第30話 梅雨の一日

 六月。季節は梅雨。

 その言葉通り、この日も外は雨が降っていた。

 放課後の応接室。カウンセリング部の面々は、そのじめじめとした独特の蒸し暑さと、何日も続く悪天にテンションは下がっていた。


「はぁ、今日も雨ですわね」

「だから梅雨なんですよ、華様」


 ため息をつく華に、楓は言い聞かせるように答える。


「まぁまぁ。梅雨が明ければいよいよ夏ですよ。夏と言えばお祭りじゃないですか⁉」


 そんな中、みこは嬉しそうに言う。


「祭りかぁ。確かにいいよな」

「夏休みもあるしね。海とか山とか、みんなで行けたらいいよね」


 相槌を打つ武士に希美が返す。


「まぁ……でも、星井は夏休みも仕事あるんじゃ?」

「あるけど、あらかじめ分かってれば、どうにかオフを作るようにするよ」

「海も山もいいですけど、やっぱりまずはお祭りです!」


 みこは大声で話しに割り込む。

 そんなみこの様子を見て、武士は遠慮がちに聞く。


「な、なんか気合入ってるけど、祭りに特別な何かあるのか?」

「ふふ~ん、よくぞ聞いてくれました! 私の家、「星恋神社」では毎年七夕にお祭りを開催しているのです」

「へぇ。例の恋愛成就の神様のか」

「ご名答! その日は例年多くの参拝者ですごく賑わっていたのです」

「いた? なんで過去形?」

「それが、ここ数年参拝者は右肩下がりで……みなさん、人がたくさん集まる、何かいいアイデアありませんか⁉」

「いつの間にか、お願いになってるじゃないか。やけに祭りを推してくると思ったら、なるほどそういうことか」


 武士はそう言うと、更にみこに聞く。


「そのお祭りでさ、神社特有の催し物やイベントとか、何かあったりするの?」

「もちろんありますよ。とっておきのご利益があるものが」


 みこは鼻息荒く説明をする。


「七夕の夜、本殿の前で男女が一緒に本坪鈴ほんつぼすずを鳴らすと、夫婦なら末永く幸せに、恋人同士なら夫婦に、お付き合い前なら恋人になれるという伝説があるのです!」

「伝説……ねぇ……。ところで本坪鈴って?」

「本坪鈴はですね、お賽銭箱の上に釣るしてある大きな鈴ですよ」

「あぁ、なるほど。そういう名前があったのか。さすが神社の娘」


 武士が褒めると、みこは照れくさそうに頭を掻いた。


「ねぇみこちゃん。そのお祭りって、境内でやるのよね? 敷地に空いてるスペースとかあったりする?」

「ありますあります。本殿までの道は両側に屋台がずらっと並びますけど、他は空き地だらけですよ」

「事務所で確認してからになるけど、もし許可が出ればそこに簡易ステージを設置しても大丈夫かな?」

「はい、もちろんです! 予算だけは余りまくってるので、舞台設置もうちでやりますよ。簡易じゃなく立派なステージを。希美ちゃん、まさかお芝居を⁉」

「あはは、どうだろ。スケジュール開いてる人次第だけど、何か出来るなら私たちにも宣伝になると思うし、今日事務所言ったら聞いてみるね」

「よろしくお願いします! 芸能人が来てくれれば、絶対参拝者増えますよ!」

「いや、芸能人なんて。まだ卵の卵くらいだから」


 希美は呼ばれ慣れていない言葉に、戸惑いながら返事をする。


「まぁ今はまだ原石かもしれないけど、磨けばダイヤみたいに輝くかもよ?」

「うん、そうなるよう頑張る。ありがとう、武士君」

「さぁ、もう下校の時間ですよ。部室の戸締りがあるのですから、早く帰ってください」


 目の前で武士と希美のやり取りを聞いた割には意外にも冷静に、華は部室のみなに向かって言った。


 そのまま玄関で部員たちが校舎を出るのを見送ると、今度華は楓に向かって言う。


「芸能人? 原石? とんだ戯言ざれごとを。ダイヤにも色々あるのですよ。せいぜいあなたは、とてつもなく小さなカラット。ホープダイヤのような私には敵うはずないでしょう? 今のうち、喜んでるがいいわ」


 楓だけになったところで、華の中の悪魔が顔を出す。


「華様。ホープダイヤは、持ち主に不幸が訪れるという、いわくつきのダイヤですよ」

「もう、そんなのはどうでもいいのよ! ところで、ちゃんと覚えてるわね?」

「はいはい。運転手には華様は先に帰ったと言っておきますよ……」

「頼んだわよ、嶋」


 楓は「やれやれ」と言った感じで、後ろ姿のまま華に手を振る。

 昨日、楓の持っていた少女漫画を読んだ華は、その中で人生初めて「相合傘」なるものの存在を知ったのだ。

 そしてそれを敢行すべく、迎えの運転手に華はもう帰ったと楓に告げさせることを思いついた。その上で、傘を忘れたと武士の傘に入れてもらい駅まで一緒に帰る。つまり相合傘である。

 こんなしょうもない作戦ではあるが、華は真剣だった。


「あれ? 桜木。まだ居たのか?」

「あ、部長」


 顧問に応接室の鍵を返してきた武士が玄関にやってきた。

 華は白々しくも、演技を始める。


「今日、迎えまだなのか?」

「それが……今日は運転手が公休で」

「休み? 珍しいな。って、嶋は帰っちゃったの?」

「はい。嶋は伊賀の里に用事があるとかで……」

「伊賀⁉ 三重だろ⁉ 大変だな、今からあんな遠くに……。でも桜木は帰らなくていいのか?」

「(きたきた!)それが……運転手が休みなことを忘れていて、傘を用意していなくて……」

「傘がないと、この雨じゃ……もしよかったら、駅まで俺の傘に……(あれ、これって相合傘にならないか?)」


 そこまで言って、武士はそれが相合傘になると思い、怖気づく。恋愛に耐性のないのは武士も同じ。彼にとってそれは、恋人たちにだけ許される、非常にハードルの高いものだった。


「部長がそうしてくださるのでしたら……(よし! これで私と部長は恋人よ)」


 こっちのほうも恋愛の常識が歪んでいた。


「あっ……」

「どうしました?」

「俺も傘……忘れた……」


 二人は互いに顔を合わせ、落胆の様子を見せる。


(なんでこんな肝心なときに忘れるのよ……でも、ここで二人だけで居るのも、それはそれで悪くないわね)


 目的は果たせていないが、二人だけの空間に華はまんざらでもない様子だった。

 しかし、互いに二人きりの状況に緊張してしまい、無言の時間が流れる。そしてそのまま十分ほど経過する。


(あ⁉ 私も行かないと、家に帰ってないことがお父様に知れたら……)


 その場にずっと居られないことを思い出すと、華はだんだん焦り始める。


「あら? あなたたちまだ帰ってなかったの?」


 そこに担任で顧問でもある聡美が来て、二人に声を掛けた。


「先生? いや、傘を忘れちゃって……」

「私も傘を……」

「意外ね、委員長副委員長が揃って忘れるなんて。でも私置き傘もあるから、九里君それを使って帰りなさい。桜木さんは私の傘に入ればいいわ」

「助かります。借りていきますね」

「ありがとうございます(は? ちょっと! なんで私がこっちなのよ⁉ 部長と一緒がいいの……)」


 華はそのプライドから、決して本心を口に出来ない。


「あっちゃ~、傘忘れちまった……」


 そこへヤスが来た。


「え? 小山君も? もう、今日はみんなどうしたの? 仕方ない、九里君。小山君を傘に入れてあげて」


 聡美は武士にそう促す。


「えぇ? どうせなら、俺先生の傘がいいな」

「はい? なんで先生なのよ? 九里君が待ってるわよ、早く行きなさい」

「いやいや、どうせなら先生みたいな美人と一緒の傘がいい。こんなじめじめしたなのに、むさくるしい男と一緒の傘なんて地獄ですよ、地獄!」

「え? 私が美人?」

「そりゃもう。このくらいの年頃の男子は、年上の女性に憧れるもんですよ。先生なら文句なし! (桜木は中学のときフラれて以降怖いんだよな……)」

「あ、なんか私お邪魔なようですから(ナイスよ、モブ君! グッドジョブ!)」


 華はそう言うと、逃げるように武士のほうに向かった。


 こうしてなんだかんだありながらも、目的の相合傘は達成することが出来たのだが、二人とも初めてのその状況に緊張しまくり、駅まで無言だったことは言うまでもない。

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