第30話 しんがりのユーキ

 ユーキとスツェリがイフリートの騎士と遭遇してから2日が経った。道無き荒野を進み、たびたび魔物と戦っているから、かなり遅い旅になっている。追撃は今のところないが、いつ追いつかれても仕方なかった。

 首を飛ばして辺りを偵察していたスツェリは、相変わらずの無人の荒野にため息をついた。そろそろカマクランのひとりでも見えてほしいが、相変わらずそれらしき姿はない。

 仕方なく馬車へ戻る。首と体を繋げると、隣の馬に乗ったユーキが声をかけてきた。


「どう? 何か見えた?」

「いや、何も……」


 なかった、と言いかけて口をつぐむ。


「どうしたの?」

「これは……おい、彦三郎!」

「なんです?」

「やっぱりだ!」

「だからなんです?」

「私たち、日本語にほんごを喋っているぞ!」

「え? あっ……!」


 元から日本語を喋っているつもりだったユーキたちは気付かなかったが、魔界生まれのスツェリは、自分が聞いたこともない言葉を喋っていることに気付いた。

 魔界の言葉は、その地域を支配している種族の言葉に変換される。今までスツェリたちは前の魔王ザッハークが使っていたダエーワ語で喋っていた。

 それが日本語になったということは。


「ここはカマクランの支配地なんだ……! 平坂府までもう少しだぞ、みんな!」

「よっしゃあああ!」


 彦三郎たちが湧き上がった。ユーキもニコニコしている。スツェリも逃げ切れる目処が立って、ホッと胸を撫で下ろした。


 馬車は北へ進み、荒野から街道へ戻る。ここからは追撃を気にする必要はない。まさかカマクランの占領地にまで追いかけてくることはないだろう。それよりも、人通りの多い所に行って早くカマクランに出会った方がいい。

 そこまで考えて、スツェリはふと嫌な予感を覚えた。


「なあ、ユーキくん」

「なあに?」

「ここまで来て言うのもアレだが、敵と間違えられて攻撃されるとか、そういうことはないよな……?」


 よくよく考えてみれば、カマクランと魔族は絶賛交戦中である。カマクランに出会ったら、事情を話す前に攻撃されるかもしれない、と不安になった。


「その時は僕が話すから大丈夫だよ」

「いきなり弓を撃たれたら?」

「二、三人殺せば話を聞いてくれるよ」


 これはまた血を見ることになりそうだな、とため息をつくスツェリであった。


 それからしばらく、馬車は何にも出会わなかった。カマクランはもとより、魔物にも出会わない。

 戦争が激しすぎて、魔物まで逃げ出してしまったのか。そんな風にスツェリが思い始めた時だった。


「ヒョオオオーッ!」


 妙な叫び声が頭上から響いてきた。見上げると、緑色の肌で下半身がつむじ風と一体化している魔族が、槍を手にして急降下してくるのが見えた。


「カマクランとデュラハンの馬車だ! 一番手柄はいただきだぜぇーっ!」


 言い終わった直後、ユーキが放った矢が命中した。頭を撃ち抜かれた魔族が地面に叩きつけられる。


「なにこれ」

「……ジン! こんなところに!?」


 ジン。体の一部を風に変えて空を飛ぶことができる魔族である。

 それ自体は魔界でも珍しくないのだが、問題はここが既にカマクランの支配領域だということだ。


 スツェリは慌てて周囲の空に目を向ける。多数のジンが空を飛んでいる。スツェリたちの馬車を指差している者もいれば、後方、西に向かって飛んでいく者もいる。

 続いてスツェリは西の大地に目を向ける。地平線に砂煙が上がっている。砂嵐や魔物の大移動とは違う。スツェリが戦場で何度か見たことのある、軍勢が近付いてくる時の予兆だ。


「信じられん……奴ら、ここまで追ってきたのか!?」

「みたいだねえ……しかも、かなりの数だよ。1000人はいる」


 ユーキも手をかざして西の地平線を見ている。その様子は真剣そのものだ。


「とにかく先に進むぞ! カマクランを見つけて保護してもらうんだ!」


 スツェリは馬に鞭を入れた。それまでゆっくりと歩いていた馬たちが、頑張り時と言わんばかりに走り始める。馬車の足は少し早まったが、それでも追撃の方が早い。

 後方の軍勢が近付いてきた。先陣はコボルトの軽騎兵。それがわかるほど、近付かれている。何度も後方を見ていたユーキが、不意にスツェリに叫んだ。


「スツェリさん! 上に飛んでる魔族に襲われても、自分でなんとかできる!?」

「ジンか!? 1体2体ならどうにか……」


 言いかけて、スツェリはユーキの意図に気付いた。


!」

「でもねえ、このままだと追いつかれると思うよ?」

「それでもダメだ! キミを……キミを置いていくなど!」


 ユーキは追撃を遅らせようとしている。それも、ここに残って敵軍をたった1人で引き受けるという、最悪の形で。


「じゃあみんな一緒に死ぬつもり?」

「……ああ、そうだ! キミを生贄にして逃げるくらいなら、一緒に死んでやる! なんなら今すぐここで心臓を突いてやる!」

「ちょっと姐さん!?」


 剣を抜こうとしたスツェリを、彦三郎が押し止める。

 あまりに極端なスツェリの動きに、ユーキも目を丸くして驚いていた。


「生贄って……別に死ぬつもりはないからね? あの軽騎兵をちょっと食い止めて、すぐに戻ってくるだけだから! 馬もあるしそれくらいできるって!」

「嘘だ! そんなことできる訳ないじゃない! また私に子供を見捨てろっていうの!?」

「子供じゃない!」


 ユーキはスツェリの両手を握り、涙がボロボロと溢れる青い瞳をじっと覗き込んだ。


「僕はそこらの子供じゃないよ。元服を済ませた立派な大人で、勇猛果敢な鎌倉武士カマクランだ」


 ユーキの整った顔が間近に迫って、スツェリは一瞬嗚咽が止まった。


「あう……だ、だけど危険だ……」

「ちょっと殿しんがりを務めるくらい、どうってことないさ。そういう時の戦い方も、教わってるからね!」


 ユーキは笑う。いつものように、獲物を前にした時の凄惨な笑みではなく、相手を安心させるための優しい笑みだった。

 スツェリが呆けた一瞬の隙を突いて、ユーキは離れた。馬の首を巡らせ、後方に向かって駆ける。


「ユーキくん!?」

「なるべく早く鎌倉武士を見つけてね! 手柄首があるって言えば、誰でも助けてくれるから!」


 それから荷台の彦三郎たちに指示を出す。


「矢束があるでしょ。それを一束ずつ、等間隔に道に捨てて。先に捨てた束が見えなくなったら、次の束を捨てるように」

「は、はい……?」

「後はスツェリさんをしっかり助けるように! わかった?」

「は、はいっ!」


 彦三郎が勢いよく返事をしたのを確認すると、ユーキは元気に手を振って、馬車から離れていった。その様子は、ちょっと遠乗りに出かけるくらい気楽なものだった。

 しかし、ユーキの行先には軽騎兵の群れが、そして後に続く本隊がいる。


「……ッ! ユーキくん! 死ぬんじゃないぞ! キミは生きているんだから!」


 叫んだスツェリは、涙を拭うと馬車を加速させた。


 一気に離れる馬車を見て、満足そうに頷いたユーキは、小高い丘の頂上で馬を止めた。眼下には魔族の大軍勢が迫ってきている。その先頭を走るのは、コボルトの軽騎兵。数はおよそ20。


 矢をつがえ、弓を引く。

 エルフが作った和弓は、言うなればエルフのロングボウを更に巨大化させたものである。馬上での使用にこそ適さないものの、地上で引くならこの魔界のどんな弓よりも強力だ。

 そこに鎌倉武士の筋力と技量が加われば、天下無比の剛弓となる。


「――ひとつ!」


 矢を放つ。空気を切り裂き、瞬時に馬上のコボルトの喉へ突き刺さる。隣のコボルトが驚いた時には、既に次の矢が放たれ、頭を貫いている。

 斥候であろうコボルトの軽騎兵は、革の服と長剣しか装備していない。矢を防ぐ手段もなければ、反撃する手段もない。散開して避けようとするが、正確無比な射撃が次々とコボルトを撃ち落とす。

 半数が討たれ、とうとう軽騎兵は踵を返した。逃げる背中にも矢を放ち、貪欲に数を減らす。


 先手は凌いだ。ユーキは荒野を見下ろす。迫る軍勢はちっとも数が減っていない。1000人の内の10人ちょっとを討ったところで、津波に小石を投げつけたくらいの影響しかない。逃げなければ飲み込まれるだろう。

 だが、ユーキはまるで恐怖していない。迫りくる死を前にして、不安も、怯懦も抱いていない。


 生きている、と言われたからだ。


 スツェリはユーキが生きていると言ってくれた。首と、死体と比べなくても、ユーキの中の命を信じると言ってくれた。

 それを守るための戦いだ。今までユーキが無数に繰り返してきた、首を獲るための、命を奪うための、死体を作るための作業とは違う。ユーキの生を確かめてくれる、スツェリを守るための戦いだ。


 考えるだけで胸が高鳴る。心臓が破裂してしまいそうなくらい動いている。血液が沸騰しそうなくらい熱くなって、全身を巡っているのを感じる。こんな気持ちは初めてだ。今までの時間が色褪せていたと、今更ながらに自覚する。

 今からだ、これからだと、はっきり言える。


結城ゆうき孫七まごしち宗広むねひろ! ここにあり!」


 今、はじめて生きている!

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