第32話 戦場の火炎

 3束目の矢を撃ち切った。ユーキは軍勢に背を向け、再び逃げ始める。既に騎士たちが後ろに回り込みつつある。対応が早い。

 本隊も足を止めない。最初のように盾を捨てずに、じりじりと追いかけてくる。お陰でまるで殺せない。せいぜい隙間を狙って怪我をさせるのがやっとだ。


「あっはは、終わったら首取り放題だなあ……!」


 ユーキは笑い、それから痛みに顔を引きつらせる。頬に浅い切り傷ができていた。矢傷だ。他にも切り傷、火傷、打撲、その他様々な戦傷を全身に負っている。赤黒い着物はとっくにズタズタだ。


 街道の先に4束目が見えた。しかし、先を行く騎士の方が速い。リザードマンの騎士は馬に鞭を入れ、矢束を踏み砕こうと駆ける。

 ユーキは背負った矢筒から鎧とおしを抜いた。残り2本の切り札だが、仕方ない。

 馬を駆けさせながら弓を引き絞る。肘が痛み、ユーキは顔をしかめた。さっき受けた創傷から血が流れている。

 それでもユーキは弓を引き切り、放つ。矢は馬の後ろ脚を貫き、地面に転げさせた。転落したリザードマンの騎士がユーキの馬に踏み潰される。


 ユーキは矢束を拾い上げると、藁紐を解いて矢筒に突っ込んだ。

 前を見る。既に騎士の一隊が先回りしている。これ以上の補給はできない。逃げ道も塞がれた。

 振り返る。焦熱伯ジャルディーンの軍勢がすぐそこまで迫っている。数は1000。30人くらいは減ったかもしれないが、四桁の前には無視できる誤差でしかない。


「それはそれで」


 体が震える。強敵。大舞台。瀬戸際。

 切り抜けるには、ただ一点を穿ち抜くのみ。


 馬の腹を蹴る。ジャルディーンの軍勢に向かって、まっすぐに突撃する。

 それまで逃げていたユーキがいきなり突撃してきたことに驚き、歩兵たちが盾を構えた。その後ろに控えた弓兵たちが、慌てて矢を撃ち始める。だが、タイミングを誤った矢は、遠すぎてユーキに届かない。


 矢が届かないギリギリの距離で、ユーキは進行方向を右に曲げた。歩兵と弓兵の先鋒が作った壁を迂回して、本陣の横へ向かう。

 本来なら、こうした動きは左右に配置された騎馬隊が止める。しかし今はユーキを包囲するために、あるいは馬車を追いかけるために手薄になっていた。


 急旋回。本陣に対してやや右斜めに突撃する。動きに気付いた兵士たちが槍を構え、弓を撃ってくる。

 慌てた弓は当たらない。問題は槍衾やりぶすまだが、盾持ちの兵士はすべて先鋒に集まっている。つまり、槍兵が身を隠す障害物が無い。


「よりどりみどり……!」


 馬の速さを緩めないまま、ユーキは矢を放つ。長槍を持つ兵士が射抜かれ、倒れる。立て続けに三射。周りの兵士たちも倒れ、槍衾に小さな穴が開く。

 それだけあれば十分。殺到する穂先を避け、ユーキは敵陣に突入した。


「うわあっ!?」

「突っ込んできたぞ!?」


 兵士の悲鳴を置き去りにして、ユーキは駆ける。そして、目についた指揮官らしき魔族を次々と撃つ。そうすれば隊列が乱れ、その間隙に馬を駆けさせることができる。細かい進路は馬任せだ。


「調子に乗るなっ、小僧!」


 イフリートの騎士が、重槍突撃ランスチャージを仕掛けてくる。穂先が突き刺さる寸前でユーキは矢を放ち、騎士の肩関節を撃ち抜く。騎士は衝撃でバランスを崩し、馬から転げ落ちた。


「吹き荒れろ、アイスアロー!」


 長槍兵の奥にいた鼠獣人ワーラットが呪文を唱えた。空中に数十の氷の矢が出現し、ユーキへ飛来する。

 馬を駆使し、身を屈め、それでも避けられないものは手甲で受け、どうにかかすり傷で済ませた。すぐに身を起こし二射目を撃とうとしたワーラットを射殺する。


 ユーキは前方に目を戻した。本陣の中央を捉えた。一番旗が多く立っている場所だ。そこに、獅子のような魔獣にまたがったイフリートがいる。

 あれが焦熱伯ジャルディーン。ユーキは一目でわかった。軍勢がユーキの突撃に動揺する中、あのイフリートの大将だけはずっとユーキを睨みつけていたからだ。


「通すなっ! ここで食い止めろ!」


 ワーウルフの兵士たちが立ちはだかる。ナイフや斧を投げつけ、続いて馬上のユーキに飛びかかる。

 ユーキは背負っていた大太刀を右手で握り、鞘がついたまま盾にする。投げ斧を防ぎ、ワーウルフを打ちのめす。鞘にヒビが入り、爪牙が体を抉るが、構わない。ここを越えれば。


「見えた……!」


 部隊と部隊の間、焦熱伯までの一筋の道。そこへ馬を飛び込ませる。槍の間をくぐり抜けながら、ユーキは背中の矢筒から最後の鎧貫しを手に取った。


 鎧が見える。鋼と銀が混じり合った、不思議な金属鎧だ。まだ遠い。


 マントが見える。金糸と銀糸で、炎の文様が刺繍されている。まだ遠い。


 瞳が見える。熱した黄金色の目から、ユーキに向かって真っ直ぐに視線が浴びせられている。


 ここだ。互いの瞳が見える距離。必殺必中の間合い。

 ユーキは引き絞った弓から矢を放った。

 風を切る矢は何物にも遮られることなく、ジャルディーンの眉間へ飛ぶ。


 そして、空中で燃え尽きた。


「――ッ!?」


 ジャルディーンを貫くはずだった鎧貫しは、突如出現した火球に飲み込まれた。木でできた矢柄はもとより、鉄でできた鏃すら欠片も残らない。


 魔法。気付いたユーキの背筋を冷たいものが滑り降りた。反射的に馬から飛び降りる。

 直後、さっきまでユーキがいた部分に火球が発生した。触れてもいない馬が熱さで悲鳴を上げる。あのままユーキが馬の背に乗っていれば、さっきの矢と同じ命運を辿っていただろう。


「何を驚いている」


 立ち上がったユーキを、ジャルディーンは騎獣の背から見下ろした。


「ただの火炎魔法だぞ」


 火炎魔法。その名が示す通り、炎を操る魔法である。

 魔界では珍しいものではない。魔法使いが最初に学ぶのは指先に火を灯す発火ファイアスターターだし、火球ファイアボールは軍隊には必須の魔法だ。火の魔法陣を使った魔石かまどはありふれたものだし、サラマンダーなどの魔獣も魔力を使って火を噴くことができる。

 だが、ジャルディーンの莫大な魔力を注ぎ込めば、初歩的な火炎魔法は100人を火の海に叩き込む戦略兵器と化す。更に高精度の魔力操作で収束させれば、自然にはありえない超高温、高密度の焦熱地獄ジャヒームが完成する。


 これこそが、ジャルディーンが『焦熱伯』と呼ばれる所以ゆえんである。

 彼の前に立ちはだかった者は例外なく焼き殺されてきた。

 地龍アースドラゴン鉱山喰らいマインイーター

 魔界帝国侯爵・フォルネウス。

 伊予国いよのくに御家人・河野かわの通時みちとき

 いずれも魔王国なら爵位は固い強者であったが、ジャルディーンの前には風の前の灰と同じであった。


「そう簡単に死んでくれるなよ。まずは武器を振るう腕、それから逃げる足、命乞いをする喉を潰し、内臓をじっくりと焼き焦がしてくれる……!」


 ジャルディーンが跨る騎獣が前に出る。ウガルルム。馬よりも巨大な獅子の魔獣だ。コボルト程度なら前足の一振りで叩き潰してしまうだろう。

 それに対してユーキは、手にした弓を投げ槍のようにジャルディーンへと放った。ジャルディーンは手にした剣で弾き飛ばした。


 弓に気を取られた一瞬の間に、ユーキは大太刀を抜き放つ。そして、空になった鞘を今度はウガルルムの顔へと投げつけた。

 ウガルルムは顔を背ける。投げられた鞘は肩に当たった。そこへユーキが駆ける。目を逸らした隙に一気に懐に飛び込び、喉を抉ろうとする。

 だが、ユーキは刃が届く寸前で横に飛んだ。直後、ウガルルムの目の前で火球が炸裂した。ジャルディーンの火炎魔法だ。

 読まれていたか。ユーキは横顔に熱を受けながら、体勢を立て直す。


「隙ありィーッ!」


 ユーキの背後からハルバードを持ったオークが襲いかかった。ユーキは振り返ると、ハルバードを握るオークの手へ大太刀を振り上げた。


「ギャアッ!?」


 手首を斬られハルバードを取り落とすオーク。その首を返す刀で斬り飛ばす。首が落ちる前にユーキは正面へ飛び退いた。真後ろで炎が上がる。

 走りながらユーキは周囲を確認する。突撃で混乱していた軍勢が立ち直りつつあった。近くの兵士たちはジャルディーンを守ろうと殺到してきている。弓が無い今、まともに相手はしていられない。


 兵士たちの間をジグザグに走りながら、ユーキはジャルディーンへ接近する。その前にワーウルフたちが槍を持って立ちはだかった。

 ユーキが大太刀を振るうと、柄が斬られ、穂先がバラバラと宙を舞った。更に踏み込み、驚愕するワーウルフたちを斬り捨て、突破する。

 突然、目の前で爆発が起きた。ユーキは思わず目をつむり、横に飛んでしまう。火炎魔法の牽制。直撃しか考えていなかったユーキは不意を突かれる形となった。


「放てぃっ!」


 ジャルディーンが号令を掛ける。すると、オークの弓隊がユーキへ向かって矢を放った。何とか避けようとするが、密度が高い。肩と背中に矢を受けてしまう。ジャルディーンにも流れ矢が飛ぶはずの距離だが、そういう矢はすべて炎に飲まれていた。


「ぐうっ……!」


 痛みを堪えて、ユーキはジャルディーンに肉薄する。ウガルルムが前足で殴りかかる。岩のように硬い腕を掻い潜り、ユーキはウガルルムを斬りつける。

 一筋の赤い線が魔獣の体に奔った。ウガルルムが悲鳴を上げる。傷は浅い。絶命させる程ではないが、痛みは与えた。

 ウガルルムが苦痛に暴れ、鞍上のジャルディーンが抑え込もうと舌打ちする。そこへユーキが斬りかかるが、ジャルディーンが掲げた剣に阻まれた。


「甘いわっ!」


 ジャルディーンが腕を振り抜き、ユーキを吹き飛ばした。着地したユーキは更に後へ飛ぶ。眼前でジャルディーンの火炎魔法が炸裂する。爆風で地面の砂が舞い上がる。

 その砂が空中で静止した。そして羽虫のようにユーキの全身に集る。魔術師によって操られたサンドゴーレムが、ユーキを拘束する。


「くっ!?」


 ユーキは砂を振り払おうとするが、無形の砂はユーキの指の間からこぼれ落ちるばかりだ。

 足を止めたユーキに、ジャルディーンは爆炎を放った。サンドゴーレムが吹き飛び、ユーキの左腕が燃え上がる。


「がああっ!?」


 腕が黒焦げになるほどの火力に、ユーキが悲鳴を上げた。


「まずは腕ひとつ……!」


 ジャルディーンが喜悦の声を上げた。

 ユーキは歯を食いしばり、悲鳴を飲み込み、ジャルディーンに向かって駆け出した。右腕一本で大太刀の柄を握り、左手は刀の峰を支えている。突きの姿勢だ。

 ウガルルムが腕を振り下ろす。ユーキはその腕に飛び乗った。腕を引く勢いに乗って跳躍、鞍上のジャルディーンを狙う。


「ぬうっ!?」


 思わぬ動きにジャルディーンは驚愕しつつも、剣を掲げて突きを逸らす。大太刀の切っ先が小手に当たったが、ミスリルの装甲が火花を散らしてこれを退けた。

 突きを防がれたユーキは勢いのままジャルディーンの後方へ落下。そこで回転してウガルルムの後ろ足を斬りつけた。だが、右腕一本では威力は不十分。

 刃が弾かれ、体勢を崩したユーキの右腕が炎に飲まれた。白い肌が一瞬で黒く炭化し、大太刀を取り落とす。


「ぐぅ……ッ!」

「……子供といえどカマクランか。油断したわ」


 それでも両腕を失った以上、魔法が使えないカマクランに抵抗する手段はない。宣言通り、ここからは嬲り殺しの時間になる。

 そのはずだが、ユーキは逃げなかった。弓も刀も失ったというのに、どうにかしてジャルディーンの首を取ろうと睨みつけている。

 逃げる所を追いかけて、足を焼いて地面に這いつくばらせようと思っていたジャルディーンは出鼻をくじかれた。呪文をひとつ唱えれば、それだけでユーキの足は炭となって崩れ落ちるだろう。それでは興醒めだ。


 少し考え、ジャルディーンは剣を構えた。ここで逃げないということは、切り札を隠し持っているに違いない。あるとすればまだ無事な足。恐らくは、短刀を仕込んでいるのだろう。

 ならば敢えてこちらから間合いに入り、切り札を斬らせた上で、諸共に焼く。それが一番屈辱を与えられるだろう。

 方針は定まった。ウガルルムに拍車を駆けようとして。


「……む?」


 軍勢がざわめいていることに気付いた。そういえば、ユーキが両腕を失ったというのに、誰も割り込んでこない。不審に思ったジャルディーンは、辺りを見回す。


 稲妻を帯びた剣が、ジャルディーンの視界に入った。

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