第16話 事件は終わらない

「希美ちゃん、そこにいるんだろ? 早く顔をみせてよ」


 個室トイレのドアを激しく叩きながら男が言う。


(ど、どうしよう……怖いよ……だけど、警察には電話出来ない……大事おおごとにしたら社長に……)


 希美は個室の中で屈み込む。震える手で両耳を塞ぐも、それでは効果がないほどけたたましくドアは叩かれている。


「ほらぁ、早く開けてよ。僕は君のファンなんだからさ。アイドルでしょ? だめだよ、ちゃんとファンサしないとさぁ」


 男が個室内の希美に意識を集める一方、この公園に武士が姿を現す。


(ここだ。やっと見つけたぞ! 星井、無事でいてくれよ)


 武士は、そのまま真っすぐ激しい音を鳴らすトイレに向かってに走る。


「おい、やめろよ!」

「えっ⁉ ……誰だよ、お前」


 男の後ろから武士が叫ぶ。希美から得たスタジオ近くや、公園と言う数少ないヒントを繋ぎ合わせ、武士はこの場所を割り出したのだ。

 男は一瞬たじろぐも、相手が高校生くらいの少年だと分かると、態度を大きくする。


「(こいつ……ライブ会場にいたオタク?)星井の友達だ。あんたのやってることは犯罪だぞ。今すぐ、ここを去れ!」

「何言ってるんだよお前。僕はただ推しの子を追いかけてただけだ」

「それがどうしてトイレの個室に追い詰めて、相手を怯えさせるんだよ」

「お前に僕の何が分かる⁉ 希美ちゃんの為に毎回大金を貢いでる、この僕の想いの何が分かるんだよ!」


(てっきり桜木を見てるのかと思ったが、どうやら星井目当てのドルヲタ……それもガチ恋かよ。こういうやつはどうすれば……)


「いい年して、相手が迷惑してるのが分からないのか! 星井のことが好きなら、やるべきことは違うだろ⁉」


(え? この声……武士君⁉)


 希美は塞いだ耳から聞こえる武士の声に気付き、そっと個室のドアを開ける。


「お前、希美ちゃんのなんなんだよ⁉」

「俺は希美の彼氏だ! (すまん。地下とは言え、アイドルに対してこういうのはタブーだろうけど、他にこのガチ恋オタクを諦めさせる手が浮かばな……星井⁉)」


 武士は個室から覗かせる希美の顔に気付く。


「は⁉ お、お前……何を言って……」

「武士君!」


 男の背後から、ドアを開けた希美は武士に向かって呼びかける。


「ば、バカ。開けるな!」

「の……希美ちゃん。僕を……僕の気持ちを……ずっと、騙してたんだね……」


 男は振り向き、希美に向かって突進する。


「(ナイフ⁉)やめろ‼」


 武士は希美を庇うように、男と希美の間に割って入る。


「あ、あ、あ……お、お前が……お前たちが悪いんだ!」


 怯えたように言うと、男は走ってその場を去った。


「武士君⁉」


 倒れ込む武士に、希美は取り乱しながら呼びかける。

 傍らにはナイフが落ちている。武士は、希美の身代わりとなって刺されたのだ。


「武士君、ごめんなさい……私が、私が電話さえしなければ……きゅ、救急車、すぐ呼ぶから、お願い、しっかりして‼」


 希美は座り込んだまま、武士の頭を膝に乗せ、泣きながら震える手で、どうにかスマホを操作しようとする。


「だ、大丈夫」


 武士は右手を伸ばし、そのスマホに手をかざす。


「武士君! だめ、動かないで……」

「いや……ちょい、焦ったけど。計算通り……」


 武士はシャツをめくると、腹部に仕込んだまな板を取り出す。


「え……?」


 それを見た希美は目を丸くする。


「みぞおちの辺りに圧がかかったから、多少苦しかったけど。ばっちり、ストーカー対策はしてきたからさ。証拠もこれ、スマホで一部始終録画してある。あとは警察の仕事さ」


 そう言って武士は今度、先ほどの一連の流れを録画した動画を見せる。


「もう! 私死にそうなくらい泣いたのに。あんな状況なのに、そんな冷静でいるなんて!」

「悪い悪い、でもお互い怪我がなくてよかったな」

「うん……ありがとう。本当に。ありがとう」


 希美は繰り返しお礼を言いながら武士に抱きつく。


(あぁ、すげぇいい匂いがする……好……だめだ俺! 相手はただの同級生。これは部活の案件だ。絶対に抑えろ!)


「でも、どうして私なんかのために……危険を冒してまで……?」

「……星井が頑張ってるからかな(ヤスの依頼と言える雰囲気でもないな……)」

「え?」

「ほら、ライブと合同レッスンの合間に、一人で一生懸命レッスンしてただろ? 俺もこの学校に入るために散々勉強したし、努力する人を見ると他人事とは思えなくてさ。あと高等科から入ったってのも一緒だしな(これは本音だ)」


 その言葉を聞くと、希美は満足そうな笑顔になる。


「たださ、一つ不思議なんだけど」

「何が?」

「星井のステージ見たけど、歌もダンスもダントツにすごかったじゃん。なのにそのあとのチェキ会だと、他のグループに比べて人が少なかったなって」

「そ、そんなことないよ。私そんな人気ないもの」

「ライブの順番もだ。あれだけのパフォーマンス出来たら、普通おおとりを飾って当然だろ。最後のグループなんて全然だった。素人の俺でも分かる」

「ひ、贔屓目ひいきめで見てるからじゃないかな? 私今までそんなこと言われたことないし」

「そっか(何か隠してるな)」


 武士は希美の反応が若干おかしいことに気付く。


「じゃあ、警察に行くか。事件を通報しないとな」

「う、うん」


 そうして二人は警察署に歩く。




「武士君ももう少し待ってればいいのに」

「いや、俺は歩いて帰るよ」


 武士のスマホに残された映像が決定的となり、警察は殺人未遂事件としてすぐに捜査を開始し、近辺をうろついていた犯人はあっけなく見つかり逮捕された。

 時間も遅いことから、詳しい聞き取りは後日ということで、軽い状況説明だけでこの日二人は解放された。

 安全を考慮し、刑事が自宅まで送ってくれると申し出たが、武士はそれを断った。


「武士君!」

「ん?」


 警察署の玄関から外へ向かう武士に、希美が最後呼びかける。


「あの言葉……私、ドキっとしちゃった」

「あの言葉?」

「ほら、「俺は希美の彼氏だ」」

「……他に思いつかなかった、すまない(やっぱり聞こえてたか……)」

「もう、謝らないでよ。嬉しかったのに……」

「そ、それじゃ! (この話は危険すぎる……)」


 武士は逃げるようにその場を走り去った。






(さて、まずはヤスが言ってたℤから当たるか)


 翌朝。目覚めるとすぐに武士はスマホを開く。

 武士は納得していなかった。ヤスの依頼によれば、別のアイドルが希美のストーカー被害をℤにポストしていた。ところが当の希美はそれを知る由もなかった。しかしストーカーは本当に現れた。

 アイドルとしての処遇もそうだ。あの容姿に、あのパフォーマンス。どう考えても昨日ステージに立ったアイドルたちの中で、希美は頭一つ、いいや二つ三つは抜けていた。なのになんであんな序列なのか。他人目線で見てもそうなのに、ましてや事務所の社長が希美の後見人なのだ。事務所の利益を考えれば、地下なんか卒業させて表舞台に立たせても十分稼げるだろう。

 なぜそれをしないのか。


(これか?)


 武士は当該のポストを見つけ出す。


(こっちのアカウントから……)


 武士はダミー用のアカウントから、そのアイドルにDMを送る。


【今日ライブがあるので、その前なら。十時に秋葉原の――】


 すると、すぐに返信が来る。


(よし、掛かった。この依頼、結構根が深いかもしれないな)


 それはすでに依頼の範疇はんちゅうを越え、武士の止まらぬ好奇心を満たす案件へと変貌した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る