第15話 密林のカトブレパス

 ワイバーンの首を落とし、いくらかの素材を剥ぎ取ったユーキとスツェリは、少し休んでから『血の森』に入った。

 森の中は、陽の光が木の葉に遮られ、薄暗い。周りは背の高い木に囲まれ、木々の間は見たこともない密度の草が敷き詰められている。馬車は木々の間を辛うじて通っている道を進んでいた。


「これはまた……凄いな」


 見渡す限りの木。スツェリにとっては初めて見る光景だ。周りを囲む緑を飽きずにいつまでも眺めている。たまに見入りすぎて首がずれていることにも気付かないほどだ。

 一方、ユーキたちカマクランは、見慣れた光景なので特にキョロキョロしたりしない。せいぜい、いいヒノキだなあ、と思うくらいだ。


 不意に、ガクンと馬車が揺れた。道に侵食していた木の根を馬車が踏んだのだ。


「おっと。確かにこれは危ない道だな」


 荒野を通る道はそうそう荒れない。道の端が崩れていたり、風に吹かれた小石が転がっているくらいだ。

 一方、この森の道は木の根が張っていたり、枝がはみ出していたり、ぬかるんで車輪がはまったりとアクシデントが多い。エルフや魔獣を抜きにしても、この環境を開拓するのは大変だろうな、とスツェリは思った。


 どうにか馬車を進めていると、不意にユーキが身を乗り出した。目を細めて、道の先をじっと見ている。


「どうした?」

「……そのまま、ゆっくり進んで」


 緊張感の滲む声。何かあったと察し、スツェリは手綱を握りしめた。

 曲がりくねった道を何とか進んでいると、異様な臭いが漂ってきた。傭兵のスツェリにとっては、何度か嗅いだことのある吐き気を催す臭いだ。


 何度か道を曲がった所で、不意にそれが目の前に現れた。トンネルのように道の上に張り出した枝。そこからいくつもの生首がぶら下がっていた。

 ゴブリン、オーク、コボルト、ドワーフ、レッドキャップ、マーフォーク。種族は様々だが、一様に苦悶の表情を浮かべて死んでいる。

 犠牲者たちは死んでから何日か経っているようで、肉は腐り、蛆虫が湧き、カラスについばまれている。悪夢の果樹園だ。


 生首といえばユーキ、生首といえばカマクラン。まさか『血の森』にカマクランがいるのかとスツェリは戦慄したが、隣のユーキは訝しげにしていた。どうやらカマクランの風習ではなさそうだ。


「スツェリさん、ここでちょっと待ってて。様子見てくる」

「……気をつけるんだぞ」


 ユーキは弓と刀を手に馬車を降り、吊り下げられた生首へ近付いていった。スツェリも長剣を手に取り、いつでも戦えるよう準備しておく。

 警戒しながらユーキは生首の側へ辿り着いた。辺りを見回し、何かを探している様子だ。首の向こうの道路を覗き込んでみたり、這いつくばって地面を見てみたり、いろいろ調べている。

 奇妙に思ったのは、ユーキが首の向こう側に足を踏み入れないことだ。まるで見えない壁がそこにあるかのようだった。

 しばらくするとユーキは戻ってきた。


「ダメっぽい。戻ろう、スツェリさん」

「え、いや、誰かいたのか?」

「見つからなかったけど、いると思う。地面に鏃がいくつか残ってた。多分3,4人くらいじゃないかな」


 スツェリは驚いて周りの茂みを見渡した。人の姿はおろか、気配すら感じ取れない。しかしそこから何者かが弓を構えているとなれば、恐ろしい事この上ない。すぐに引き返すことに決めた。

 幸い、晒し首の手前の道は幅が広かったので、馬車を方向転換させることは簡単だった。あるいは、そういう風に誰かが整備したのかもしれない。


 悪趣味な果樹園を後にし、馬車は再び曲がりくねった道を進む。先に進むには横道を見つけないといけない。だが、森に入った時からずっと一本道だ。横道はおろか獣道すら見当たらない。


「……あれ?」


 しばらく戻っていると、ユーキが疑問の声を上げた。


「どうした?」

「なんか、道、違くない?」

「えっ。いや、そんな……?」


 スツェリは周りを見てみるが、依然として森の中だ。何が違うかまったくわからない。


「気のせいじゃないか?」

「気のせいかあ……」


 同じ道を引き返しているはずだ。道が違うなんてありえない。


 更に進むと、馬が不安そうに鼻を鳴らした。スツェリはすぐに馬を止め、周囲を探る。

 異変はすぐにわかった。地響きが近付いてきている。規則正しい足音だ。以前出会ったオーガを思い起こさせる、巨人の足音。


「ユーキくん」


 小声で呼びかけると、ユーキは黙って弓を手に取った。ふたりが緊張した面持ちで待ち構えていると、道の向こうに地響きの大元が姿を表した。

 木だ。木が歩いている。根を足に、枝を手にして、幹には人の顔のようなひび割れができている。見上げるほどの高さの木が踏み出すたび、地面が揺れ、木の葉が擦れる音が響く。そして、道を横切って茂みの中へ入っていってしまった。


「何あれ。木が、歩いてた……?」

「まさか……あれがトレントか」


 トレント。森の中に住み、木に擬態して迷い込んだ獲物を狩る魔獣と言われている。森が少ない魔王国では、伝説の魔獣だとか、木材にゴーレム魔法をかけただけとか噂されている。スツェリも自分の目で見るのは初めてだった。

 驚いているうちに、またもトレントが道を横切る。地響きは止まない。結構な数がいる。

 不意にスツェリは気付いた。さっき、ユーキが言っていた「道が違う」という言葉。あれはまさか、トレントによって行先を狂わされていたのだろうか。


「道が違うのは、木のせいだったのか……!?」

「木のせいかあ……」


 更にトレント。今度は小さいトレントもいる。子連れだ。獲物のスツェリたちを探しているのだろうか。いや、それにしては様子がおかしい。


「逃げてる、のかな?」


 ユーキの言葉で気付く。時折後ろを振り返りながら走るトレントたちの動きは、何かから逃げる動きだ。

 なら、何から逃げているのか。見上げるほどの巨体を持つトレントの群れが、必死に逃げなければいけないものは。


 不意にスツェリの視界が真っ白になった。閃光が奔った、と気付いたのは一瞬後だった。まるで稲妻の魔法を撃ち込んだ時のようだ。少し遅れて、何かが倒れる重い音が響く。

 眩んだ目を細め、どうにか周囲の様子を伺う。すぐに異変に気付いた。ついさっき、道を横切ろうとしていたトレントが倒れていた。幹、いや、胴体の中央に穴が穿たれ、その周りは火球ファイアボールを撃ち込まれたかのように焼け焦げている。


 攻撃。何が。どうやって。

 疑問を吹き飛ばすかのように、第二撃が森の奥から放たれる。道の向こうを横切る閃光。遅れて、再び地響きが起こる。さっき逃げていたトレントが撃ち抜かれたのだろう。知らない魔法。それを撃ったのは何者か。スツェリは茂みの奥に目を凝らす。


 ずるり、と長い首が茂みから這い出してきた。暗緑色の牛の頭。だが、首は蛇のように長い。その根本には餓死者のように肋が浮いた牛の体。手足は蹄を持つ動物とは思えないほど短く、歩くというより這って移動している。

 まるで生気というものが感じられない姿。しかし、蛙のように大きな目だけがギョロギョロとせわしなく動き続けていた。前後左右、時には反転して頭の中を向く瞳が、不意に前方の一点を凝視する。

 次の瞬間、瞳から閃光が放たれた。白熱した光線ビームは一瞬で木々を薙ぎ倒し、その先を走っていたトレントを撃ち抜いた。


 そこまで見て、スツェリはようやく目の前の怪物の正体に思い至った。

 カトブレパス。トレントと同様、伝説の魔獣と噂されている存在である。


 ただ、伝説になる理由が違う。

 トレントは、森の存在そのものが貴重だから伝説になった。

 カトブレパスは、出会った魔族の大半が死ぬから伝説になった。


 数少ない生存者は、カトブレパスに睨まれると即死するという情報しか伝えていない。そこから様々な噂が生まれた。睨まれると石化する。魔力噴射で粉々に吹き飛ばされる。超振動波を頭に撃ち込まれ、頭蓋骨が砕けて死ぬ。

 現実はもっと単純で強烈。密林を穿つ高出力の光線ビームだった。


 こんなものに太刀打ちできるわけがない。スツェリは息を殺して、カトブレパスが姿を消すのを待つ。幸い、距離は離れている。馬たちも恐怖に震えて大人しくしている。このまま物音を立てなければ、気付かれないかもしれない。

 カトブレパスがトレントを追って、ゆっくりと道に出る。ビームを更に一発。またトレントが倒れる。そのままトレントに気を取られたまま、道を横切って去ってほしい。


 目が合った。

 震えるスツェリに最初から気付いていた、そういう嘲りの目だった。


 閃光。風切り音。咆哮。


 魔眼の光線を撃たれたが、スツェリは死んでいなかった。光線は僅かに上に逸れ、頭上の木の枝を吹き飛ばすに留まった。

 狙いが逸れた原因は、隣のユーキが放った矢だ。矢が首に刺さった痛みでカトブレパスが身を捩り、頭が上を向いたのだ。


 だが、カトブレパスは死んでいない。瞳を憤怒に染め、二射目を放とうと魔力を掻き集め始める。

 そうはさせまいと、ユーキが弓を投げ捨てて走る。逸れた光線の余波を受けたか、弓の端が焼け焦げ、弦が切れていた。ユーキは走りながら大太刀を抜き放つ。オーガの首を落とす刃なら、カトブレパスの首も一刀両断できるだろう。


 しかし距離がありすぎた。ユーキが辿り着く前に、カトブレパスの瞳に魔力が溜まり切った。

 ユーキを焼き尽くそうと閃光が放たれる、その寸前。飛来した矢がカトブレパスの肋骨の隙間、すなわち肺に突き刺さった。激痛にカトブレパスが身を捩らせ、光線は再びあらぬ咆哮を灼く。


「てりゃあああっ!」


 そして刃が届いた。振り下ろされた大太刀は、一息でカトブレパスの首を斬り落とした。両断されたカトブレパスは、一度大きく身を強張らせ、そのまま地面に横倒しになった。ぴくりとも動かない。

 怪物であろうと首を斬られれば死ぬ。この世の摂理であった。


 カトブレパスを討ち取ったユーキだったが、構えを解かずにゆっくりと辺りを睨みつけていた。敵は倒したのになぜまだ警戒しているのか、と考えてスツェリは思い出す。二度目の光線を逸らせた矢を撃ったのは誰か。

 それは突然、ユーキとスツェリの間に飛び降りてきた。金色の長髪の間から、細長く尖った耳が見える魔族だ。切れ長の灰色の瞳は不思議な光を湛えている。この世のものとは思えない、美しく整った顔立ちだ。

 対して、首から下は武骨である。濃緑色の服の上に革の鎧を纏っている。身の丈ほどの長さがある大弓を手にし、腰には短く分厚い剣を提げていた。


 スツェリは一目で正体を見抜いた。森に住む、隔絶した美しさと強さを持つ魔族。エルフだ。前の魔王ザッハークに一人残らず捕らえられたと言われていたのに、なぜ『血の森』に。

 スツェリが困惑していると、エルフはその場に跪き、首を投げ出すように俯いて、叫んだ。


「おいは恥ずかしかっ! 生きておれんごっ!」


 物凄いエルフ訛りだった。


「カマクラン殿! こっ首落としてたもりゃんせ!」


 言っている意味がわからない。いや、言葉は変換されるので、「この首を落としてほしい」という意味はわかるのだが、なんぜそんな事を言い出したのかがわからない。

 据え膳ならぬ据え首を差し出されたユーキは、大太刀を構えたまま凍りついている。さすがに混乱しているらしい。


「待てぇーい! 待て待て待てぇーい!」

「落とすんばおいの首でごわす!」


 更にスツェリの横を2体のエルフが駆け抜けて、最初のエルフの横に並んで首を投げ出した。追い据え首である。ますます意味不明だ。


「何これぇ……?」

「誰か……誰か説明してくれ!」


 密林にユーキとスツェリの叫び声が虚しく響き渡った。

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