第22話 春の散歩道

「いやぁ、困るなぁ。部外者が事務所に勝手に入って来ちゃさぁ。これ不法侵入って言うんだよ?」

「あっそう。桜木は連れて帰るから。じゃあ」

「待てよ! 大人を舐めるんじゃねぇよ、ガキが‼ この女はなぁ、うちと契約したんだよ。勝手にうちのタレント連れ出すんじゃねぇよ! 出るとこ出てやろうか? ああ⁉」


 丸山は武士にいきり立って声を荒らげる。


「……契約、ねぇ」

「ここにしっかりと署名してあんだろが‼」


 そんな丸山の態度にも臆することなく、武士は冷静に言う。

 その武士の言葉に対して、丸山は契約書を掲げて怒鳴る。


「未成年者が法律行為をするには、その法定代理人の同意を得なければならない」

「……な、なんだよ急に……」

「ご存じないですか? 民法第五条ですよ。そして成年の定義は第四条にある満十八歳以上。つまり、十五歳である桜木とタレント契約をするのであれば、親権者である彼女のご両親の同意が必要。ありますか? 同意書」

「お、お前なんなんだよ……」

「ではこの紙切れは無効ですので、頂いておきますね」


 武士は丸山の手から、契約書を掴み取った。


「ふざけるんじゃねぇ! 俺を甘く見るなよ⁉ どうなっても――」


 激高した丸山は、武士の胸ぐらを掴むと、ドスの効いた声で凄む。


「いいんですか? ずっと友人とビデオ通話で繋いでますから、この映像をすぐにネットでアップ出来ますけど?」


 武士はそう言って、シャツの胸ポケットに入っているスマホを指す。


「……っち、早く帰れよ!」

「いやぁ、それにしてもすごい内容ですね。この契約書。まるで奴隷契約だ」


 華をドアから出すと、武士は去り際に丸山に向かって言う。


「よかったですね。星井希美。ここの社長が彼女の後見人だから、契約も有効。彼女の財産も、でっち上げの契約違反でがっぽり頂ける。事務所の負債もこれで清算できますね」

「知らねぇよ! そんなの社長に言えよ!」

「では、失礼します」






 外に出ると、通りでタクシーを待つ。


「……ビデオ通話なんて……さすが部長、用意周到ですね(誰と繋げてたのかしら……)」

「いや、あれはハッタリ……良かったぁ、バレたら終わりだった……」


 そう言って、武士は大きく息を吐き、安堵の表情を見せる。


「(演技、だったの? ……部長ったら)……あの、部長……ありがとうございました……」

「なんでこんなマネをしたんだよ?」

「その……(あなたの役に立とうとしたんじゃない!)」

「もうやめてくれよ、こんなこと」

「え……(何よ? 私じゃ役に立たないとでも言うの⁉)」

「困るんだよ。桜木にもしものことがあったら……(絶対カウンセリング部のせいにされる。そしたら部長である俺の責任に……最悪学園に居られなくなる……)」

「部長……(え? 何? なんで私がこんなにドキドキして……)」


 そこへタクシーが止まる。


「じゃあ、真っすぐ家に帰れよ。また明日」

「は、はい。ありがとうございました。おやすみなさい……」






「そこで部長が言うのよ! 「桜木が居ないと俺は死んじゃう」って!」

「あーそうですか。よかったですねー。じゃあ帰りますねー」


 マンションに帰った華は、興奮しながら楓に話す。

 脚色の入ったその話を聞かされると、楓はやっと解放された。






「……あの……よろしくお願いします……」


 翌日の放課後、応接室では一組担任の今井里美がカウンセリング部の面々に自己紹介をした。


「わぁ、先生が顧問になってくれたんですねぇ。こちらこそよろしくお願いします~」

「神宮さん……この部は、何をする部活なんですか……? (なんで私が……顧問なんて引き受けた覚えないのに……)」


 嬉しそうに挨拶するみこに、聡美は苦笑いを浮かべながら聞く。


「ここはですね、恋の悩みを――」

「まぁ、生徒の悩み相談全般を聞くだけです。大したことはしないですよ。よかったですね、先生」


 みこの返答をさえぎり、武士は申請書に書かれた顧問の署名をチラつかせながら言う。


「そ……そう? まぁそれなら……」


 それを聞いた聡美はほっと胸を撫で下ろす。


「あ、そうそう。ℤに上がってたんですけど、週末のアイドルフェスで、「ごーるどあっぷる」がメジャーデビューするみたいなんですよぉ。それで地上波も中継するみたいで」

「ごーるどあっぷる? (スマイルプロの……相沢かのんの居るグループか……待てよ?)」


 昨日の出来事で武士に乙女の眼差しを送る華。そしてそんな華を冷めた目で見る楓。

 二人はこんな調子で、会話など上の空で終始無言のままであった。


(ん?)


 そのとき、武士のスマホに美帆からラインが届く。


【昨日あんたのカバンに、私台本入れてなかった⁉】


(台本?)


 武士がカバンを確認すると、そこには映画の台本らしきものが入っていた。


【たぶんある】


 武士は一言返信を送る。


【よかった~! 大至急、それを現場に届けて!】


(……はぁ⁉ どうせあんたが酔っぱらって、俺のカバンに勝手に入れたんだろうが)


【やだ】

【頼むよ! 私まだ学校なの】

【俺も学校】

【あんたの学校から近いんだよ。これ届けられないと、あたしゃバイトクビになる~! そしたらアパートも住めないし食費も無くなる~!】

【……分かったよ……】


 生活費のことになると弱い武士だった。


「ちょっと悪い。姉ちゃんに頼まれて、届ものするから先に帰るわ」

「どこに行くんですかぁ?」

「新宿御苑……って、歩きで行けるんだっけ?」

「歩きでも行けるけど、新宿駅ならすぐですよ? 不安ならあたし一緒に行きましょうか?」

「神宮さん。ここは副部長として、私が行きます」

「え? あ、はい(副部長ならここに残ってたほうがいいんじゃ……)」

「あぁ桜木、でも場所が分かれば俺一人で――」

「副部長として、ご一緒します」

「あ、はい……」


(華様、いちいち副部長を掲げるから話がややこしくなるんだよな。素直に一緒に行きたいって言えばいいのに)






「今日は穏やかな天気ですね」

「あ、うん。そうだな。散歩がてら歩いていくか」

「はい(今日こそ、今日こそ落とすのよ。部長を!)」


 そのまま二人はのどかな春の陽気の中、街を歩く。


「桜木は落ち着いた?」

「え? (あれ? 私が焦ってるの、なんで分かるの?)」

「いや、昨日の今日だからさ。精神的に参ってないかなって(無理をされて寝込まれたら、俺の責任問題に……)」

「あ、あぁ。大丈夫です。ご心配掛けました(部長……そんなに私を心配して……なんて優しいのかしら……)」

「そっか、やっぱり桜木は強いな。星井は今日は欠席したみたいだし、無理はするもんじゃないからな(とりあえず大丈夫そうで安心だ)」

「星井さんは関係ないですよぉ? (また! いつも星井星井星井って! あなたは私だけ見ていればいいのです!)」


 華は引きつった笑顔で武士に言う。


「あ、武士君!」


 二人は通りの向こうから、武士を呼ぶ声に振り向く。


「星井? なんでここに? 大丈夫なのか?」

「うん。さっき学校に届を撤回してきたの」

「そっか、よかった……でも、学費は大丈夫か?」


 武士は喜ぶとともに、学費と言う現実を考えて不安そうに聞く。


「うん。一年分は前納してあるから。二年生からの分は、きちんと考えないとだけどね。……あ、初めまして。ですよね? 三組の星井希美と言います」


 希美は武士の横にいる華に気付くと、自己紹介をする。


「初めまして。一組の桜木華です。一組の委員長は九里君で、私が副委員長。部活では九里君が部長で、私が副部長をしていますよ(なんであなたがここに居るのよ……)」


 華はご丁寧に、聞いてもいない役職まで説明する。


「桜木さん、私知ってます。噂通りすごく素敵な人ですね」

「あ、ありがとうございます(今さら当たり前のこと言っても遅いわよ!)」

「武士君はどこに向かってるの?」

「あぁ、新宿御苑。映画の撮影してるみたいでさ。姉ちゃんに届け物頼まれて」


(はぁ⁉ 武士君⁉ 何、下の名前で呼んでる訳⁉)


「あ、俳優の早乙女さんが出てるやつ? 私も現場見てみたいな。迷惑じゃなかったら一緒に行ってもいい?」


(何言ってるのこの女! 迷惑に決まってるでしょ! 部長、早く断るのよ!)


「そっか、そういえば星井は子役やってたんだもんな。俺は別に……桜木は?」

「(そうですか、私に振って来ますか……)私は、構いません……」


 心の声とは裏腹に、素を出せない華は承諾してしまうのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る