第35話 過去の呪縛(武士視点)

「なになにキュウちゃん。そんなに引っ張ってさ」


 俺は中村の手を引っ張り、ステージから離れた。


「なぁに? 何か奢ってくれるの?」


 目の前に並ぶ屋台を見た中村は、嬉しそうな顔をして俺に聞いてきた。


「なんで中村がここにいるんだよ? お前地元の高校だろ?」


 当然の疑問だった。俺は過去の負の伝説を払拭すべく、猛勉強の末に早慶院に合格し、東京に住んでいる。当時の俺を知る者のいないこの地で、充実した生活を送るために。


「今日は彼氏のとこに遊びに来たんだよ。ほら、石田先輩。キュウちゃんのおかげで付き合えた。覚えてるでしょ?」

「ん? あ、まぁ……」


 今の今まで忘れていたのに、よくも思い出させてくれたな……。ってか、いちいち俺のおかげとか付け加えるなよ。あんなのオカルトだ。俺は関係ない。


「彼がさ、こっちの大学に進学したんよ。それで、下宿先に遊びに来たわけ」

「そっか。じゃあ、楽しくやってくれ」


 俺はそう言って、そそくさとその場を離れようとした。


「ちょっと待ってよ、キュウちゃん。半年ぶりに会えたのに、もうちょい話してくれてもいいじゃん。幼馴染なんだし、それにキュウちゃんの初恋の相手ってあたしでしょ?」

「はぁ⁉」

「だって美帆さんが、そう言ってたもん」


 あのクソ姉貴、いつの間に中村にそんな余計なこと……。


「だってお前、石田先輩と来てるんだろ? 早く先輩のとこ行ってやれよ」

「それがさぁ、はぐれちゃって」

「……」

「だってこんなに人混みがすごいと思わなかったんだもん。お願いキュウちゃん。一緒に探して!」


 それどころじゃないんだよこっちは。俺だって桜木がどっか行っちゃうし、ラインも電話も繋がらないし。

 それよりむしろ、中村と桜木を合わせる訳にはいかないぞ。俺の悲惨な中学生時代を晒す訳にはいかない。それに第一、俺は石田先輩は名前しか知らないから、見ても分かる訳ない。


「悪い。俺もツレと来てるから」

「ツレ? もしかして彼女? マジで⁉ キュウちゃんやったじゃん!」

「そういうんじゃないから。同じ部活ってだけ」


 いちいち声が大きいんだよな……。頼むから騒ぎ立てないでくれ。


「え? ってことは、やっぱ女子じゃん! ねぇねぇどこまでいったの? もう告ったの?」

「だからそんなんじゃないから! 俺は勉強漬けで、恋愛なんかしてる時間ないの!」

「えぇ⁉ どうして⁉ キュウちゃんが恋愛しないの⁉」


 驚きすぎた……。だいたいなんだ? その理屈だと、俺の頭は恋愛脳100%か?

 とりあえず、こいつはかなり危険だ。早くこの場を――。


「あ、部長! 来てくれたんですねぇ!」

「じ、神宮⁉」


 後ろから巫女姿の神宮が話しかけてきた。


「うわ、かわいい~! ひょっとしてこの娘が、キュウちゃんの彼女さん?」

「え、部長……あたしのことをそんな風に見てたんですか……」


 もうやめてくれ! なんだか神宮が引いてるじゃないか! ってか、神宮に関しては断じて恋愛対象で見たことなんてない!


「もう、冗談ですよ部長。あたしは神宮みこと言います。部長とは同じ部活なだけですよ」

「なぁんだ。あたしは中村由美。キュウちゃんとは幼馴染って感じかな?」

「えぇ? じゃあ昔の部長を知ってるんですね⁉ どんな感じだったのです⁉」

「えぇとね。言っていいのかな?」


 いちいち語尾に面倒な言葉をつけるな! いずれにしてもここは地獄だ。


「あのさ、神宮。桜木見なかった?」

「華ちゃんですか? 見てないですねぇ……って、一緒に来てくれたんですね⁉ なら是非、本坪鈴を鳴らして行ってください!」

「それってあれでしょ? 恋愛の神様の」


 中村が食いついてきたじゃないか!


「神宮、お前今日は仕事中だろ? いいのか、いつまでもこんなとこに居て」

「あ、そうでした! では、また。楽しんで行ってくださいねぇ!」


 やれやれ、どうにか爆弾を一つ処理出来た。あとは中村を――。


「部長、さっきはすみませんでした」


 不意に後ろから声を掛けられた。振り向くと、そこには探していた桜木が居た。


「どうして私怒ってしまったのか、とにかく大人げ有りませんでした。せっかく部長が――」

「あれ? もしかしてキュウちゃんが探してたのってこの娘? こんな美人がキュウちゃんと⁉」

「いや、その。桜木、そう。探してたんだ、ずっと」

「……どちら様ですか? 随分、部長と距離が近いみたいですけど……」

「違う、これは――」

「あたしは中村由美。キュウちゃんとは幼馴染で、昔告白された仲なんです!」

「こ、告白⁉」


 ……爆弾投下しやがった……。


「違うんだ桜木! その、俺は――」

「良かったじゃないですか、部長。そうですかそうですか。ここは恋愛の神様ですからね。ヨリが戻ったようでおめでたいですね!」

「だから違うって言って――」

「いい訳しないでください! 私が今日をどんな気持ちで……それが、私が居なくなった途端に昔の彼女を連れて来るなんて……」

「聞いてくれよ、桜木!」

「邪魔してしまってごめんなさい」


 涙?

 そう言って桜木は、奥へ走って消えてしまった。


「あれ? あたし、何か余計なこと言っちゃった?」


 自覚がないのかよ……。

 俺は中村を無視し、桜木を追って走った。

 かなりの人混みの中、桜木を見つけるのは至難を極めた。

 俺はただ、夢中で走った。

 桜木が見せた涙。正直それを推察するのは怖い。

 桜木は美人なだけじゃない。実は頑張り屋なのだ。捨て犬を面倒見る優しさも持っている。家柄のせいか、表面上はきつそうに見えるだろう。でも、それは自分の弱さを隠す仮面なのかもしれない。あの娘は本当は弱い娘なんだ。だから、俺が守ってやらないと。


 ――何を考えてるんだ、俺は。


 俺は走りながら頭の中をめぐった思考に困惑する。


 俺が守る? どうして? 俺は桜木をどんな風に思って……。


 まとまらない考えの中、俺の足は本殿に向かっていた。

 本坪鈴。そこに人波が押し寄せるのは屋台が終わってから。今居る参拝客はまばら。

 もちろん、まだ屋台の通りの人混みの中に居るかもしれない。だけど、桜木のことを考えていたら、俺はここに来ていた。


 これが、本坪鈴か。


 本殿の賽銭箱の上に吊るされた、見事なそれを見ると俺は思わずため息がこぼれた。


 お前が神様なら、俺も神様だな。


 その鈴を見上げながら、俺は心の中で語り掛けた。


「だから、何度も断っているでしょう? いい加減になさい!」

「まぁ、そう言うなって。ほんとに美人だから、褒めてるんじゃん。素直に喜べって」


 なんだ?


 本殿の後ろから聞こえてくる、微かな言い争うような声に、俺は耳を傾けた。


「私は人と一緒に来てるのです。なんであなたなんかと」

「だってはぐれちゃったんだろ? 俺もそうなんだよ。だからいいじゃん。お互いのツレが見つかったら知らせられるよう、連絡先交換くらいさ。君がかわいいから言ってるのに」


 この声、桜木か⁉


 俺は一目散に声のするほうへ走った。


「何⁉ 彼氏いないんだろ⁉ だったら、別にいいだろ⁉」

「やめてもらえますか?」


 俺は思い切って声を出した。そこには桜木と、彼女にしつこく付きまとう大学生風の男が居た。


「はぁ? お前誰? 関係ないだろ?」

「俺は彼女の部――」


 桜木。ナンパされてたのか。


 俺は桜木のほうを見た。彼女はどことなく申し訳なさそうな表情で、下を向いていた。

 無理やりナンパされてたんだな。なら……。


「俺は彼女の彼氏だ!」

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