリスの鞄の中には夫から貰った宝飾品や商用の食料配給の割り当て票等、戦災で全てを失った者達には喉から手が出る様な魅力的な品が詰まっていた。件の草臥れた古本なぞは要らぬ物として捨て置かれるかとも思うが、古書としての価値が二束三文ながらも有るらしく、何処かに売り飛ばされてもおかしくないとの事だった。実際、イギリスの空襲時に無くした品物が時を得て、遠く離れたアメリカ等でオークションに掛けられていた事例が何度も有るそうだ。

 まあ、あの時の状況からして鞄は焼けてしまった可能性が高いが、もし運良く焼け残っていたとしても、其れを拾った者は海外ルートを持つ悪徳商人に丸ごと売り付けている事だろう。エリスも其れは十分に理解していた。理解していての行動だ――だから息子を責める事は一切しなかった。


 そんな気風の良い母だから、以降も相変わらず発条足ジャックの昔話は頻繁にするが思い出の本については一切触れる事はしなかった。しかし一昨年に長年連れ添った夫に先立たれてからは、徐々にの症状が見られ始め――記憶の混濁や改竄が顕著に表れ出した。有る時からエリスは家中の至る所をひっくり返し始めた。其れは家の中だけには留まらず会社倉庫や事務所等々、昔からの馴染みの場所でも同様の行為を行っていた。探し物は何なのかと問うと、あの戦災で亡くした本――遠い昔、姉から貰った思い出の『フランケンシュタイン、或いは現代のプロメテウス』だと云うのだ。

 あの本は既に燃え尽きてしまったと繰り返し宥めながら云い聞かせるも、「そんな事はない! あの空爆の後で私が見つけたの。鞄の中の貴重品は盗まれていたけれど、あの本はオンボロだから盗られずに残っていたの!」の一点張りなのである。

 また無くしたら大変だから鞄ごと何処かにしまっておいたのだが、其の場所を忘れてしまったと言い張り、取り付く島も無い状態なのだ。

 末っ子のダミアンは自分のせいだと謝るも、エリスは「何を云っているんだい、御前に悪い所なぞ一つも無いだろう。悪いのは未だ子供だった御前に荷物を持たせた私のせいさね――そして、しまい込んだ場所を忘れた私は、なんておっちょこちょいなのかね」と云って、笑うばかりで息子には一切の非を負わせないのであった。

 普通、痴呆症を患うと在りもしない妄想妄言で家族だろうが友人だろうが、一方的に相手を責め立てるのが一般的と云われているのに対して、エリスは悪いのは自分で子供に罪は無いと云うのである。其の優し過ぎる性格が逆に、ダミアンを初め家族達には辛かった。



 



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