第7話 草葉の陰からラブレター?

(こ、これって……ラ、ラブレターってやつだよな?)


 武士は震える手で上履きを取り出す。


(と、とりあえず落ち着け俺)


 意識しすぎるあまり、同じ側の手足を同時に出して不自然に歩き出す。


 どうにか教室に入って席に着くも、その動揺は続く。


「おはようございます。今日からよろしくお願いしますね、九里委員長」

「あはい! こ、こちらこそ不束者ふつつかものですが、ど、どうぞ、よろろしくお願いします!」


 華の挨拶に武士は思い切り噛みながら返事をした。


(まさかこの手紙は桜木⁉ 普通に考えれば有り得ないだろうけど、なにしろこの学校でまともに会話した女子と言ったら桜木だけだ。いちお嶋とも話はしたけど、どう考えても嶋はそういう雰囲気じゃなかったものな……)


 武士は立ち上がると、華の前から彼女を舐めるように見回す。


(あぁいい香り。そしてヤバいくらいに可愛すぎる。確かに厳格な家庭という彼女なら、こういう古風な恋愛の意思表示はするかもしれないよな)

(なんでそんなにマジマジと私を見るの? 挨拶の雰囲気は少し変ではあったけど、無言でそんなに見つめられたら変に意識しちゃうじゃない!)


 普段の武士なら決してこのような行動はしないが、今の彼はかなりテンパっていた。行動に思考が追いついていないのである。

 しかしながら、華にはそれが効いたようだ。いつも遠目から憧れの目で見られたり、近づこうものなら男が緊張して視線を逸らしてしまうの繰り返し。なので華は初めて体験する無言の圧力に屈し、目を逸らして妙に武士のことを意識し始める。


(恋愛はしないと決めていたが、正直桜木だったら考えてしまう自分がいる。でも中学のときみたいな目にあったら?)


 武士は未だ中学時代のトラウマによって恋愛に対してかなりナーバスなのだ。


(それに付き合うことによって勉強が疎かになったら……そうだよ、成績を下げる訳にはいかないよな)


 特待生として学費を全額免除されている武士であるが、万が一にも成績が落ち込むようであれば、学費免除が剥奪される恐れがあった。それは同時にこの学校の高額すぎる学費を納めなくてはならなくなることを示す。九里家の家計ではとても払えるような額ではない。


(でも付き合ってから、一緒に勉強とかしちゃえばいいんじゃないか⁉ 桜木だって頭がいいんだから、互いに切磋琢磨すれば……むしろ成績の心配はないだろう)


 考えてもいなかった「ラブレター」という存在によって、武士はもはや冷静な判断など出来る状態ではなかった。

 授業が始まると、机の陰に隠しながら手紙を読み始める。


『九里武士様、草葉の陰からあなたを見てました。どうしても伝えたい思いがあるんです! 放課後、応接室で待ってまぁす』


(桜木めぇ「草葉の陰」だなんて、死人みたいなこと言っちゃって。もう……可愛すぎるじゃないか! そういうとこもツッコミしてあげたくなっちゃうな。それに俺が告るんじゃなくて、告られるんだったら構わないじゃないか!)


 武士は吹っ切れた。優等生の桜木が見せるおバカな一面、そして普段の彼女の口調とかけ離れた文面が彼の萌え心に火をつけたようだ。

 それはつまり、あの頃の彼に戻ってしまうということになる。


「わぁ‼」


 不意に後ろから背中をつつかれた武士は、授業中にも拘らず大声を出してしまう。


「九里君、どうかしました?」

「いえ、すみません。大丈夫です」


 ヤスが顔を近づけ、武士に小声で言う。


「なぁ武士。何見てんの?」

「きょ、教科書だよ……」

「教科書ねぇ……」


 ヤスは納得いかなそうに言うが、武士は間違ってもそれがラブレターであるなどとは言えない。


「じゃあこのプリント、前の人から後ろの人に一枚ずつ渡してくださいね」


 先生の言葉はおろか、武士は黒板さえも見ていない。彼が見ているのは前の席に座る華の後ろ姿だけであった。


「はい、プリントです」


 華は武士のほうを向いて、プリントを渡す。だが、武士と目があった瞬間にさっと目を逸らしてすぐさま前を向く。


(目があっちゃった……というか、なんで私こんなに意識しちゃってるの? そうよ、昨日神宮さんが変なこと言ったからだわ)

(桜木、すごく意識しちゃってるよな。かわいいなぁ。でも安心してくれ。俺の心はもう決まってるから)


 武士はすでに授業どころではなくなっていた。


「ちょ、武士。プリント回してくれよ」


 そんな訳なので、ヤスのところにプリントが回るはずもなかった。




 そして放課後。


「ではお先に失礼します」

「うん、またあとで」


 武士は席で桜木を見送った。


(待ってるって書いてあったんだから、桜木を先に行かせないとな)

(……またあとで?)


「武士、駅まで一緒に帰ろうぜ」

「悪い、今日はちょっと」

「何、昨日もじゃん? 委員会の仕事でもあんの?」

「うん、まぁ」

「へいへい。じゃ、また明日な」


 ヤスは良い奴であるが、口が堅そうには見えないので武士は無難にやり過ごそうとした。

 自分に話しかけてきそうな人間がもういないことを確認すると、武士は足早に教室をあとにする。

 そのまま階段を上り、応接室のほうへ歩を進める。お昼は体育館裏で誰にも邪魔されることなく弁当にありつけた武士は、動きも機敏だった。


「よく言うぜ。同じ副委員長の桜木は帰ったってのに、委員会の訳ねぇよな? 親友に隠し事はなしだぜ兄弟」


 その様子をヤスは隠れて見ていた。今日に限って、彼の頭は冴えていたのだ。




「どうぞ、開いてますよ」


 応接室のドアをノックすると、中から返事が聞こえる。吹っ切れた武士ではあるが、ここに近付くにつれどんどん緊張が増し、震える手でそっとドアを開けた。


「来てくれてありがとうございます。そこに座ってください。あと、ここに名前をお願いします」


 中に入って呼吸を整えようとするが、そんな間もなく一人の少女が話しかけてきた。


(あ、あれ? 桜木……誰?)


 予想外の展開に、思考停止した武士は言われるがまま席に座り、渡された紙に名前を書く。


「九里武士君。あなた、恋をしていますね」

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