第2話 こうして俺は特待生になった

 まだ時刻は夕方だが、冬至であるこの日の外はもう真っ暗だった。

 昼間に散々なフラれ方をした武士は、帰宅後にずっと不貞寝ふてねをしていた。


「ほらいつまで寝てるんだ! 起きろ武士~!」


 部屋に響く大声と共に、武士が被っていた布団が剥がされる。


「よお、武士。久しぶり~! お姉さまがいなくて寂しかったろう?」


 そこには姉の顔があった。睡眠を邪魔されたことで、武士はいぶかし気に言う。


「ね、姉ちゃんかよ。ってか、ノックくらいしろよ」

「半年ぶりに里帰りした姉に対して、ずいぶん素っ気ない言い草ね」


 大学一年生の彼女は冬休みに入り、正月を実家で過ごすために帰省してきた。


「別に俺が呼んだわけじゃないし。つうか、にやにやしちゃって、妙に機嫌いいじゃん?」

「あ、分かる~?」


 武士が不思議に思うほど、姉の顔は変ににやついていた。


「ったく、いちいち面倒だっつうの。何? 言いたいことあったんだろ?」

「ふふふ。私ねクリスマス直前にして、ついに出来ちゃったのよ」

「なに? 吹き出物?」

「あはは、ぶっとばすわよ? 決まってるでしょ。カ・レ・シ」

「……」

「あんた疑ってるでしょ? 洋祐ようすけはあんたの義兄になるかもしれないのよ? まったく可愛げのない弟だわ。せっかく、この優しいお姉さんが――」


(洋祐? その相手の名前か? ってか、話が飛びすぎてるんだけど……血は争えないな……)


 そこに玄関の呼び鈴の音が鳴り響く。


「あ、きっと私だわ。ちょっと待ってなさい」


 姉は一言告げると、急いで階段を駆け下りていく。


(あの様子だと本当なのか? 姉ちゃん、かなり面食いだったはずだけど……)


 武士の姉はどちらかと言えば美人の部類だ。ただ、理想主義の上かなりの面食いだった。そこを妥協することができずに、今まで彼氏とは無縁だったのだ。


(するとついに妥協したのか。それか相当物好きのイケメンでもいたのか)


「武士~、玄関に来て~」


 下から姉が呼ぶ声が聞こえる。武士はやれやれと言った足取りで、階段を下りていく。




「はいご苦労さん。じゃあ、そこに置いて」


 ご機嫌な姉の指示で、武士は重そうなダンボールを三個、自分の部屋に運んだ。


「はぁはぁ……」

「ほら、男でしょ? そのくらいでへばるんじゃないの」

「重すぎだって……で、あなたは人の部屋に一体何を運ばせてるんですか?」


 なぜか自分の部屋に運ばれ、自室の面積を圧迫するその大きな荷物を見ながら、武士は棒読みトーンで姉に聞く。


「武士、あんた来年受験でしょ?」

「まぁ中二だからね」

「これは私からのクリスマスプレゼント」


 姉は嬉しそうな笑みを浮かべたまま、ダンボールの一つを開ける。


「……参考書? 問題集……?」


 そこにはぎっしり詰まった教材の束が入っていた。


「あんた勉強だけは出来るでしょ? これでさらに勉強して、夢に向かいたまえ」

「なにそれ……」

「私の彼氏がね、出版社に勤務してるのよ。っで、これが売れれば営業成績がトップになって、来年出世できるって言うからさ」

「買ったの?」

「そうよ。愛する男のために尽くす。私って慎ましい健気な女だわ」

「……いくらで?」

「聞いちゃう? バイト代ずっと溜めてて良かったわ。なんと五十万よ、五十万! これを無駄にせずに、ちゃんと活用しなさいよ!」


(高……。無駄も何も、あんたが勝手に買ったんだろ。ってか、絶対騙されてるよな、この人)


 「それ……本当に彼氏?」と、喉まで出た言葉をぐっと飲み込む。


美帆みほ~、武士~。ご飯出来たわよ~」

「は~い。じゃあ武士、あんたもそれ整理して早く下においで」


 一階から呼ぶ母親の声に、美帆は上機嫌のまま武士の部屋をあとにした。


(ったく、まるで嵐だよ……ん?)


 ダンボールの蓋を閉じようとしたとき、内側に貼ってあるパンフレットに気付く。


(早慶院学園高等科、学業特待生募集……なんだよ東京の学校じゃん)


 空っ風の吹き付ける上州群馬に住む武士にとって、それは縁もゆかりもない遠方にある高校であった。


(待てよ? そこまで遠けりゃ、このクソみたいな都市伝説ともおさらば出来るな。そしてバラ色の高校生活……)


 武士の判断基準は学業レベルよりも色恋にウエイトを置いていた。


(いやいや、早慶院なんてレベルも学費も日本一って評判だ。俺でも知ってる。さすがにうちの家計じゃ……)


 そのままパンフレットの下部に目をやる。


(なになに? A特待生は学費全額免除?)


 それは武士にとってまさに運命を感じた瞬間だった。


(これしかないだろ! 顔も運動も平均値の俺が唯一目指す道! ここを目指して猛勉強すれば、恋愛なんかにうつつを抜かす暇はなくなる! 恋愛しなければ都市伝説ともおさらば。まさに一石二鳥だ!)


 そっとダンボールの蓋を閉じると、意を決したように立ち上がる。




   *****


(あれ、やばい!)


 時計を確認すると、登校時間ギリギリになっていた。あの日のことを回想をしているうちに、時間を費やしてしまったようだ。


「もし、早慶院の方ですよね?」

「え? あ、はい」


 焦りながらも武士は、後ろから話しかける声に振り向く。


「急がないと遅刻しますよ。よろしければ、私が学校まで案内して差し上げましょう」


 その口調は武士が好きだったラブコメ小説に出てくるような、お嬢様そのものだった。


(すげぇ美人……)


 彼女の容姿は色恋を断ち切った武士でさえ、思わずため息だ出るほど美しかった。

 肩に掛かったツヤのあるサラサラとした黒髪。優しそうに武士を見つめる瞳。真新しい早慶院の制服に身を包んだ彼女は、その立ち姿からも上品さを感じさせる。


(東京はんぱねぇな……)

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