第32話 祭りは浴衣(武士視点)

 七月七日。

 学校が休みの今日は、早起きする必要はなかったのだが、日の出の頃には目が覚めてしまった。

 いや、むしろ寝付くことが出来ずに一晩中うとうとしていて、気が付いたら日の出だったと言う方が正しいだろう。

 だって今日はお祭りだから。


 ったく、遠足の前日にウキウキして眠れない小学生かよ、俺は!

 そりゃ小さいときはお祭りに対してワクワクしてたさ。家族と行って、屋台で買うお好み焼きやら焼きそばやらは妙に美味しく感じたし、金魚すくいや射的とか、日常では味わえないそれらは、一人でゲームして遊ぶより数倍楽しかった。

 だが思春期に入る頃には、祭りはパリピやリア充たちのたまり場だと、俺は歪んだ認識を持った。

 それもこれも、周りの彼氏彼女持ちたちがこぞって、自分たちの充実具合をアピールするように、わざわざ宣言して行くようになったからだ。

 なので俺の祭りに対する思いと言うのは、小学生時代までで終わっている。

 だけど今日はその長い封印を解き、ついに俺が祭りに行く日となったのだ。

 もちろん、先の思いでのように、楽しさを期待する自分がいる。同時に、今まで忌み嫌っていたデートの場として利用する奴ら。ついに自分がその立場になったと言う嫌悪感……いや、少し違う。これはあくまで部活動の一環だ。だとすれば、これはデートではない。それなら、これは何だと言うのだ?

 男女が二人きりでお祭りに出向く。だが、デートではない。そもそも、俺は学業に専念しなければならない立場。こんなことにうつつを抜かして一喜一憂しているようではだめだ。中学生時代の辛い恋愛体験を忘れてはだめだ。

 そんなことは大学に入ってから、いや。希望の職に就いてから――。


 中々寝付けずに、ずっとこんなことを考えていた。

 桜木との約束は十五時に駅前のコンビニに集合。まだ全然時間はある。

 その間に少しでも休もうと思ったが、熟睡して寝坊したらと要らぬ心配をして休むことも出来ず、結局また今日の祭りがデートに当たるのかどうかを考え込む。

 こんな堂々巡りをしながら十四時になったところで、俺はやっと家を出る決心をする。


「あれ? 武士どこ行くん?」


 面倒臭いことに、そこで姉ちゃんに声を掛けられた。


「ちょっと、部活」


 嘘は言ってない。


「あんたも固いねぇ。今日は武士の同級生の娘の神社で、七夕祭りでしょう? こんな日くらい部活なしにすればいいのに。部長なんだからさぁ」

「余計なお世話だっての……ってか、なんで七夕祭り知ってんの?」


 それはそう。神宮の神社は家から近い訳ではないし、誰でも知ってるほど有名なとこでもない。


「だって、星井さんの、ほら。ごーるどあっぷるがステージやるんでしょ? うちの事務所のタレントだもん。そりゃ把握してるっての」


 そうだった……。


「そ、そっか。そう言えばそんなこと言ってたような……とりあえず、行ってくる。あと、帰りは多分遅くならから」

「あっ、ちょっ、武士⁉」


 余り長く話すとボロが出そうだ。


 俺は適当に流し、足早に家を出た。


 待ち合わせの駅に向かうために乗った電車内では、浴衣姿の若い女性たちの姿が目立った。


 そっか、みんな七夕祭りに行くのか。


 大半はカップルだが、中には女性だけのグループもあった。


 神宮の言っていたご利益ってのは、案外みんな知ってるもんだな。

 すると当然、現地で桜木と合流すれば、俺たちも周りからはカップルと認識される訳で……。

 今まで意識しないようにしていたが、周囲からそう言う目で見られていると桜木が気付けば、俺フラれるんじゃないか?

 ってか、告白もしてないのにフラれるとかあるのか⁉ 第一、俺は桜木をそういう目で見たことは……。


 そこで俺は初めて桜木と出会ったときのことを思い出す。


 まぁ、確かにすごく美人だとは思ったよ。その上超がつくほどの金持ちのお嬢様でさ。万が一にも俺が好意を寄せたところで、余りにも分不相応だってのは自分でも怖いくらい分かるし。

 だからこそ、知れば知るほどそういった感情が芽生えなかったのは、俺にとっては良かったのだが。

 そうだよな。俺なんて桜木から見たら虫けらのような存在だもんな。今日だって、あくまで庶民の生活を知りたいって動機な訳だし。言ってみれば、夏休みの自由研究みたいなものだ。


「ちょっとあの人、さっきから怖い顔したり、悲しい顔したり……ヤバくない?」「ほら、見ちゃダメだよ。きっと痴漢をしようと――」「まさかあの人もお祭りに行くのかな?」


 周囲の浴衣姿の女性たちは、俺の表情を見てヒソヒソと話し込む。

 口には出してないが、色々考える余り、俺は何か目立つ動作でもしてしまったのだろうか?


 そうだ、嶋だ。あいつが俺に桜木を誘うようにけしかけた訳だし。


 俺はすぐに嶋にラインを送る。今日桜木を誘ったことで、桜木自身実は迷惑してるんじゃないかと。


 既読付かねぇ……。


 いつもは数秒で帰ってくる嶋のラインが、今日に限って既読さえ付かなかった。

 それは俺の心をどんどんと不安で支配する。

 かと言って、桜木本人にそれについて聞くほど、俺は非常識ではない。

 心の準備が出来ないまま、無情にも電車は目的の駅に着く。


 桜木はまだ来てないな。どうする? 今ならまだ間に合うぞ。いかに世間知らずと言っても、ここで祭りに向かう人たちを見れば分かるだろう。男女二人きりで行く祭りはデートになると言うことを。

 そしたら桜木は――。


『部長! あなたは私が何も知らないと思って。お祭りに私を誘ったのはこういうことですか! 私とデートしたと言う既成事実を作って、無理やり恋人になろうとしたのですね!』

『ま、待て桜木! 話せば分かる!』

『何が分かると言うのですか! 直接告白する勇気もない卑怯者! あなたとはこれまでです。さようなら!』


 ――って、なるよな、きっと。あぁ、俺終わった。結局中学生時代に逆戻りだよ……。

 よし、そんなことになるなら、ドタキャンしたって文句言われようが、今のうちに――。


「ぶ、部長。お、お待たせしました」


 俺が駅に引き返そうと振り向くと、そこには見事な柄付きの淡い青色の浴衣に身をくるんだ桜木の姿があった。


「あ、あ……きょ、今日はその……よろしく」

「こちらこそ、よろしくお願いします」


 結った髪をかんざしで留め、少し白粉おしろいでも付けたような頬は気のせいか微かに赤く見える。


 綺麗だ。


 俺は純粋にそう感じた。色々形容するより、その一言で事足りた。

 桜木を前にすると、他の浴衣の女の子たちは引き立て役にしか見えなかった。

 俺は思い出した。桜木が伝説を持つ美少女だということを。

 こんな綺麗な娘と、これから祭りを回れると言う期待感。そして、まともにその目を合わせられないほど緊張している自分が、いよいよ桜木に惚れてしまうのではないかという恐怖感が同時に俺の頭をめぐった。

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