第31話 荒野の鎌倉武士

 1000人の兵士を従えた焦熱伯ジャルディーンは、東都バルザフを出ると猛烈な勢いで東へと進んだ。最低限の休憩しか取らない強行軍である。

 だが、兵の疲労は抑えられていた。進路上の村や砦に早馬を送り、補給と休憩場所の準備をさせていたからだ。

 カマクランが黄泉比良坂イビルゲートから現れて以来、ジャルディーンは街道整備に力を尽くした。いつ攻め込んでくるかわからないカマクランを素早く迎撃するためだ。その成果は皮肉にも、逃げるカマクランを追撃するために発揮されていた。


 追撃から3日目。カマクランの支配領域に入り、言葉が変わっても、ジャルディーンは進軍を止めなかった。

 1000人もいればカマクランとてそう簡単には手を出せない。ましてや、ジャルディーン自身が何人もカマクランを討ち取った剛の者である。少なくとも平阪府が見えるまでは止まるつもりはなかった。


 強行軍の甲斐はあった。斥候のジンたちから馬車を見つけたという報告があったのだ。アーダマ商会の紋章があり、功に逸ったジンがカマクランに撃ち落とされたらしい。

 仇を見つけた。ジャルディーンは目を爛々に光らせると、全軍に向け通達した。


「聞けぃ! この先に我が息子、ベイルゼムを討った憎きカマクランの一党がいる! 馬車の中身は好きな者にくれてやろう!

 だが、誰も殺すな! 両手両足をへし折り、目をくり抜き内蔵をえぐり出しても良いが、生かして我が前に連れてこい! 1人生け捕りにするごとに、そのカマクランの体と同じ重さの金塊をくれてやる!」


 常軌を逸した報奨だが、ジャルディーンからしてみれば安いものだ。

 絶大な褒美に軍勢が湧いた。コボルトの軽騎兵たちが我先に馬へ乗り込み、カマクランを捕らえようと走り出す。オークたちが武器を構えて突進する。イフリートの騎士たちが馬を駆る。


 前進する領軍は坂道にさしかかった。すると、坂の頂上にカマクランの子供が現れた。カマクランは馬に跨ったまま、身の丈の倍以上はある巨大な弓から矢を放った。

 先頭を走っていたコボルトたちが次々と射抜かれる。尋常の威力ではない。それでいて正確無比である。たちまち軽騎兵が数を減らす。算を乱したコボルトたちが、泡を食って本隊へと逃げ帰ってきた。

 突然の虐殺劇に、軍勢が足を鈍らせる。そこへ、声が降ってきた。

 

結城ゆうき孫七まごしち宗広むねひろ! ここにあり!」


 見た目通りの年若い声。だというのに、声色には一端の戦士だと主張する自負があった。


天地あめつちの道理も知らぬ魔界の悪鬼羅刹あっきらせつども!

 藤原北家ふじわらほっけ秀郷流ひでさとりゅう結城氏の家名を知っているか!


 我が養父は祐広すけひろ! その父朝広ともひろは、かの承久じょうきゅうらんにおいて、鎌倉殿のご恩に応え、百の敵を射抜いた弓の名手なり!


 さらにその父、朝光ともみつは、鎌倉殿が旗揚げの時より付き従った第一の忠臣!

 木曽きそ義仲よしなか平宗盛たいらのむねもり藤原泰衡ふじわらのやすひらなどの大敵をことごとく討ち果たし、千の敵を射抜いた弓聖なり!


 そして我が家祖は鎮守府ちんじゅふ将軍しょうぐん藤原秀郷ふじわらのひでさと

 八幡大菩薩はちまんだいぼさつの加護をもって、三上山みかみやまを七巻き半する大百足を射抜き、関東に覇を唱えし平将門たいらのまさかどを討ち取った、天下第一の武士にして弓神なり!


 我、血の繋がりは無けれども、結城の家名を背負う者として、百鬼夜行ひゃっきやこう尽く討ち果たすことを、ここに誓わん!」


 魔族にカマクランの家系などわからない。それでも、名乗りを上げるユーキから放たれる気迫は本物で、誰もが思わず足を止めていた。


「何を呆けている。行け」


 ただ一人、ジャルディーンだけはユーキを正面から見据えていた。


「しかし」

「盾隊を前に出せ、カマクランにはそれが最も効く」


 ジャルディーンの命令で、鉄の盾で密集陣形を組んだオークの歩兵隊が全身する。ユーキは矢を放つが、さすがに鉄板は貫けない。野魔ベリーで作られた粗末な矢が弾かれる。

 じりじりと距離が詰まる。それでもユーキは矢を放つ。今度は盾と盾の隙間を狙ってだ。矢は吸い込まれるように盾の間を潜り抜け、不幸なオークの体に突き立った。死ぬほどではないが、痛みでひとり、またひとりと脱落していく。

 数が減って歩兵隊の足が鈍るが、不意に矢雨が止まった。矢が尽きたらしい。


「打ち止めだ! 突っ込めぇーっ!」


 オークの兵長の掛け声で、歩兵たちが盾を捨てて突進した。ユーキは馬にひらりと飛び乗ると、軍勢に背を向けて丘の向こうへと逃げ出した。オークたちは逆襲しようと、丘を越えてかけ下っていく。


わめいておいてこの程度か。追え、逃がすなよ」


 ジャルディーンの号令で、軍は前進を再開した。ユーキとオークたちを追って、丘を登る。

 そこに、突進していたはずのオークたちが逃げ帰ってきた。前進する兵士と逃げ帰る兵士が衝突して、小さな混乱が生まれる。

 丘の麓には、今しがたユーキを追いかけていったはずの兵士たちが倒れていた。どの兵士にも矢が突き立っている。

 その先には弓を構えたユーキがいた。空になったはずの矢筒が、矢で満たされていた。


「小賢しい」


 ジャルディーンは一目で看破した。矢筒に入り切らない矢を逃げる先に置いておいたのだろう。撃ち終わったら馬で距離を取り、次の矢束へと向かう。小手先の戦術だ。


「騎兵を回り込ませろ。歩兵隊は再度、盾を構えて前進。上空のジンたちに連絡して、空からも攻撃せよ」


 しょせんは一人、数で押し潰せば問題ない。

 再び鉄の壁が作られ、更に騎兵と空兵も包囲を始める。


 ユーキは歩兵に矢を放つ。さっきよりも隙間が少なく、弾かれる矢は多い。

 更に横から騎兵が迫る。ユーキは矢筒から鎧とおしを引き抜き、放つ。たがねのように分厚いやじりが騎兵の兜を貫く。

 立て続けに三射。三騎が馬から転げ落ちる。残りの騎兵の重槍突撃ランスチャージを避けたユーキは、上から襲いかかったジンを返り討ちにして、再び逃げ出した。

 槍をつけることすらできなかった。魔族の目から見ても、鳥肌が立つほどの手並みだ。


「閣下」

「続けろ」


 動揺する部下をジャルディーンは一言で黙らせる。撃たれた者は多いが、死傷者は20人ほどにすぎない。あとはまだ戦える程度の傷だ。1000人の軍勢が怖気づくほどではない。


 それに、相手は見るからに疲れている。当然だ。あれほどの強弓、エンチャントの助けがあっても体力を使う。

 今のような動きを続けていられるのは、せいぜいあと一度か二度。その時には、あの小憎らしい笑顔も消える。

 ジャルディーンが動くのはその時だ。



――



「くたばれバケモノっ!」


 彦三郎が投げた斧が、ジンの肩に突き刺さる。痛みで怯んだジンは目測を誤って地面に墜落した。

 スツェリの馬車はカマクランを探して走っていたが、たびたびジンが妨害してくるため、思うように進めないでいた。


「おいコラァ! やんのかコラァ!」

「調子づいてたらいてまうぞワレェ!」

「かかってこいやー!」


 彦三郎たちが必死に威嚇する。元は農民とはいえカマクラン、ドスの聞いた声はジンをそれなりに怯ませる。

 しかしスツェリはまるで気にしていない。頭の中はユーキの事でいっぱいだ。早く味方のカマクランを見つけなければ、ユーキが死んでしまう。

 逃げながら時間を稼ぐと言っていたが、そんな言葉を信じるほどスツェリは世間知らずではない。仮にユーキが本当に逃げようと思っていても、あの大軍勢がそう簡単に逃がすとは思えない。


 できることなら今すぐ引き返して、ユーキを助けに、いや、ユーキの横で死にたいくらいだ。

 だけど、ユーキが信じてくれた。スツェリに初めてお願いしてくれた。それを覆したくはない。

 相反する気持ちにすり潰され、スツェリは何も決められない。ただ泣きながら馬車を進めることしかできなかった。


「姐さんっ、上ぇーっ!」


 彦三郎が叫ぶ。スツェリが見上げると、剣を振りかざしたジンが急降下してくるところだった。


「取ったァ! 死ねェー!」


 スツェリは慌てて剣を手に取る。間に合うか。思わず固く目を瞑る。

 傭兵らしくない仕草だな。場違いに、スツェリはそんな事を思った。


 頭上に振りかざした剣に衝撃は来なかった。代わりに、ドサリと何かが落ちる音が響いた。


 目を開けると、斬りかかってきたはずのジンが地面に落ちていた。喉に矢が突き刺さっている。矢は魔界のものではない。ユーキが使っているような、太く巨大な矢だ。

 ユーキが上手く逃げてきてくれたのか。瞳を輝かせて振り返る。


「ユー……」


 騎馬武者がいた。

 黒と緑の全身鎧。両肩には同色の大袖ショルダーシールドを着けている。

 右手は馬の手綱を握り、左手には身の丈を遥かに超える長さの弓を握っている。

 腰に佩いているのは反りの大きい太刀だ。黒塗りで金の装飾が施された鞘に収められている。

 馬は黒い毛並みが艷やかに光っている。筋肉には活力が満ちており、地平線まで一瞬で走っていってしまいそうだ。


 鎌倉武士カマクランだ。しかし、ユーキではない。兜の下の顔には髭が生えている。大人の鎌倉武士が、力強い目でスツェリを睨みつけていた。

 その後ろにも馬に乗った鎌倉武士たちが控えている。全部で50騎ほど。鎧や馬の色は様々だが、いずれも屈強、かつ弓を携えていることには変わりない。


其方そのほう、何者か」


 先頭の鎌倉武士が静かな声で問いかけた。弓は構えていないし、刀も抜いていない。なのに、声には有無を言わせぬ迫力がある。


「スツェリ……スツェリ・ヘッセンだ」

「ふむ。魔族同士がなぜ戦っている。仲間割れか?」


 撃ち抜かれたジンを見ながら、鎌倉武士が聞いた。それで、スツェリは我に返った。


「そうだ! 今、焦熱伯の軍勢に追いかけられていて……他のジンは!?」

「逃げたぞ」


 慌てて空を見上げる。ジンは鎌倉武士の一団に恐れをなして逃げ出していた。ひとまずの危機は去ったようだ。


「そうか……すまない、平阪府はここから近いか!?

 今、焦熱伯ジャルディーンの軍勢がこちらに向かっている! 仲間の鎌倉武士が囮になって食い止めているのだが、このままじゃあ保たない! すぐに増援を呼んでくれ!」


 スツェリの言葉に、鎌倉武士たちは顔を見合わせた。


「仲間の?」

「魔族とつるんでる奴がいるのか」

「ジャルディーンって誰だ?」

「そもそも本当なのか?」


 いずれも半信半疑といった様子だ。


「仲間の……あの子の名前はユーキ! 結城ゆうき孫七まごしち宗広むねひろ! 誰か知ってる人はいないか!?」


 スツェリは必死に呼びかけるが、ここにいる鎌倉武士は誰も知らないようだ。


「お侍様! 恐れながら申し上げます!」


 スツェリの後ろから叫び声が響いた。振り返ると、彦三郎が馬車から降りて平伏していた。不意に現れた人物に、鎌倉武士が僅かに困惑した様子を見せる。


「何者だ……いや、日本人だと?」

「はい、対馬国つしまのくにに住んでいた彦三郎でございます! ワシらは魔族たちに連れ去られ、この魔界で下人として売られていました!

 そして鬼に食われそうになったところを、こちらのスツェリ様と、下総国しもうさこくの結城様に助けていただいたのです! いわば命の恩人! それに武勇の誉高き御方でございます!

 その結城様が今、千人の軍勢を相手にして、たった一人で戦っておるのです! ここで死なれちゃあの世で合わせる顔がありません! 何卒、何卒お助けくだされ!」


 他の奴隷たちも馬車を降りて地面に頭をつける。魔界では見ない仕草だが、心底頼み込んでいることは、スツェリでも理解できた。


「なるほど。話はわかった」


 鎌倉武士が応えた。先程まで感じていた敵意のようなものが消えていた。


「だが、結城という武将の事は知らぬ。鎌倉武士が命を賭けたとなれば、手助けは不要。むしろ恥になるだけよ」

「そんなっ!?」


 ここまでやって助けてもらえないのか。そう思ったスツェリの喉から悲鳴が上がった。

 しかし、鎌倉武士は口の端を吊り上げた。


「勘違いするな。ワシらの狙いは武功よ。千人分の手柄首、みすみす見逃すわけがない。そうだろう、皆の衆!」


 後ろの鎌倉武士たちが、雄々しい咆哮を上げる。彼らは助けに行くつもりではない。焦熱伯と戦い、撃破するつもりだ。間違いなく、魔王を返り討ちにし、魔界を恐怖に陥れている、噂通りのカマクランであった。


源太げんた! お主、馬車は動かせるな? この女と代わって、下人たちを平阪府まで連れて行け」

「ええっ!?」


 源太と呼ばれた鎌倉武士は、露骨に嫌そうな顔をした。


「不服か?」

「いえ、そうではなく……あの、ですか?」

「当然だろう」


 妙な問答の後、源太は馬から降りて御者台に上った。


「ほら、おめたち早く乗れ。とんでもないことになるから」

「へ、へいっ」


 彦三郎たちは再び馬車に乗り込む。心配そうな彦三郎の顔が、幌の中へ消えた。


「魔族の女よ、馬には乗れるか」


 鎌倉武士はスツェリに訊いた。スツェリは黙って源太の馬の鞍に跨ることで応えた。


「よし、戦場いくさばまで案内あないせよ」

「……え?」

「案内だ。その軍勢の所まで駆けよ」

「待ってくれ。平阪府に行くんじゃないのか?」

「何故だ?」


 スツェリの質問を心底不思議がる鎌倉武士。


「いやだって……敵は1000人だぞ? それに、焦熱伯が自ら出陣している。旗印があった。増援を連れてこなければいけないだろう」


 いくら戦意旺盛とはいえ、ここにいる鎌倉武士は50騎に満たない。しかも歩兵がいない。純粋に騎兵だけの数だ。ジャルディーンの軍勢を相手にするには、あまりにも数が少なすぎる。


「待つ必要など無い」


 ところが、鎌倉武士は言った。


「先駆けこそ武士の華よ」

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