第3話 華は桜木、俺は武士

「なぁあれ。すげぇ美人」「何あれ、あの娘芸能人か?」「なんだよあの男。あんな可愛い子に話しかけられてよ……」「ってか、神々しすぎて俺、声も掛けられねぇ」


 周囲にいた男子学生たちは、武士に話しかける美少女を見ると次々にその容姿を称え始めた。


 この美少女こそ、その美貌と気品に満ちた振る舞いによって、数多あまたの男子を虜にしてきた伝説のお嬢様、桜木華さきらぎはなである。

 同じ伝説でも彼女の場合、武士とは真逆。今までに告白された男子の数が三桁に迫るモテ女。

 だがしかし、未だかつて彼女は告白を受け入れたことがない。

 類まれなる容姿を持ち、あらゆる教養を身につけさせられた彼女は何不自由なく育ってきた。ただ一つ、恋愛が出来ないということを除いては。

 もちろん彼女自身は年頃の乙女であり、恋愛にこの上ない憧れを抱いている。

 だが、厳格な彼女の父親が恋愛を良しとしないのだ。それは名家に産まれたがゆえの彼女の悩みであった。

 なので彼女が示す唯一の恋愛アイデンティティーは、その容姿と振る舞いで如何に多くの男を魅了するかだけであった。

 言い寄る男の数だけ華にとっては女としての自信となり、その男たちより良い成績を収めることが名家の娘としての誇りとなっていた。

 なのでこの場合も純粋な気持ちで武士に近付いたのではなく、高校生活の初日から初見の男子を虜にすることで自分の存在を誇示するためだった。


(一人孤独に佇む男子よ。あなたの人生において私のような美人と一緒に登校出来る機会など、この先有り得ないでしょう。今日は本当にラッキーでしたね。さぁ、私にドギマギするといいわ)


 華は右手を差しだし、目を瞑りながら武士に告白されたらどう断ろうか考える。


「え、いや……大丈夫です……」

「いえいえ、礼になんて及びません。私は同じ早慶院の生徒として……え?」


(危ねぇ危ねぇ。俺としたことが、ちょっと意識しかけたわ……)


 華が目を開けると、すでにそこには武士の姿は無かった。

 この一年以上猛勉強で脱恋愛に成功した彼は、あれほど告白しまくっていたそれまでが嘘のように、かたくなに恋愛を拒絶するようになっていた。


(は⁉ 私を無視⁉ なんなのあいつ。少しばかり顔だちがいいからって、一体何様のつもりよ!)


「あ、あら。私も急がないと」


 華は激高する自分の表情を見て青ざめる周囲の男子たちの視線に気づく。そして自身も遅刻しそうなことを思い出しながら、努めて平静を装って言う。






(ふぅ、やばいかと思った。地元に比べたらかわいい娘が多いけど、駅のあの娘が別格だったんだな)


 教室に入り黒板に掲示された席に座ると、武士は一息つく。

 周囲を見回し、東京の女子がみんな華レベルの容姿という訳ではないことに安心した。恋愛と無縁の一年を過ごした彼にとって、可愛い女子というのはいささか刺激が強すぎるのだ。

 あの頃のような悲惨な出来事を繰り返したくないという思いはもちろん。特待生として入学したのに成績が疎かになっては、学費免除を剥奪されてしまうという危機感。それらが一層彼を恋愛から遠ざけていた。


「よお、俺は小山恭央こやまやすちか。ヤスって呼んでくれよな、よろしく」


 武士の後ろの席に座る男子が武士の横に屈み、机に肘を掛けながら自己紹介をする。


「あ、ああ。俺は九里武士。こちらこそよろしく」


(うわ、いきなり話しかけられた。男ならまぁいいか。ってか、これ。陽キャってやつか? この学校にもいるんだな)


「武士さあ、ラッキーじゃん」

「え? 何が?」


(そしてファーストネーム呼びか。悪いやつではなさそうではあるけど)


「お前の前の席だよ」


 ヤスはまだ着席する者のいないその席を指して言う。


「ほれ、黒板に貼ってあるじゃん」

「桜木、華?」

「俺ここの中等科出身だから知ってるんだけどさ、桜木華って言えば超の付くほどの美人でお嬢様。そして伝説の持ち主さ」

「伝説?」


(嫌な言葉だな……)


 武士は自分の都市伝説を重ねてしまう。


「中学のときはさ「桜木華を落とした男は学園を制する」なんつって、数々の男が彼女に告ったのよ」


(俺も数々の女に告ったぞ……)


「それがどんな秀才でもスポーツマンでも、イケメンでさえもみんな撃沈。その数は三桁とも言われてる」


(ああ、俺と同じだな。ベクトルは逆だけど)


「でも分かんねえぞ。お前ならもしかしたら」

「は? 何言ってるの? なんで俺だとそうなるのさ」


(正直言ってることが分からない。聞いた情報が本当ならば、それこそこんな冴えない性格の俺とは正反対の存在だろうよ、そのお嬢様は)


「お前だろ? 首席合格の特待生ってのは」

「なんでそれを……」


 武士は驚いた。何しろ極力目立たないようにと考えていたので、自分が特待生と言うことも伏せていたからだ。


「ほら、玄関の前に貼りだされてたろ。入学試験のときの成績優秀者」

「あ、あぁ。あれそうだったのか」


(何か人だかりが出来ていたのは分かったけど、あれがそうか)


「今期の新入生で満点で合格した特待生がいるって、中等科卒業時にはその話題で持ち切りだったよ」

「そこに俺の名前が?」

「ああ。そして黒板の座席表の名前。その席に座ってるのがお前。まぁテスト前になったら、期待してるぜ相棒」


(それが目当てか)


「でも、なんでそれがそのお嬢様と繋がるわけよ?」

「その試験、桜木は次点だったんだよ。中等科時代、あいつは常に成績トップだった。その彼女にお前は初めて土を付けた訳だ」


(まさか、そのくらいで……)


「俺の仇を取ってくれて感謝するぜ、相棒」


(仇ということはこいつ、そのお嬢様に告って玉砕したんだな)


「おっと」


 ヤスが慌てて自分の席に戻ると、前の席には女子生徒の後ろ姿があった。


(これが噂のお嬢様、桜木華か)


 華は黒板をじっと見たあと武士のほうを振り向く。


(え?)


 そしてまた黒板を向いて、今度は覗き込むように怪訝けげんな表情で武士の顔をまじまじと見る。


(桜木って……まさか駅の美少女⁉ ってか、なんで俺睨まれてるの……)

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