第21話 間一髪
「やっぱ近所だったんだな。秘密の場所の」
「なんでもお見通しなんだね。裸見られてるみたいで恥ずかしいな」
(裸……)
希美を自宅マンションへ送ると、その言葉のやりとりで、武士は希美の体をまじまじと見ながら唾を飲む。
「と、とりあえずだ。退学届けは受理された訳じゃないから……次からは相談してくれよ」
「うん。本当にありがとう」
「あとは、学校は無理するなよ。気持ちが落ち着くまでは休むのも大事だ。クラスは違うけど、これでも委員長やってるんだ。学校には俺からしっかり伝えておくから」
希美が笑顔を見せたのを確認すると、武士は最寄り駅に歩く。
(やっぱアイドルってだけあるよな……星井を見てると飲み込まれそうになる……)
希美の裸を想像したことを、彼女の魅力のせいにして武士は一人納得する。
「(ん? 桜木?)もしもし」
地下鉄の入口に来たところで、スマホが振動する。
画面を確認すると、華からの着信だった。ラインではやり取りしたことはあったが、電話は初めて。しかも華のほうから掛かってくるなど考えてもいなかったので、少し戸惑いながらも武士は電話に出る。
「部長、華様と一緒ではないですよね?」
「あれ? その声は嶋?」
「そうです。華様が間違えて私のバッグを持って行ってしまったので」
「なるほど……いや、桜木は一緒じゃないよ」
「何か連絡とかは、いってます?」
「ううん。ってか、桜木どうかしたのか?」
「はぁ、実は――」
楓によると――。
華に呼び出され、彼女が住む桜木家の別館に向かう。そこで華は楓に自分の代わりに部屋で留守番するように指示をすると、楓のバッグを持ってすぐ外に出てしまった。
というのもセキュリティーによって、二十二時以降は中からしか玄関のオートロックを解除出来ない仕様なのだ。華が外出をして二十二時を過ぎてしまうと、住み込みの使用人たちに中からロックを解除させなければならないのだが、それは同時に厳格な華の父の知ることとなる。
そうなると、京都の本家に戻されることになって、早慶院も転校を余儀なくされる。なので、ロック解除役として楓を呼びだしたようだ。
「――なるほど、なんとも大変な役柄だな」
「華様のお父様が厳しいお方なので、門限がきっちり決められているのです」
「それで、嶋が代わりに桜木の部屋で留守番と言う訳か」
「毎度のことですけど……バッグに入っていた、わたしのスマホの電源を切っているようで、連絡が取れないのです(あのわがままお嬢め……)」
「全く心当たりないのか? 桜木の行先」
「まぁ……実はあの人引きこもりで、結構友達少ないんですよ」
「おいおい、そんなこと言うもんじゃ……」
「あっ。そう言えば一つ、テーブルの上に名詞が置いてあります」
「名刺?」
「えぇと。丸山洋祐……YM出版社長。だ、そうです」
「丸山⁉」
「ご存じなのですか?」
(昨日の、あいつか! あのとき、こっそり桜木に名刺を手渡したんだな……)
「部長?」
「あぁ、すまない。ちょっと俺からも連絡してみる」
「よろしくお願いします。では」
武士は電話を切るとすぐに楓のアカウントにラインを送る。
(くそ、既読が付かない。やっぱり電源落としてるのか)
武士は今度、目の前の地下鉄入口を見る。
(確か丸山は昨日、桜木をスカウトしようと声を掛けていたはずだ。なら、スマイルプロにいるかもしれない。ここからなら日比谷線ですぐだ)
そして武士は階段を駆け下りていく。
「いやぁ、待ってましたよ~。ささ、そこに掛けてください」
「はい、失礼します」
スマイルプロの事務所には、丸山と華の姿があった。
「ほんと、僕の目に狂いは無かったなぁ。こうやってよく見ると、君の美しさがさらによく分かる」
「あ、ありがとうございます(当り前よ。私を誰だと思ってるのよ? 美しいなんて分かり切ってます。女神くらいに例えてやっと釣り合うのよ)」
「僕はね、出版社も経営してるけど、この事務所でマネージャー業もやってるんだ。だから君をどんどん全面に出して、雑誌でも特集組んでさ。あっと言う間にトップに上らせてあげるから」
「嬉しいです。あの、お水頂けますか?」
「あ、緊張して喉が渇いちゃった? 分かるよ分かる。ちょっと待っててね。今、お茶淹れてくるからさ。その間に、ここに住所と名前書いておいてね」
丸山はそう言うとテーブルの上に紙を出して、向こうの部屋に行く。
(今がチャンスね)
一人だけになった華は、楓のバッグから小型盗聴器を取り出すと、テーブルの裏や壁の淵、さらには椅子に掛けてある丸山のジャケットの襟裏にまで盗聴器を仕掛ける。
(こんなものかしらね。あとは変に思われないよう、住所と名前ね。ここに書いておけば)
丸山に不自然に思われないよう、事務所に入りたいという体を成すよう、契約書にもサインをする。
(アイドルなんて成らずとも、私は多くの殿方を魅了しているのですから。星井さんの件が終わったら事務所を辞めればいいだけのこと)
ではなぜ華はここに来たのか。
それは昨日の武士の行動によって、この事務所が何かを隠していると察した華。
今日欠席したという希美をやたらと心配する武士を見て嫉妬した華は、自分が全貌を暴いて、武士を感心させようとしているのだった。
(あぁ、これで部長に惚れられてしまったらどうしましょう)
お気楽な華とは裏腹に、魔の手はどんどん近づいていた。
「お待たせ、華ちゃん。イギリス直輸入のいい紅茶が入ったんだ。どうぞ、飲んでみて」
「頂きます(いい紅茶ですって? 大した香りもしない安物じゃない……不味そうだわ……とりあえず飲むふりをしておきましょう)」
超お嬢様の華にとって、それはとても口にできるような代物ではなかった。
「どう? 美味しいでしょ?」
「は、はい(鼻をつまむほどの味よ……)」
「さて、契約書も書いてもらったし。場所を改めようか」
丸山は華が署名した契約書をカバンにしまう。
「場所?」
「ホテルをとってあるから、そこでこの業界のことを優しく教えてあげるよ」
「(ホテル⁉)いえ、そろそろ私帰らないと」
「まぁそう言わずに。すぐ終わるからさ。終電には間に合うって」
「(ふざけるんじゃないわよ、ゲス男が!)そうじゃなくて、私タクシーで帰りますので」
「それならゆっくり出来るじゃん。朝帰りでも構わないよね?」
立ち上がってドアノブを回そうとする華の手を掴むと、丸山はその狂気に満ちた本性を表す。
「わ、私そういうつもりじゃ……(助けて……)」
腕を払おうとするも、丸山の手はびくともしない。
「じゃあ、どういうつもりだってのさ⁉ わざわざ連絡よこして、こんな時間に一人でのこのこやって来てさ! 安心しなよ。そろそろ薬が効いてくるだろうから、眠ってる間に終わらせてあげるからさ」
(薬? あの紅茶に? だめ、力が違いすぎる……)
どうにもできないことに、恐怖や怒り、そして独断で来てしまった後悔の念で、華は大粒の涙をこぼす。
(なんで私……みんなと相談すればよかった……みんなごめんなさい……部長……)
「丸山洋祐!」
事務所のドアが勢いよく開けられ、その向こうから誰かが丸山の名を大声で叫ぶ。
「……誰だお前⁉」
「ぶ、部長……」
その場を見た武士は、怒りを隠さない顔で丸山を睨む。
「お前は、昨日の⁉」
「桜木、遅くなった。ごめん」
華は丸山の腕を振りほどくと、武士の胸に飛び込んだ。
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