第20話 橋の上の約束
「でさぁ、現物は映像の百倍かっこいいのよぉ」
「いいなぁ美帆は。あ~しも会いたかったなぁ。早乙女隼人」
「何言ってるのぉ。聡美っちだって、毎日ピチピチの男子高生と触れ合い放題じゃない~」
(ピチピチ……もはや先輩呼びでもなくなってやがる……)
「んなことないってぇ。現実は厳しいんだからぁ。教師なんてやらなきゃいけない仕事多すぎるしぃ、お局はうるさいしぃ。早慶院なんて頭良くて金持ちの生徒ばっかでさぁ、上からも下からも押されて、あ~しは立場がないのよぉ」
(この人、何しに来たんだ……)
すぐに空になる二人のグラスにビールを注ぎながら、武士は漏れそうなため息を飲み込む。
「聡美っち、あれだよぉ。部活の顧問とかやってさぁ、バスケやバレーなんか、高身長でイケメンの子も多いんじゃない? それで早慶院生ってなら将来も安泰よぉ。玉の輿狙っちゃえ~」
「顧問なんて無理無理~。新人教師なんて特にやることが多すぎて、その上顧問までやったら過労死するよ、あたしゃ」
(顧問? そっか、この先生は顧問についてない。つまりフリーな訳だ)
武士はカバンの中から部活の申請書を出すと、ペンと共に聡美の前に出す。
「先生、ここに名前を書いてください」
「ん……あんた、誰ぇ?」
泥酔状態になった聡美は、もはや武士が誰だか分からなくなっていた。
「(酔っ払いめ……いっちょかましてやるか)やだなぁ、早乙女隼人ですよ」
「え⁉ は、隼人君? はい! 書きます書きます!」
泥酔した彼女の目には、武士が早乙女隼人に見えてしまう。
「あ、隼人~。この前はお疲れ様でした~!」
同じく酔っ払いの美帆も、武士に絡む。
「あと、ここに印鑑を。なければサインで結構ですよ」
「印鑑くらいありますってぇ! これれも社会人れすよぉ!」
(
美帆を華麗にスルーしながら、武士はテキパキと、書かせた書類をカバンにしまう。
「これってぇ、もしかしてあ~し、芸能人になっちゃう感じぃ?」
「聡美っち、何言ってるのよぉ」
「らってぇ、今、隼人がぁ、サインしてってぇ。あの紙、事務所の契約書ぉ?」
「なんらぁ。聡美っちぃ、芸能界に夢見るのはいいけろぉ、現実は、かなりドロドロらよぉ。うちの事務所は、まだいいほうらけどぉ、中には自分とこのタレント追いこんれ、
「それマジぃ? 怖いよねぇ。うちの学校れも今日、芸能プロに入ってる子が、退学届け出してたんらよぉ」
(退学届け⁉)
「先生! それってまさか、三組の星井希美ですか⁉」
「ほちぃ……? そうそう、確かその子らよ。ほちぃのほみ」
「武士ぃ、何急に大声出してさぁ。もしかしてその子、あんたのこれ?」
完全にできてしまった美帆は、そう言いながら武士に小指を立てる。
(星井……一体どうしたってんだよ……ん? 嶋から?)
武士のスマホに楓からのラインが届く。
添付されたファイルを開くと、そこには希美が交わしたスマイルプロとの契約内容が載っていた。
(なんだよこれ……こんないい加減な……。星井⁉)
続けざまに、今度は希美からのラインが届く。
【武士君、私なんかのために色々ありがとうございました。ライン、返事できなくてごめんね。充電もそろそろ切れそうなので、電源落とします。元気でね】
(おい、変なこと言うなよ。星井! 今どこにいるんだよ⁉)
すぐに返信するも、既読は付かない。彼女自身が言っていたように、スマホの電源を落としてしまったのだろう。
(考えろ、考えるんだ。星井との会話を思い出せ。どこかにヒントがあるはずなんだ……)
「あれ、武士ぃ? どこいくのぉ?」
「武士くぅん、かれい訪問中ですよぉ」
武士は玄関を出ると、ドアの前で目を瞑って、希美との会話を思い出す。
『――隅田川だよ……私の秘密の場所』
(そうだ、隅田川だ‼)
『悲しいときや元気が出ないとき、そこに行くんだ。暗くなるとね、周りを走る車のヘッドライトがイルミネーションみたいに、奥でポツんと光るスカイツリーを綺麗に彩るんだ』
(イルミネーションみたいに見える車のライトって……首都高か⁉ それとスカイツリーが一緒に見える場所……それでいてよく行く場所なら、星井の住むマンションからそう遠くはないはず……)
武士は必死にキーワードを打ち込んで、場所を検索する。
(ここだ! 早く行かないと!)
武士は道に出ると、すぐにタクシーを拾う。
「
「瑞光橋? 結構かかりますけど、地下鉄のほうが――」
「少しでも早ければいいんです! お願いします、出来るだけ飛ばしてください!」
武士のアパートのある目黒から、目的の瑞光橋までは地下鉄で四十分。車で三十分かかる距離だった。しかしアパートから駅までの移動時間や、最寄り駅から瑞光橋への移動時間を加味すればそれは倍以上の差になる。
ただし、費用的には倍では済まない額になる。だがさっきの聡美の話、希美本人からのライン、楓が送ってきた希美と事務所の契約書。
それらを繋ぎ合わせると、ことは一刻を争う事態だと武士は判断したのだ。
「――ちょっと飛ばしますんでね。お客さん、くれぐれもスピードメーターは覗かないでくださいよ」
深刻な武士の表情を察してか、運転手はそう言うとアクセルをふかし、車は急発進する。
「お客さん、領収書は?」
「いえ、大丈夫です。ありがとうございました! 助かりました!」
二十分後、目的の瑞光橋に辿り着いた。
橋の上でタクシーを降りると、武士は急いで歩道の手すりにもたれかかる人影の元に駆け寄る。
力なく、前のめりに川を覗き込んでいたその人物。足元は宙に浮き、重心の乗ったその上半身は吸い込まれるように手すりから滑り落ち……。
「や……嫌! 離して! 私に構わないで!」
間一髪、武士はその体を抱きかかえ、歩道に戻した。
「大丈夫。安心して。俺は君の味方だ」
「……た、武士……君……」
希美は武士の顔を見ると、大粒の涙をこぼす。
「わ、私……ごめんなさい……ごめんなさい」
「いいんだ。星井は何も悪いことなんかしてない。謝る必要はないんだ」
「だって……だって私、みんなに迷惑を」
「辛かったな。大丈夫、全部知ってるよ。よく耐えたな。よく頑張ったな」
「私……私……」
「あとは俺たちに任せろ。何があっても、俺たちが星井を守る。約束する」
そして希美の呼吸が落ち着くのを待つと、武士は言った。
「もう秘密じゃなくなっちゃったな」
「……え?」
「ほら、この場所。星井の秘密の場所だったんだろ?」
「うん。どうしてここが分かったの?」
「星井が俺に話してくれたことを繋ぎ合わせただけだよ」
「ええ? 軽く言うけど、それってかなり大変なことだよ? やっぱり、武士君は頭いいんだね」
「星井のステージのことを考えたら分かったよ」
「私のステージ?」
「ほら、ここから見る景色。たくさんの車のライトが、奥に光るスカイツリーを引き立ててる」
「うん、そうだね」
「俺が星井のステージを見て感じたのは、まさにこれだった」
「どういうこと?」
「このスカイツリーみたいだったんだよ、星井は。こんな風にぽつんと一人でさ。だけど、他のどの光よりも輝いてた」
「あはは、褒めてくれてるの、かな? ありがと」
「――星井は今の事務所でアイドルを続けたいか?」
「……ううん」
「そうか、分かった。一つ約束してほしい」
「なに?」
「どんなことがあっても俺を、俺たちを信じてくれ」
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